JAZZ meets 杉田誠一 #117 追悼「鈴木 勲」

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text by Seiichi Sugita 杉田誠一

鈴木勲とウディ・ショー

ピッコロ・ベースの鈴木勲さんが、コロナ感染症による肺炎で逝ってしまった。享年89。謹んでご冥福をお祈りします。合掌。

ここに紹介する「日本のジャズへの捨て台詞」は、”Jazz”誌1970年No.6に掲載。渡米直前の聞き書き。
同年新春恒例のアート・ブレイキー来日の際、MCいソノてルヲさんが中華料理~5Spot@自由ヶ丘に一行を招待した。鈴木勲さんは5Spotハウスバンド・リーダー。ジャムで盛り上がり、「ゴキゲンだね! NYCに来ることがあれば、ぜひ寄ってくれ給え」ということになる。同年ぼくは「アサヒグラフ」の仕事もかかえ、NYC には7月いっぱい滞在。
写真は、ブレイキー(ds)、ウッディ・ショウ(tp)、ジョージ・ケイブルス(p)らと共演したときのもの。鈴木勲さんは、同年末帰国。ウッディ・ショウの曲を持ち帰り、TBMの大ヒット作となった。

「日本のジャズへの捨て台詞」 鈴木 勲

■黒人独特の何かが

アート・ブレイキイのところで働いても別にどうということはない、となかば羨望の気持で僕のことを誹謗する者は多い。日本のジャズ・ミュージシァンが、アメリカで何年ものあいだレギュラー・メンバーとしてやっていくというケースは、僕の場合が初めてなわけだから、そのようにそしられても僕は別にどうとも思ってはいない。本当に正直いってラッキーだった。ニュー ポートやモントルゥのジャズ・フェスティバル出場もはぼ確定している。
昔からよく色々な人からいわれたものだが、日本人にはない黒人特有の何かが僕にはあるようだ。それはフィーリングということだけではなく、持っている僕にとってはごく自然なものだ。うまくいいあらわせないのだが、ソウルとでもいうほかないものだ。よくソウルとは何か、と聞かれるがいつもうまい説明ができない。だからといって、言葉で説明するのではなく、ジャズを通じてソウルがそうそう簡単にわかるものではないということも演奏し続けてきていやというほど知っている。
僕は最初の四年ぐらい黒人のバンドにいた。知らず知らずのうちに黒人が生まれもっている独特のものが身に入つてしまったわけだ。それで僕の演奏は黒人のものに近いものになったのだろう。ブレイキーとはソウルが通じたからこそ今回のようなことになったのだと思う。ソウルは日本人だけでアメリカのジャズをコピーしたような演奏をいくらやったところで、まず理解することはないだろう。レベルの面で絶対的に問題にならないということはひとまずおいておくが、ある程度アメリカヘ行ける人は行き、まずよく聴きそして一緒に演奏したりすれば、かなり理解できるのではないだろうか。これはどソウルとは実感的で体験的なものだ。
だが、そうしたからといつて必ず黒人独特の何かを体得できるという保障は僕にはできない。黒人社会では言葉にしろ性質にしろ習慣にしろ思想にしろ日本人社会とは随分と違つているのだから、共に生活することが一助となることだけは事実だ。
日本人でかなり実力のあるプレイヤーの方が、アメリカの白人よりもずっと黒人の演奏に近いという現象がある。白人の場合は一般的にいって綿密に計算されたテクニックで演奏をカバーして独特の音楽をくりひろげる者が多い。それに比べると黒人はフィーリングをまず大切にし、そのうえテクニックが加算されていくから増々いいものが創り出されていくわけだ。どうしても白人の場合には黒人のようなインパルスがないからこのような差はどうしても仕方のないことだ。黒人の場合には全く無抵抗に 自分の内面をさらけ出す。プレイヤーの中には、デビューした時あらわれた内面的なものが何年たっても最後までくせとして変わらずに残ってオリジナリティになっていく人と、オーソドックススタイルから様々なものを積み重ねていって自分のオリジナリティを創り上げていく人と二通りあるのだが、黒人の場合は圧倒的に前者の人が多い。
これはまた言葉ではうまく言いおらわせないものに、フィーリングがある。ただ一つ音をポンと出しただけでも黒人のものは全く違う。力の入れぐあい、同じ音階、同じ長さの音であっても白人とは開きがある。 ただ一つ気持の入れ方が違うのだ。たとえ ばアーチー・シェップの出す音が僕にはよく判る。自分の気持ちが先に走っているような音楽は実にいいものだ。何かを訴えて出される音は日本人のまね事としか思えない音とは全然違って、音そのものが生きている。生きている音というものは単なるフィーリングという点だけではすでにとらえることはできない。もっととほうもなくインテリジェンスな広がりが自分の直接的な気持と複雑にからまってフィーリングと一緒になって出てくるわけだから、音には自分のすべてといってもいいすぎではないものがあらわれるのだ。だからあたりまえのことだが、ただやってカッコイイとか、ゴキゲンにハッピーでいい音が出たとか、よく手が動いたとかいうようなことだけでは  ジャズは決して決定されるようなものではない。

■ミルト・ヒントンと出会って

僕は昭和十一年生まれ。古い話になるがルイ・アームストロングが初めて日本に来て東劇でやった。その時のベースがミルト・ヒントン。他のメンバーはステージからみんなひっこんでしまい、一人でえんえんとソロをやった。当時僕はまだ学生で、親父の紹待で新開社の席で一等前だった。ミルトは丁度真上で素晴らしい演奏をして僕は感激してとうとう泣き出してしまった。ミルトは僕の顔をじっと見ながら弾いていて、涙を見たとたんにニーッと笑っていた。どうしてもベースをやるんだと思って、翌日おふくろにねだつてベースを買ってもらつた。その頃、絵の方をやっていて日展に何度か入つていたけれどもごく自然にベースを始めた。まだ絵の方もプロフェッショナルになっていたわけではなかったので、自分の趣味がまた一つ増えたという感じだつたが、今はそれが本職になってしまったというわけだ。
東劇の上にあるストリップ劇場で、なんでもいいからぜひベースを弾かせてくれといい、それでなんだかんだと一年位自分で勉強して、ミマツの前にある変てこなクラブに出始めた。あの頃は進駐軍としてアメリカからプレイヤーがそうとう日本に来ており、あるうまいプレイヤーと一緒にやることになった。そしてキャンプを中心にしてずっとその人と一緒に住んだというわけ。陸軍音楽隊に僕も加わり、朝起きてチャンチャン星条旗の掲揚というようなことをやった。(渡辺)貞夫ちゃんとか宮沢昭さんとか秋吉敏子さんとか皆、その人のところへ来ていた。結局その当時レコードを沢山もっていたのはその人だけで、ありとあらゆることを教えてもらったものだ。今と違ってジャムセツションをやる場合、聴衆の半分以上が常に外人だったせいか随分盛り上がった。
その後、清水の金ちゃんという人にひっぱられてぱられてさんざんしごかれてから、佐久間牧雄のバンドにひっばられた。それから後はもう転々、一日、ワン・ステージ、一小節、一拍などでやめてしまつたものまで含めれば、バンドを変わつたのは百近くだ。ソロをやらせなければやめる、コマーシャルをやるのならやめると自分で決めていたので今思うと小気味いいほどよく変わったものだ。お金なんかはどうでもよかった。ただただジャズをやりたいという一心でバンド遍歴をやった。同じ年に生まれた関西の人で宮本直介というベーシストがいるのだが、よく一緒に道場破りをやったものだ。ジャムセッションをやっていると、そこへ行って他のべ―スには全然やらせないで二人して交代でプレーしてしまったことが数えきれないほどあった。それだけ自信があったし、もちろん今だってある。官本は大の仲良しだし、いいライバルだ。ジョージ川口のビッグ4十1、松本英彦クヮルテット、渡辺貞夫クヮルテット (富樫雅彦、菊地雅章、渡辺、僕)など、過去について語るにはスペースがなさすぎるのでこの辺でもうやめよう。やはり問題なのは現在なのだから。
昨日までの三年間、自由ケ丘の5スボットではベースはもとより他の楽器を十二種マスターすべく研究できたのでとても有効的な落ち着いた時期だった。そういう意味では、5スポットが本格的にジャズを聴かせる店でなかったことがよかったといえよう。蒲田猛 (ピアノ)、本庄重紀 (ドラムス)、丸山尚文 (ベース)、それぞれ自分なりの可能性を秘めており、ブレイキーのさそいがなければ、近い将来まではこのメンバーで続けていくつもりでいた。よくセロを弾いたが、セロはかれこれ八年になる。セロとベースは同じようなものだといえよう。ただ僕の場合は、ダブル弦で、それだけに細く、ネックが小さいとかボジションがベースとは違ってきたりはするが、チューニングは同じだ。
管楽器を入れなかったのは好きではないからだ。一緒にやるとベースは聴こえなくなってしまう。ベースというのは特に自分の音が聴こえなければ絶対に駄目で、デリケートなものだ。自分の音が聴こえないほど他の楽器が大きい音なのに共演しているベーシストが、いわゆるニュージャズであ ろうがオソードックスなものであろうが仮にいるとすれば、その人はまあ大したことはないと僕は判断している。だから、電化楽器の場合でも音の大きさにもよるが、今はやりのガタガタやっているようなのは全く無意味だ。あのようなことをするのならば、むしろでっかいスピーカーを四つ位ステージに置いて一人でバカバカ、ピアノもなにもなしでやった方がいいのではないかと思う。

■ 演歌のない国ヘ

最近また、ジャズがブームだといわれているが、マスコミが先行していて不自然だと思う。聴衆は全体的にみるとムードだけを味うために聞きに来る人が多い。ステージからそれがありありと判る。僕は一人でもしやべっている人がいればやりたくはない。
どこのテレビをひねっても流行歌ばかりだし、客もろくすっぼ聞いてくれない。僕のやってることは判ってもらえないという気持はいつもあつた。演歌だかなんだか知らぬが、それが売れてるうちは僕は日本にはいたくない。東京だけでジャズが受けているとしても、地方で売れなければ仕方がない。こんなことを僕一人がいったところでどうにもなりはしない。はやく演歌などない国へ行きたいものだ。ブレイキーとの契約がきれても次々に新らしく契約してできる限リアメリカで演奏したい。とにかくさみしい話だが、僕は日本では今やりたくない。アメリカと比べた場合、日本のジャズとは段違いだ。本当の意味で何人ジャズに没頭している人間が日本にいるというのだろう。すぐお金に走っちゃったりするからいつまでも低レベルなのだ。アメリカでメンバーがすぐ集まるのは、スタジオをやりたくないから、ジャズだけをやりたいからという遊んでいるミュージシャンがいっぱいいるからだ。
自分のソロの時だけ頑張り、あとは手ぬき工事というようなプレイヤーも日本的な発想でどうもいただけない。アンサンブルの重要性を再考しなおす必要性を感じる。それにまだプロとしてはやれないような人までが平気な顔して演奏しているが、あれでは聴衆を裏切ることになる。日本のミュージシャンのまず九十パーセントがプロとして実力不足だ。ジャズに対するパッションに欠けている者が大半を占めているのだから、日本のジャズってのはチャチなものだ。
このところ日本でもいわゆるニュー・ジャズを演奏するグループが台頭してきているのだが、既して真似ごとでなんの意味も見いだせないのではないだろうか。高柳昌行さんは知っての上でやることだから僕は何もいえないし今後もよく見守り行く末を期待もしている。ところが便乗組のはまず問題外だし、アメリカでは全く相手にすらしてもらえないだろう。オーソドックスがバッチリでき、それから追いつめていっていわゆるニュー・ジャズになったというのなら必然性があっていいのだが、大部分にそのような必然性を認識することができない。ろくすっぼブルースもできないくせしてイキがつてニュー・ジャズとやらを演奏している姿なんて、とんだ茶番だ。山下洋輔君のピアノなぞは僕からみれば評価の対象にもならないイモだ。ジャズの歴史が歩んできた流れにおける真中の部分が欠けているから、先が見えている。積み立ててきたもののない人はどんなに新らしいとみられていることを一生懸命やったとしても結局デタラメに等しいといえよう。
次に日本の評論家だが、ジャズを判っている者は一人もいない。彼らがジャズと本気でかかわっているなどとは一度も思ったことがないから、少しも恐くない。相倉久人という人は銀巴里時代に「ジャズのゲリラ活動のはしりみたいな事をやっていた」とか書いているが、とんでもない話だ。金の分配とか司会とか連絡係のようなことをやってただけだというのに、しらじらしく活字に残しておくなんて自分で自分の墓を掘ったようなものだ。
日本のジャズの問題点としてジャズ協会にも触れておかねばなるまい。ユニオンを作るとしても内容によりけりだとは思うのだが、結局のところはユニオンはできそうもない。最初、貞夫ちゃんとか僕は入っていなかった。一年に会費三千円だしみんなみんなと顔も合わせられるしとわりきって入ったが親睦団体としてすらなっていない。会費さえ出せば誰だって入れるのだから何かをやろうと思っても運営不可能だ。
僕はミルト・ヒントンとの出会い以来日本のジャズとつきあってきたわけだが、「ちょっと違う。ちょっと違うんだな?」と常にそういう疑問符を日本のジャズ情況にいだき続けてきたのだ。

■ 自分のすべてを音に

僕からジャズをとったらもうあとは何もない。目標はロン・カーター、リチャード・デビス、レッド・ミッチェルなどだ。新旧に関係なく問題は内質なのだ。自分のすべてを音にかけられなければ、ミュージシァンとしては失格だ。「もうオマスズ (僕のあだ名) の時代は終った」という声を聞いたこともあるのだが、僕のねらいはまだまだ限りなく広がっているし、確信もある。そして、日本を去るにあたってこれだけのことをいった以上、帰国した時の演奏を聴い てくれとしかいいようがない。その時どれだけ変わっているか、よくなっているか、最大限僕はやってみせる。

初出:隔月刊JAZZ No.6(1970 昭和45年 ジャズ・ピープル社)

杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

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