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ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 272

ある音楽プロデューサーの軌跡 #53 「Great 3:菊地雅章・ゲイリー・ピーコック・富樫雅彦」

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
photos:亀山信夫

70年代に旧トリオレコードで興した Nadja(ナジャ)レーベル、インディ系のアルバム70作余をリリースし、それなりの実績を残したのだが、思いがけずキング・インターナショナル社で再興することになった。Nadja 21とアップデートし、去る9月に阿部薫の1971年の東北ツアーでの全記録を3枚のCDセットに組み完全版としてリリースした。阿部薫絶頂期の演奏でこれはやはり後世に遺すべき音楽財産との判断だった。
第2弾は別の企画を予定していたのだが、急遽、「Great 3」の1994年の全記録を4枚組CDとして今年末にリリースすることになった。「Great 3」、菊地雅章 (p)、ゲイリー・ピーコック (b)、富樫雅彦 (ds) のトリオに冠せられたネーミングで、当人たちは盛んに照れていたが今となっては彼らにふさわしいネーミングであると得心している。とくに、リリースにあたって何度も聴き直すたびに感動を新たにし、「great」以外の何者でもないと思うに至った。また、メイカー・サイドから提案されたCD4枚組セットという思い切った企画にも納得がいくようになった。近年のピアノ・トリオというフォーマットではゲイリー・ピーコックとジャック・ディジョネット(ds)を擁したキース・ジャレットのトリオが充実度においては群を抜いていると思われるが、「Great 3」はそれに勝るとも劣らずと評価できるのではないか。
予定していた企画に先駆けて急遽「Great 3」を第2弾に持って来た理由。
ストーリーは、Resonace RecordsのZev Feldmanなら大部のブックレットにまとめ上げるだろうほどのヴォリュームがある。インディ・レーベルから一度しかリリースされていないこの傑作をなんとか再発できないかと関係者のひとりとして永年温めていた企画だったが、ひょんなことをきっかけにオーナー(原盤権者)、原盤所有者、写真家などリリースに必要な関係者と芋づる式にコンタクトがとれたのだ。オーナーとは橋本一子の『水の中のボッサ・ノーヴァ』をも制作した間柄であったがいつのまにかコンタクトを失っていた。原盤所有者はお会いしたこともないFacebook友だちを通じてコンタクトが復活した。写真家の手元を離れていたオリジナル・ポジ・フィルムの所在も確認が取れた。ジグソーパズルを埋める作業がちょっとしたきっかけからたちどころに完成形に至ったということだ。かてて加えて原盤所有者のハードディスクには未発表テイクを含めて当時録音されたテイクがすべて完全な形で保存されていたこと。さらには、音源を確認したエンジニアの及川公生氏から音質と内容について絶賛に近い評価が出たこと。自ら手がけた録音については控えめな発言を常とする氏にはきわめて珍しいことなのだ。ただひとつ残念なことはその過程でゲイリー・ピーコックの訃報が届いたこと。Gary Peacock;1935年5月12日 – 2020年9月4日。享年85。本作を彼への追悼としたが、内容を聴いていただければ、それが決して感傷に由来するものではないことを理解していただけるだろう。彼が司令塔の役割を果たして音楽を展開している場面がいくつも確認できよう。ソロは言うまでもない。富樫と菊地は先に旅立っている。富樫雅彦;1940年3月22日 – 2007年8月22日。享年67。菊地雅章;1939年10月19日 – 2015年7月6日。享年74。演奏者は3人とも鬼籍に入ってしまっているが、幸いスタッフは全員生存している。これはどうしても彼らの奇跡の演奏の全貌をわれわれの手で後世に伝える義務があると考えるのは当然だろう。
1994年3月29日、新宿ピットインでのライヴ。1stセット3曲、2ndセット5曲、アンコール1曲、計9曲が演奏されたが、スタンダードが5曲、ジャズ・オリジナルが4曲の絶妙のバランス。スタンダード5曲のうち、<ネイチュア・ボーイ>、<テネシー・ワルツ>、<グッバイ>を除く2曲、<ストレイト、ノー・チェイサー>と<ピース>はそれぞれセロニアス・モンク、オーネット・コールマンの作曲だが多くのミュージシャンに愛奏されるいわゆるジャズ・スタンダードである。ジャズ・オリジナルに分類したゲイリー・ピーコックの<ムーア>もカヴァーされる機会の多い曲ではある。菊地のオリジナル<リトル・アビ>は菊地の遺作『ブラック・オルフェ』(ECM) など菊地のアルバムに何度も収録されている菊地がもっとも愛した曲。残る2曲<カーラ>と<ランブリン>はポール・ブレイの楽曲で、ポールはゲイリーの盟友であり、菊地のメンター(心の師)でもあった。富樫との関係はといえば、5年後の1999年ポール来日時に僕がデュオ・アルバム『エコー』(SONY)を制作しているが、この時点ではもちろん知る由もない。富樫のオリジナルは、有名な<ワルツ・ステップ>がスタジオ盤で演奏されており、ライヴ盤では<ネイチュア・ボーイ>が富樫の5分にわたるソロでスタートする。ピット・インでのライヴは音楽の流れとクラブの異様な緊張感を再現すると長尺ものも多いためCD3枚にせざるを得なかった。結果として、菊地の英語と日本語によるMCを収録することができた。演奏の詳細は別掲の上原基章氏のCDレヴューに譲るが、僕の長いジャズとの関わりのなかでも知り得たジャズ・トリオの演奏としては5指に入るのではと自負している。悠雅彦氏がライナーノーツで「フリーにしてフリーに非らず、フリーに非らずしてフリー」と記しているが、彼らの演奏を象徴するこれ以上ない表現である。とにかく僕は何度聴いても途中で切り上げることができず、最後まで聴き通してしまう。
ピット・インのライヴは、スタジオ録音のリハーサルを兼ねて(スタジオ録音のリハーサルは別途行われた)組まれたものだが、プロダクション・ディレクターを務めた亀山信夫氏によると録音は菊地のたっての希望で敢行されたものだという。菊地は長年の経験でライヴでのハプニングを予見していたのだろう。ましてや22年前に傑作『ポエジー』(Philips)をものしたトリオの再会セッションだから。エグゼクティヴ・プロデューサーの船木文宏氏に頼み込んで予算を獲得した亀山氏の功績大である。街録機材を担当したSCIが用意した電源ケーブルが高品質の電源供給を可能にし、パイオニアの96kHz「HS-DATデッキ」とともに高音質録音の実現に寄与したとは及川公生氏の証言だが、もちろん氏のマイク選択とマイキングが最大のキーであったことは言を俟たない。
スタジオ録音は2日かけて13 曲を収録したが、このトリオにしては珍しくスタンダード中心で、しかもジャズにしては珍しく収まりの良い尺である。これは、そもそもこの企画の趣旨がパイオニア製のHS-DAT用のソフト制作だったからに他ならない。最大のハイライトは<マイ・フェイヴァリット・シングス>だと思うが、僕は菊地に頼まれて「サウンド・オブ・ミュージック」の楽譜集を買いに銀座ヤマハへ走った。原譜で確認しておきたいという菊地の几帳面さである。その中からもう1曲、<クライム・エヴリ・マウンテン>もリハで取り上げられたが、収録には至らなかった。菊地がソロで演奏している<ミスティ>と<ラウンド・ミッドナイト>は僕のリクエスト。菊地はアルバムの目的を理由にジャズ曲を除外していたが、ジャズ・ファンのためにと申し出た。<峠の我が家>は富樫抜きの菊地とゲイリーのデュオ演奏だが、これは富樫の職場放棄が原因。モニターも2系統の上、いつになく関係者の出入りが多く、苛立っていた富樫が、菊地のモニターを聴きながらのひとこと「シンバルがピアノの倍音にかぶってるなあ」にキレた。「俺、帰るよ」と言い放ち車椅子でスタジオを出る富樫を別室に招き入れ、船木プロデューサーとふたりで説得、なんとか矛を収めてもらったのだ。僕は3年前にも菊地と富樫のデュオ作『コンチェルト』(Ninety-one)を制作しているのだが、このときはふたりの共通の恩師であるDr.内田修に後見人として立ち会っていただきことなきを得た。ふたりはジャズ・アカデミー (1963) 以来の仲なのだが両雄並びただず、といったところだろうか。
この三者とはいろいろな創作の場面を共有する機会があり学ぶことが多かった。三人揃って僕のメンターと言っても過言ではない。その三者が共演する機会に関わることは僕にとって無上の喜びであり、その最高の成果が完全に公開されることを制作、関係スタッフさらにはリスナーと喜び、幸せを分かち合いたい。

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稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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