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R.I.P. チック・コリアNo. 275

CHICK COREA (1941-2021) by ECM

photo above by Karlheinz Klüter/ECM

チック・コリア (1941-2021)
当代きっての即興音楽家のひとりで際立って幅広い音楽性を有していた演奏家だったピアニストのアルマンド・アンソニー ”チック” コリアが亡くなった。行年79。若い頃から様々なスタイルを変遷してきたチックは、まずはモンゴ・サンタマリアとラテン音楽を、次いでブルー・ミッチェルとビバップを、さらにはジュリアード音楽院で短期間だが現代音楽の作曲を学ぶなど、つねにジャンルを超越することに意欲を燃やしていた。1960年代には、スタン・ゲッツの『Sweet Rain』からマイルス・デイヴィスの『Bitches Brew』の録音まで創造的なエネルギーを注ぐ一方で、ミロスラフ・ヴィトウスとロイ・ヘインズを擁した自己のアルバム『Now He Sings, Now He Sobs』によってピアノ・トリオによるインタラクティヴな演奏のハードルを上げたのだった。

ECMの最初期のチックの録音作品はどれも非常にオリジナルな内容を伝えるものとして残っている。たとえば、1970年8月に録音されたECM4作目であるマリオン・ブラウンの『Afternoon of a Georgia Faun』では漂う雲のようなパーカッションの下でチックのピアノが綾を織リなしている。

1971年4月、マンフレート・アイヒャー(註:ECMのオーナー/プロデューサー)とチックは、オスロに出向き、2枚シリーズとなった『Piano Improvisations』を録音した。このアルバムこそのちに世に大いなる影響を与えることになるECMのソロ・ピアノ・シリーズの嚆矢となったのだった(チックのあとにはすぐキース・ジャレットとポール・ブレイが続いた)。マンフレート・アイヒャーは述懐する;チックのクリスタルのようにクリアなピアノのタッチと音楽に対する自由なアプローチに耳を傾けていると、ソロ・ピアノ・プロジェクトを展開していきたい衝動に駆られたんだ。

1972年、駆け出しのECMは年間4枚のアルバムしかリリースできなかったが、そのうちの3枚はチック・コリアの作品だった。まずは、『Solo Improvisation』の Vol.2で、このアルバムには嬉しいことにモンクの魅力的な<Trinkle, Tinkle> が含まれていた(モンクはその後も多くの楽曲をものしているが)。次いで、アンソニー・ブラクストン、デイヴ・ホランド、バリー・アルトシュルを擁した「Circle」というユニットによる激烈な演奏を収めた『Paris Concert』。そして、当代の期待を一身に担い長寿のバンドとなった「Return To Forever」のデビュー作。フローラ・プリム、ジョー・ファレル、スタンリー・クラーク、アイアート・モレイラがチックの下に集い、陽気なラテン・リズムに乗って明るいメロディが舞い、楽観的な心持ちを歌い上げた。

再びマンフレート・アイヒャーの述懐;ミュンヘンからやってきた新米のプロデューサーにとってマンハッタンのA&Rスタジオでエンジニアのトニー・メイとともにこのプロジェクトの一員になることはとても挑戦的かつエキサイティングなことだった。チックの楽曲を演奏する彼らのエネルギーは素晴らしかった。チック自身が奏でるFender Rhodesのサウンドも美しく、まばゆいばかりで、催眠術にかけられるようだった。

さらなる創造的な記念碑『Crystal Silence』は、コリアとゲイリー・バートンによるピアノとヴァイヴのデュオで、彼らはその後毎年のように40年間も共演を続け、独自の名人的な室内楽の世界を造り上げた(1982年の『Lyric Suite』ではストリングスをプラスした)。チックとゲイリーは、お互いの即興的な反応、フレーズ、リズムのアクセントを先読みし対応する才に長けていた。結果はしばしば息をのむほどの素晴らしさだった。瞬間的に沸き上がるメロディとカウンターメロディの応酬、一糸乱れぬ音の奔流...。「僕はこれこそ本来の意味のコンテンポラリー・ミュージックと呼びたい」とチックは1974年に語っている。「つまり、僕らがハーモニーと形式の面でクラシックの影響を受けているの事実だ。その上で、僕が挑戦しつづけていることは、(クラシックの持つ)ハーモニーと、メロディ、形式の玄妙さと美しさをジャズとフォーク・ミュージックが持つ自由闊達さ、リズムの軽妙さを融合させることなんだ」。

チックのソロ・ピアノ集である『Children’s Songs』は、バルトークの『Mikrokosmos』やクルタークの『Játékok』シリーズと比肩される美しい寓話的世界に満ちたアルバムだった。

1981年、ヴィトウスとヘインズを擁するトリオが復活したが、これは1967年以来(註:『Now He Sings, Now He Sobs』)初めてのことだった。彼らはスケジュールの合間を縫っては活動を続け、セロニアス・モンクの楽曲を何曲もレパートリーに加えて行ったが、メロディの中に自由を見つけていく作法はロイ・ヘインズのモンクとの実体験に拠るところが大きい。

若いプレイヤーたちを励まし続け、リーダーとしてリスペクトされていたコリアのあとに続く者たちへの最後の言葉は、苦しみこそが創造性への鍵であるという考えを否定し続けてきたひとりの音楽家としてきわめて特異なものであった。いわく、「楽器に触れたい、作曲したい、演奏したいと思っている人たちは、そうしなさい。自分自身のためでなければ、皆んなのために。世の中が不要だと言えば、自分が楽しむためにやればいい」。(訳責:稲岡/JazzTokyo)

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