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CD/DVD DisksNo. 266

#1987 『藤本昭子&佐藤允彦/雪墨(ゆきすみ)』

text by Masahiko Yuh 悠 雅彦

日本伝統文化振興財団 YZCG-828

1.黒髪(くろかみ)(作詞不詳、湖出市十郎作曲)
2.影法師(かげぼうし)(橘万丸作詞、幾山検校、北村文子作曲)
3.乱輪舌(みだれりんぜつ)(八橋検校作曲、佐藤允彦ピアノパート作曲)
4.雪(ゆき)(流石庵羽積作詞、峰﨑勾当作曲)

藤本昭子(歌、三弦、筝)
佐藤允彦(ピアノ)

雪墨~ゆきすみ、とはまた何とイメージ豊かな言葉を考え出したものだろう。この漢字2字に込めた藤本昭子の想いの深さがこの2文字に象徴的に示されているのではないか。その標題に吸い寄せられるように、藤本昭子と佐藤允彦が描き出す黒髪と白雪の鮮烈な対比が生む、情と悔恨のやるせない女心の哀感が聴くものに切々と迫る端唄<黒髪>に始まり、年老いた芸妓が過去の回想に現在の心境を重ね合わせた峰﨑勾当作曲(作詞は流石庵羽積)の名曲<雪>で印象深く閉じられるこの<雪墨>の情念の深さが、これ以上なく印象的なたたずまいを湛えた感動を呼び覚まさずにはおかない。かつて故・菊地雅章と対照的な表現世界を競い合った佐藤允彦の研ぎ澄まされたピアノの響きが、<黒髪>に続く正調<影法師>でもこの上ない情念の深きたたずまいを生み、続く<乱輪舌>の 舞台を用意する。ある意味では、この<乱輪舌>こそ、佐藤は無論だが演奏家としての藤本昭子の知られざる卓越性を強く印象づける、まさに目を見張らせずにはおかない注目に値する本アルバム中屈指の一篇だった、と断じても決して言い過ぎにはならないだろう。谷垣内和子さんの細部まで目の行き届いた解説文の中に “時代を超えて、誰もが屈指の名曲と認める作品” に、ついに≪名演≫と呼ぶにふさわしい演奏がこの異色の顔合わせから生まれたことを私は喜びたい。

それにしても、佐藤允彦に白羽の矢を立てたのは誰か。中にはきっといぶかしく思っている人もいるかもしれない。実は若いファンにはご存知ない方かもしれないが、ビクター音楽産業時代にプロデューサーやディレクターとして名を馳せた藤本草氏がその人であることは改めて言うまでもないと思う。藤井昭子さんが藤本草氏のもとへ嫁いで藤本姓を名乗り、以後藤本昭子として活躍なさっていることを知る大方のファンにとって、この新作が藤本夫妻の、まさに夫唱婦随の画期的な新作であり、昭子さんにとっても会心以上の1作であることを私は疑わない。

この両者の共演は昨年、すなわち2019年10月27日日曜日14時、紀尾井大ホールで大きな反響を呼ぶ中で行われた。なぜこのとき収録したライヴ音源をレコード化しなかったのかは知るよしもないが、おそらくライヴ音源に何らかの傷があったか、あるいはより完璧な演奏を目指してか、約1ヶ月後の11月29日にビクター青山スタジオで再収録されたことになっている。そして1ヶ月後の12月24日、同スタジオで最終マスタリング化の作業が行われたという。プロデューサーの藤本草氏に取っても久々とも言える会心のレコーディングだったのではないだろうか。

佐藤允彦のピアノが、ひらひらと雪が舞うイメージを彷彿させる導入部の演奏を聴きつつ、ときに寄り添うかのような佐藤のピアノに彼を指名した藤本草氏の思いと彼が膝を打ったと瞬間的に思った充足感を感じないではいられない出だしの印象的な風景を、私は<黒髪>に見た。とりわけ最初のコーラスとセカンド・コーラスの間(合の手)の、佐藤と昭子さんの対話を聴けば、これ以上のデュエットはおそらくは望めまい。

言うまでもなく佐藤允彦が藤本昭子と舞台で顔を合わせたのは初めてのことに違いないが、「未知の分野との出会いは大歓迎」という佐藤の発言(CD解説文より)に従えば、‘鬢(びん)のほつれや寝乱れ髪に、やつれしゃんしたお前の姿’ の背後の佐藤のふしづくりの妙に感嘆。昭子さんのふしにぴたりと寄り添う佐藤の和声感覚が素晴らしい。後半は昭子さんならではの好唱。その弾き語りに自在に寄り添う佐藤のピアノが実に素晴らしい。

次の9分51秒には思わず聴き入った。作曲者と伝えられる八橋検校もおそらくどこかで膝を打ったに違いない。組んでほつれ合うプレイの綾! 特に少しづつテンポを上げ、同時にピタリと息のあったご両人の呼吸と演奏ややりとりの流れ、とりわけ終盤の丁々発止の切れ味と表現力。昭子さんには余程の自信があったに相違ないとうなづける快演というしかない。

<雪>でも佐藤允彦の導入部の妙が聴く者の心に深く沈潜する。あたかも雪が舞い落ちる、その瞬間の淡い叙情味が聴く者の感性を捉えて離さない。私は個人的に、本作中最もモダンでリリカルな導入部と聴いた。例えば、‘~物思い羽の、凍る衾(ふすま)になく音もさぞな、~’ のモダンですらある抒情味、そして両者の呼吸がピタリと合った “合の手” の演奏。

そして、佐藤の最後の締め(エンディング)に、日本情緒の粋が再現された瞬間を見る人とておそらく少なくないだろう。

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悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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