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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江No. 257

#14 姜泰煥という異能

text & photo by Kazue Yokoi  横井一江

 

『姜泰煥+高田みどり/永遠の刹那 Kang Tae-Hwan+Midori Takata/An Eternal Moment』(NoBusiness Records)がリリースされた。1995年の姜泰煥と高田みどりとのデュオのライヴ録音である。今年4月来日時に姜泰煥の演奏を観ているだけに、90年代半ばの彼の姿を懐かしく思い起こしながら聴いた。

姜泰煥の初来日は1985年の「トーキョー・ミーティング」、サムルノリの金徳洙が渡韓した近藤等則に姜泰煥を推したことでこの来日が実現した。今世紀に入ってからの韓流ブームを考えると信じられないことかもしれないが、80年代に入るまでは韓国の音楽事情についてはほとんど知られておらず、また隣国でありながらもジャズを通した交流はなかった。1988年開催のソウル・オリンピックを招致し、1987年に全斗煥の後継指名を受けた盧泰愚による韓国の民主化宣言は発表されるという政治的な変化も、90年代に入る頃から韓国の音楽家との交流が始まったことと無関係ではないだろう。

来日は姜泰煥の音楽キャリアにとって、大きなターニングポイントだったといえる。9歳の頃からクラリネットを始め、エリートが入る芸術高等学校に入るもののクラシック音楽は体質に合わず中退。その後、いとこの金大煥が米軍基地で演奏していたことから、ジャズを演奏するようになった。現在の彼の演奏からは想像つかないだろうが、オーソドックスなジャズを演奏していたのだ。だが、オーネット・コールマンなどが好きだったことから、即興演奏への欲求は彼をフリージャズへと向かわせるのである。しかし、ナイト・クラブでフリージャズを演奏できる筈がなく、ナイト・クラブでの仕事をやめて、コンサート形式で演奏しようと決心した。それでは生計が成り立たないので宝石鑑定を職業にしたのである。フリージャズの演奏を始めたのは1977年ごろだという。1978年に建築家キム・スグンが「コンガン(空間)」という小劇場を建て、芸術家が集まる場となった。サムルノリもまたここで始まった。1986年にキム・スグンが亡くなり、活動が停止されるまで、ここが姜泰煥の根拠地となり、彼は独自のフリー・ミュージックを形成していったのである。1987年3月末に「朱の舞」(山下洋輔(p)、サムルノリ(per)、姜泰煥(as))で2度目の来日、4月初めに新宿ピットインでは富樫雅彦カルテットにゲスト出演している。来日公演後のジャズ批評の取材に対して、このようなメッセージを寄せている。

日本のミュージシャンがここまでジャズを発展させてきたことに、もう無条件、感服します。尊敬してます。日本に来て、本当に短い時間だったけれども、日本のミュージシャンといっしょにセッションをやることができて、自分の存在を確認することができた。自分の生活を全部忘れて、心から音楽の世界にひたることができました。音楽の中にひたって、私自身がすごく幸せな時をすごせばすごすほど韓国に残っている仲間のミュージシャンのことが気がかりです。こうして日本のミュージシャンと共演してみて、日本のジャズをやっている人たちが一流の音楽家であること、それに、みんなが一つの音であり言葉であるということを感じました。音楽を通してみんなが東西南北の区別なく一つになれる。一つにできるものが音楽ではないかということを強く感じました。(ジャズ批評 No. 58)

その後、トリオ(姜泰煥(as)、崔善培(tp)、金大煥(pec))でも日本ツアーを行うが、単独で活動したいという気持ちからトリオを解散してしまう。韓国では当時フリージャズを演奏するのは姜泰煥トリオだけで、その活動の中で研鑽を重ねてきた。だが、日本の音楽シーンで様々なミュージシャンとの共演を経験したことから、自身の演奏をトリオの枠を超えて、さらに発展させたくなったのだろう。トリオでの日本ツアーの際に函館でゲスト参加したのがパーカッショニストの高田みどりである。昔、なにげに会話している時に「みどりはいい」と何度か聞いたことを思い出す。意気投合したのか、90年代は度々共演している。2人に佐藤允彦(p)が加わり、歴史的なユニット「トン・クラミ」となった。韓国語で環を意味するトン・クラミと名付けたのも高田みどりである。佐藤允彦については、理論的にも演奏技術も卓越していて、教育的な観点からも後輩たちがたよりにできる素晴らしいミュージシャンだと評している。佐藤と演奏するようになってから、暫くは他の人(ピアニスト)とは演奏したいと思わなかったとまでいう。もっともマイクロトーンを用いる姜泰煥とピアノとの共演はなかなか難しいものがあるのだが。ちなみに、座って演奏するのは、佐藤允彦、高田みどりと旭川で演奏した時が最初だった。会場で試した時、響いてよい音が得られたからだと。それ以前から自宅は狭いので座って練習していたそうだ。当たり前だが、座るとサックスのベルと天井との距離が広がり、立って演奏するのとは違う音響効果が得られることは確かである。

CD『永遠の刹那』では、そんな高田みどりとの交歓が捉えられている。音像の中心には姜泰煥がいて、高田みどりはそれに色付けするかのようにサウンドに豊かさを入れている。既に姜泰煥は現在に繋がる独自の奏法を創り上げており、その多彩な表現で、例えば、最初のトラック冒頭の鳥の鳴き声のようなサウンド、そしてまたダイナミックな音のうねりなど、サックスから放たれるのは融通無碍な世界、高田みどりは背景で音の方向性を絶妙に導いている感がある。この二人の対話は、有機的に変化するサウンドが流体のように動き、時にスリリングである。こうしてデュオで聴くと、2人の相性の良さだけではなく、高田みどりが姜泰煥に大いに刺激を与えたミュージシャンだということがよくわかる。このCDは貴重なスナップショットだ。

姜泰煥 with 田巻真寛 (映像)@宇都宮市be off, 2019

姜泰煥の音の探求はさらに続いていく。今では演奏の三分の一はマイクロトーンだという。一オクターヴを12音ではなく、24音にも40音にもする。面白く使えば音楽性があるが、下手に使うを音痴に聞こえるので、効果的に使うのがいいと彼は言うが、三分の一も用いているのだから、恐るべきコントロール力である。また、ジャズの影響は情熱とトーンカラーにあるといい、トーンカラーがいいと数秒で感動させるとそれを重要視している。会話の中で、コルトレーンの<サン・シップ>のフィンガリングとオヴァートーンがが素晴らしいと語っていたが、オーヴァートンが音楽に与える効果についても常人以上の研究をしていることは間違いない。特殊奏法を用いる演奏者を聴く時、技術的・技巧的なことに耳が行きがちだ。しかし、それは音楽的な内容に付随するものであり、技術が先にあるわけではない。あくまで音楽的内容が先にあり、思考性を重視しているのである。

そして、姜泰煥の即興性を重視する姿勢には、クリスチャンとしての信仰と思惟が垣間見える。既に習熟した技術、音楽的知識での創造には自ずと限界があり、独創的なものは必ずしも努力するだけで得られるものではない。それは創作に対する意欲や情熱、あるいは努力し、練習することによって必ずしも達成されるわけではく、全て神の思し召しによるとという考えが根底にある。

最近作はおそらく2012年録音『素來花 Sorefa』(Audioguy Records) だろう。これはサックス・ソロでの録音では歴史に残る一枚だ。自らを「音楽に狂っている人間、音楽で幸せを感じる人間」という姜泰煥。その道行きに終わりはない。

 

【参考資料】

ジャズ批評 No. 58 (1987. No. 3)
ジャズライフ 1990年2月号
Improvised Music from Japan 2004
筆者自身によるインタビュー(2019年4月)

 

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及川公生の聴きどころチェック
#539『姜泰煥+高田みどり/永遠の刹那』
https://jazztokyo.org/reviews/kimio-oikawa-reviews/post-42593/

河村写真事務所 #001「高田みどり|姜泰煥」
https://jazztokyo.org/issue-number/no-257/post-43163/

CD Review #1497 『姜泰煥 Kang Tae Hwan / Live at Café Amores』
https://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-25325/

CD Review #1439  『TON-KLAMI / Prophecy of Nue』
https://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-20007/

Reflection of Music Vol. 40 姜泰煥
http://www.archive.jazztokyo.org/column/reflection/v40_index.html

Reflection of Music Vol. 29 姜泰煥
http://www.archive.jazztokyo.org/column/reflection/v29_index.html

 

 

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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