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BooksNo. 294

#115 『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』

text by Hideaki Kondo 近藤秀秋

書名:齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体
著者:齊藤聡
版元:カンパニー社
初版:2022年8月25日
価格:¥3,000+税
判型:四六判
頁数:352ページ

2019年に逝去した作曲家/コントラバス奏者・齋藤徹について書かれた本。冒頭に32ページに及ぶ貴重な写真が載せられ、以下はほぼ時系列に沿う形で評伝が書かれる。評伝は多くの資料や関係者への取材をもとに丁寧に書き上げられており、随時残された録音や映像制作物が紹介される形となっている。

齋藤徹は、ジャズ、タンゴ、フリーインプロヴィゼーション、現代邦楽、韓国音楽など、様々な音楽を螺旋状に巡りながら独自の演奏表現を確立した音楽家。特にプレイヤーとして優れ、絶対的なレベルが要求される、ある演奏局面における一流プレイヤーだった(*)。同時にその強靭な演奏は、身体性を軸に人間性の置き場所を模索した挑戦の表象形式でもあった、と私は思う。この本にも紹介された齋藤徹の録音物の中には、間違いなく後世に残すに値するものがあり、その挑戦は今を生きる人の生き方・在り方に大きなヒントを与える可能性を秘め、ゆえに歴史化されるに値する音楽家だ。しかし一般に知られた存在とはいいがたい。齋藤徹、ひいては彼が表象させた音楽のある局面は、伝わればおそらく人間の在り方にとって大きな意味を持つ事になるだろう。この本最大の存在価値のは、齋藤徹という類い稀な音楽家を、音以外の面から歴史化する最初の一歩となりうる点にあると感じた。

この本は、齋藤徹の音楽を理解する助けにもなる。私は齋藤徹の音楽に魅了された経験を持つひとりだが、そんな人間にとっても、時として齋藤徹の音楽は理解の難しいものがあった。理由のひとつは、コンテキストが理解の前提となっているからだろう(だから思想なのだ)が、齋藤徹とその音楽のコンテキストを分かりやすく提示したという点も、本書の高い価値のひとつと感じた。

もうひとつ、私が特に強く感じたこの本の素晴らしい点は、著者である齊藤聡のパースペクティブだ。敢えて思想という言葉を使うとすれば、音楽は内観を伴う思想であって記号だけでは存在できず、それだけに演者にしか体験しえない領域を含んでいる。体験ゆえにそれは語りえない(記号化しえない)ものだが、しかし言葉でその存在を指示する事は出来る。著者はそれをこの本で見事に果たしたし、またその指示は齋藤徹の音楽とリンクするものと感じた。この点において、齋藤徹やその音楽への理解だけでなく、その先にあるものへの理解にも有益な書であると強く感じた。

最初にも書いたが、齋藤徹は、歴史化される価値のある音楽家であると私は思う。単純に、齋藤徹の残した音楽がある世界とない世界のどちらが、以降の人間性の発展に有益であるか、という意味だ。歴史化が果たされるためには、先ずは命題となる主張なり解釈なりが存在しない事には始まらない。以降はその命題にどれだけの人が意義や正当性を認められるかだが、私には、この本は命題としての役割を立派に果たすものであると感じた。素晴らしい書籍だ。(2022.9.9)

(*) 例えば発音、例えば表現。発音の例で言えば、そのクオリティは好き嫌いを超えて歴然としている。表現の例で言えば、その方向性はともかく、その力は絶対的なものだ。表現力ある演奏と、表現しているふりをしている演奏は、そこに踏み入れた人にとっては弁解の余地がないほどに歴然としたものであって、音がすべて語っている。ここに言語の立ち入る余地はなく、発音された音の上で嘘をつく事は出来ない。好き嫌いではなく優劣の演奏局面(のひとつ)で、齋藤徹は一流である、という事。

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近藤秀秋

近藤秀秋 Hideaki Kondo 作曲、ギター/琵琶演奏。越境的なコンテンポラリー作品を中心に手掛ける。他にプロデューサー/ディレクター、録音エンジニア、執筆活動。アーティストとしては自己名義録音 『アジール』(PSF Records)のほか、リーダープロジェクトExperimental improvisers' association of Japan『avant- garde』などを発表。執筆活動としては、音楽誌などへの原稿提供ほか、書籍『音楽の原理』(アルテスパブリッシング)執筆など。

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