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Reflection of Music 横井一江No. 296

Reflection of Music Vol. 88 藤堂勉(藤川義明)

 


藤堂勉(藤川義明) @なってるハウス 2022
Tsutomu Toudou (Yoshiaki Fujikawa) @Knuttel House, November 24, 2022
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江


もはや伝説と言っていい存在だった。

2019年11月に「あれから50年〜ニュージャズホールを知っているか?」というイベントが新宿ピットインで開催された。1969年11月21日にジャズ評論家の故副島輝人が新宿ピットインの楽器倉庫だった場所で、ニュージャズホールを始めてから50周年であることから企画された催しである。そこで、今井和雄カルテットのメンバーとして藤堂勉が出演していたことから、随分と久しぶりに彼がサックスを吹く姿を見た。往年のファンには、藤堂勉というよりも藤川義明と言ったほうが分かりやすいだろう。70年代、80年代にはフリージャズ界隈で一世を風靡したサックス奏者であり、ニュージャズホールとも縁が深い人物だ。

その藤堂勉(藤川義明)のキャリアを簡単に振り返ってみよう。彼の初期の活動でまず名前が挙がるナウ・ミュージック・アンサンブル(NME)、その始まりがニュージャズホールだった。副島輝人著『日本フリージャズ史』(青土社、2002年)にはこう書いてある。

そもそもは、七〇年二月、沖至トリオのメンバーでもあった翠川と田中が、親友の藤川と吉田を連れて来て、ニュージャズ・ホール新人研究会の名の下に出演したのが始まりだった。日本のニュージャズ、第二世代の登場である。かなり破天荒なステージに、やがて確実なファンがつき始め、NMEの出演日には必ず来るという客も多くなっていった。NMEの目指したものは、フリージャズも含めて通常のパフォーマンス・スタイルの解体であり、更には市民社会に巣食って生きている人々の日常性破壊という過激なものだった。だから、その大胆な表現と潜在するコンセプトが注目されて、当時学生運動の火に染まっていた各大学の秋の学園祭に、次々とお呼びがかかった。七〇年代初期、もっとも多くの大学を廻ったのは、山下洋輔トリオとNMEだったのである。

メンバーは、藤川義明(藤堂勉)、翠川敬基、吉田正、田中保積、少し遅れて角張和敏が入りクインテットになった。その音源は『インスピレーション&パワー14・フリージャズ大祭』(トリオレコード)ぐらいしかなく、パフォーマンス性が高いというステージは幾つかの残された写真と伝聞でただ想像するしかないのだが、当時としてはかなりエキセントリックなものだったことは想像に難くない。

NME解散後は高柳昌行ニュー・ディレクションのメンバーとして活動する。当時、高柳昌行の私塾「練熟」に通い、ギターを師事する傍ら高柳のボーヤを務めていたのが今井である。2019年のイベントの出演者の顔ぶれを見た時にはすぐには分からなかったのだが、今井以外の藤堂、井野信義、山崎比呂志というカルテットのメンバーは高柳昌行ニュー・ディレクションに在籍していたミュージシャンであり、そのオマージュだったことにやがて気がついた。

その後、藤川はFMTを翠川敬基、豊住芳三郎と結成する。1979年、副島輝人がメールス・ジャズ祭に紹介した最初の日本人グループがFMTだった。『FMT/ユー・ゴット・ア・フリーダム』(ALM-Uranoia)はその一年前1978年の録音で、当時のフリー・インプロヴィゼーションの到達点を知る貴重な記録である。そして、1982年に藤川はイースタシア・オーケストラを結成する。当時30代のフリージャズを演奏するミュージシャンを中心にメンバーを集め、オリジナル曲を演奏。第1作のタイトルが『照葉樹林』(Mobys Records)であるように、藤川の視線はアジアに向かっており、アジア的なモチーフが作曲に組み込まれていた。面白かったのは、藤川のパフォーマンス性のある指揮ぶり、ステージには遊びの要素があった。そのエンターテインメント性もまた聴衆を惹きつける要素だったといえる。イースタシア・オーケストラは、1984年にメールス・ジャズ祭に出演、旧東ベルリンも含めたヨーロッパ・ツアーを成功させる。当時の為替レート、航空券の価格を考えるとオーケストラでツアーを行えたこと自体が奇跡的な出来事だったのだ。東ベルリンでの演奏はブートレグ盤『East Asia Orchestra / Jazzbühne Berlin ’84』(Repertoire Records) が後に出ている。ヨーロッパの聴衆にとっては、サン・ラともグローブ・ユニティ・オーケストラとも異なるオーケストラ、アジアから新しい風が吹いたという受け止め方だったのではと想像する。メールス・ジャズ祭にその名を残したものの、イースタシア・オーケストラでの活動は5年程度だった。短命で終わった理由には、古今東西を問わずオーケストラでの活動を維持していく難しさがあったのだろう。斬新なことをやろうとするオーケストラならば、尚の事である。

90年代以降も彼はライヴ活動を継続してきたが、大きな話題がなかったためかメディアに取り上げられることもなく、熱心なファンのみが知るところだった。そして、暫く前にアーティスト名を藤堂勉に変えて今日に至る。そのような中、今井カルテットのCD『HAS THE FUTURE BECOME THE PAST』(Jinya Disc)がリリースされた。藤堂の最近の演奏が聴ける唯一ともいえるCDである。タイトルは問いかける。「未来は過去になったのか」と。演奏者の顔ぶれからオールド・スクールをイメージするかもしれない。しかし、常にアップデートされてきた音表現が「過去になる」ことなどないのだ。高柳の薫陶を受けた各々のミュージシャンが約半世紀に亘る時間の中で獲得してきた表現の多彩さ、その豊かさに耳を洗われ、そしてまた、フリージャズいや高柳ニューディレクションが持っていたサウンドの激しさに圧倒される。ここでは全ての音が内在化されているのだ。藤堂のサックスも然り。実はこのようなサウンドは今の時代にシンクロしているのではないかとさえ感じる。つまり音のリアリティがあるということだ。

いつだったろう、たしか90年代に入った頃だったと思うが、副島輝人との会話の中で出て来た言葉が記憶から蘇ってきた。「藤川はNMEとイースタシア・オーケストラと凄いことをやった。きっとまた何かやるよ」と。現在の彼の演奏を聴き、さもありなん、と思ったのである。伝説になるにはまだ早い。

 

蛇足になるが、『HAS THE FUTURE BECOME THE PAST』レコ発ライヴに出かけた時、客席の年齢の高さが気になった。数年前、メールスを訪ねた時に現音楽監督のティム・イスフォートが、我々は今の音楽を紹介すると同時にレジェント達を若い世代に知ってもらうというタスクも負っているといったことを語っていた。だから、私が行ったその年はマーシャル・アレン、ギュンター・ゾマー、トン・ゼーなども出演していた。情報伝達方法が大きく変化する中、音楽ファンも階層化され、マイナーな分野ほど狭いサークルの中に囲い込まれがちだ。メディアのあり方についても再考、アップデートしていかなければいけないと改めて考えさせられたことを付け加えておこう。

 

今井和雄カルテット[今井和雄 (g)   藤堂勉 (sax)   井野信義 (b)   山崎比呂志 (ds)]@なってるハウス 2022

 

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横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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