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BooksReviews~No. 201

#075 五海ゆうじ『阿部薫写真集 OUT TO LUNCH』

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

書名:阿部薫写真集 OUT TO LUNCH
著者:五海ゆうじ
版元:K&Bパブリッシャーズ
初版:2013年10月16日
定価:本体3800円+税
* 初回限定特装版・世界対応バイリンガル・エディション

腰巻きコピー:
鼓膜を貫き、ジャズを突き抜け、新世紀のグルーヴへ—
誰よりも速く時代を駆けぬけ、29歳で夭逝した伝説のアルトサックス奏者、阿部薫。異様な速度と凝縮力は、今なお新たなファンを惹きつける。日本のフリー・ジャズ・シーンに伴走した写真家、五海ゆうじが写真と文でつづる流星の軌跡。お楽しみはこれっきり、さあ最初で最後のランチにでかけよう。


チャーリー・パーカーの新刊『bird The Life and Music of Charlie Parker』を読みながらしきりに阿部薫のことを思い出していた。ともに天才肌のアルトサックス奏者、音楽に真摯に向き合い、スピード感を身上とし、アディクションが原因で夭逝。そんな折りも折り旧友の写真家・五海ゆうじから阿部薫の写真集が届いた。あまりの符合に思わず後ろを振り向く。阿部がいるのではないかと。阿部といえば「黒」が基調だ。レコードのジャケットや阿部に関する著書の表紙は「黒」が定番。しかし、この新刊のカバーはモノクロだが「黒」は最低限に留めて白地を多く残し、タイトルはショッキング・ピンクだ。阿部を過去に封じ込め、鍵穴から覗き見ようという従来の視点ではなく、誰でもが親しく触れ合えるように天国から明るい表通りに降りてきてもらおうという若い編集者・須川善行の狙いである。

僕の阿部との付き合いは最晩年のわずかな時間に限られている。渋谷のジャズ・カフェ「メアリー・ジェーン」のオーナー福島哲雄(当時)と詩誌「ユリイカ」と「カイエ」の編集長を務めた小野好恵(故人)の紹介だった。小野からは阿部の絶頂期の演奏を収めたテープを預かり、3枚のCDにまとめてリリースした。演劇人の芥 正彦とは彼が秘蔵していたソロ演奏を『彗星パルティータ』の名でアルバム化した。阿部と直接係わったのは初めて生まれてくる子供のためにアルバムを残したいという彼の希望を叶えるためである。抑えようのない創作衝動に駆られての録音ではなかったが、六本木の小さなスタジオで1、2度だったがリハーサルを重ねてモチヴェーションを高める努力は怠らなかった。高田馬場のBigBoxでアルト、ピアノ、ハーモニカを録音した。この時の写真が何枚か収録されている。初めて父親になる期待と不安がないまぜになったような表情が見てとれないだろうか。阿部のソロは、『なしくずしの死』(録音:1975/発売:1976)と『彗星パルティータ』(録音:1973/発売:1981) があれば良いと思い、テープは録音中に死出の旅への挨拶に立ち寄った盟友のジャズ評論家中野宏昭の思い出とともに封印しておいた。ところが、録音から十数年後、どうしてもリリースしたいという申し出が原盤所有者から届き、一切手を加えずにドキュメンタリーとしてのリリースを条件に同意せざるを得なくなった。

五海の写真をみながら、崔洋一監督の当時の社会状況を伝える寄稿を読みながら、YouTubeにあげられた阿部と豊住芳三郎percの<アカシヤの雨がやむとき>を聴きながら、往時を思い出している。<アカシヤ>は当時の学生運動家のテーマソングであり、学生運動家に祭り上げられた阿部のテーマともなった。

阿部はパーカーではなく、エリック・ドルフィーを父に、ビリー・ホリデイを母に生まれた、と言っている。パーカーは34歳で逝ったが、阿部は29歳。ドルフィーは36歳だった。

*初出 JazzTokyo  #191  (2013.10.27)

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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