BANZAI E.E.U. trumpeter 近藤等則
text by Toshinori Kondo 近藤等則
E,E,U,が結成された当時(1975年夏)我々にとって最も興味あるミュージシャンは、アート・アンサンブル・オブ・シカゴであり、スティーヴ・レイシーだった。我々は、フリー・ジャズ以降の演奏のあり方を模索していたが、まだジャズを意識していることにかわりはなかった。その頃間章が「ジャズの死滅へ向けて」の論文を執筆し始めていたように。
ミルフォード・グレイブスの来日によって、我々のジャズに対する集大成がおこなわれ、その翌年、デレク・ベイリーの来日によって、我々の前にフリー・インプロヴィゼーションの道が提示された。それは、フリー・ジャズ以降の、最も明確で、可能性に満ちた新しい方向として、我々にうつった。2人の来日を通じて、我々はやっとジャズからふっきれ、フリー・インプロヴィゼイションへと向けて、ヨーロッパ・フリーの活動の内実を、E.E.U.自身の活動の中に生かそうとしはじめた。
そして、今年春、ハン・ベニンク、ペーター・ブロッツマン来日。ここで何がおこったか。僕にとって、今回の演奏は、ミルフォードとの時、デレクとの時よりはるかにキビシイものとなった。それは、彼ら2人が、ミルフォード、デレクより優れているとかいうことではなく、演奏に向かう僕の姿勢が、変わったからだった。
今回、僕は、彼らと全く対等の関係で、ステージにあがり、個と個の戦いをやろうと心に決めていた。だから、日本人のミュージシャンの写真も同じようにポスターに載せるようモルグ社の連中に口をすっぱくして言ったりもした。そして、彼らの存在の大きさにゆきあたった。もう、僕には。フリー・インプロヴィゼイションとかなんとか、どんな音を出すかとかじゃなくなった。自分の存在そのものを問題とするところまで来たのだ。
E.E.U.は、こうして、今、グループとしての活動を終える時期に来た、と僕は思う。我々はこれから個々の存在を最もハードなところに置くべく、それぞれの活動を、何ものにもしばられないで、十二分に展開してゆくであろう。
E.E.U.:Evolution Ensemble Unity
E.E.U.ワークショップ
12月22,23日 明大前・キッドアイラックホール
近藤等則(tp) 高木元輝(sa) 吉沢元治(b) 河野優彦(tb)
E.E.U.ワークショップ Open Music For The ’80s
2月7,8日 明大前キド・アイラックホール
吉沢元治(b) 高木元輝(sax) 近藤等則(tp) 板橋克郎(p) 芳賀隆男(sax) 柴田耕三(g)
*初出:「morgue」No..3 Autumn 1980 (発行:モルグ社)資料提供:橋本達也
*関連記事:https://jazztokyo.org/issue-number/no-271/post-58629/