#2085 『チャールス・ロイド&ザ・マーヴェルス/トーン・ポエム』
『Charles Lloyd & the Marvels / Tone Poem』
text by Takashi Tannaka 淡中隆史
Blue Note/Universal Jazz UCCQ-1133 SHM-CD ¥2,860 (税込)
Charles Lloyd (tenor saxophone ,alto flute)
Bill Frisell (guitar)
Greg Leisz (steel guitar)
Reuben Rogers (bass)
Eric Harland (drums)
1 Peace (Ornette Coleman)
2 Ramblin’ (Ornette Coleman)
3 Anthem (Leonard Cohen)
4 Dismal Swamp (Charles Lloyd)
5 Tone Poem (Charles Lloyd)
6 Monk’s Mood (Thelonious Monk)
7 Ay Amor (Villa Fernandez Ignacio Jacinto)
8 Lady Gabore (Gabor Szabo)
9 Prayer (Charles Lloyd)
Recorded By – Adam Camardella (M7), Dom Camardella (M9), Michael C. Ross (M1 to 6, 8)
Recorded at. Eastwest Studios &. Santa Barbara Sound Design
Mixed By – Michael C. Ross
Mastered By – Bernie Grundman
Produced by Charles Lloyd & Dorothy Darr
Supervised by Tone Poet Joe Harley
2021 Blue Note Records
2015年チャールズ・ロイドがECMよりブルーノートへ移ってのファーストアルバム、The Marvels(ザ・マーベルス)との 『I Long to See You』(2016)を聴いた時、私は最初の一音からぜんぜん理解できなかった。40年近くロイドをリアルタイムで聴いてきて始めてのことだ。自分に浸透していたロイドの音楽とのあまりの違いにアレルギーを起こしたのだ。こんなことは滅多にないので「なぜわからないのか」を知りたくなった。ロイドの変化によるのか、先祖返りなのかを確かめてみたいと思った。
2021年現在で83歳のチャールズ・ロイド。
「多様性のアメリカ」に生まれる意味をこれほど具現化している人も少ない。テネシー州メンフィス生まれ、アフリカ系、モンゴル、ネイティブアメリカンであるチェロキー、アイリッシュなど複雑で、美しい系譜を持っている。
音楽のルーツも多層的だ。出発点はブルース、ゴスペル、リズム&ブルース、カントリーミュージック。その上にジャズや現代音楽など様々な地層が重なる。これらを一括りにして広義のシビル・ワールド・ミュージックである「アメリカーナ」といえるし、ジャズをその中のひとつに入れることだって可能なはずだ。
『I Long to See You』にウィリー・ネルソンやノラ・ジョーンズが参加しているのはブルーノートのドン・ワズからの歓迎の挨拶。しかし、このアルバムではロイドのもっと深いところにある地層がいきなり露頭として現れている。それまで25年間のECM 時代には聴くことのできなかったもので、過去からのフラッシュバックと現在とが混交している。
私が今まで親しんできたヴァン・ダイク・パークス、ライ・クーダー、ビル・フリゼール、ジム・オルーク、ジュリアン・レイジなどに現れてくるアメリカーナは、彼らが厳しく自己分析した後に現代語に翻訳してあるのでわかりやすい。他方、ロイドとザ・マーベルスのそれではむき出しの原石が顔を見せている。おまけに今までとプレイスタイルの変わらないロイドと心地よく響和している分、かえってわかりづらいのだ。
ロイドとザ・マーベルスによる2作目はフォーク、カントリー界のシンガーのルシンダ・ウィリアムス(Lucinda Williams)との『Varnished Gardens』(2018 Blue Note)だ。この時は「ロイドの音楽の根の中にはカントリーがあったのか」と仰天したものだが、考えてみれば当たり前のこと。ウィリアムスはフォーク、カントリー、ロックという側からアメリカーナに識別されるミュージシャン。実は自然なマッチングなのだ、と腑に落ちた。
そして2021年、ザ・マーベルスとの新作『Tone Poem』を聴く。
3枚目にして初めてのフル・インスト・アルバムで、あらためてロイドの複雑な音楽の地層を知ることになった。冒頭の2曲はオーネット・コールマン作品。オーネットのカヴァーとしては実に個性的なアプローチだ。オーネットとロイドが共有する原石を見つめるような、不思議な明るさを持っている。
JazzTokyoのインタビュー(JazzTokyo#276)でロイドは1950年代のオーネットとの出会いについて「ぼくらはふたりともR&B出身で新しい音楽の探求者だったけど、彼の方がぼくより一歩先を進んでいた」と語っている。共有する「R&B出身」と、その後のふたりの変化は興味深い。オーネットは原点そのものを異質なロジックで再構築してみせた。けれど、ロイドとザ・マーベルスの4人は各々の根をほがらかに見せあいながらグループの独自性を確立している。
ザ・マーベルスで重要な役割を示しているグレッグ・レイスはペダル・スティール・ギターばかりではなく、ドブロギター、マンドリンなど東方〜ヨーロッパ由来の撥弦楽器の名手でアメリカーナのミュージシャンと言ってよい。ビル・フリゼールもロイドとよく似た音楽環境から出発していて共有点が多い。ベースのリューベン・ロジャースはヴァージン諸島、ソニー・ロリンズの母親が生まれた「アメリカ領」セント・トーマス出身。この島が1920年代トリニダード・トバゴに始まるカリプソ文化圏であるのは興味深い。となると、テキサス生まれのドラマーのエリック・ハーランドがそれでもジャズ的な「根」を持っていると言えそうだ。
ロジャースを除く4人に共通しているのはアメリカの西部、中部、南部に育ったこと、クラシック音楽からジャズに転じたタイプは一人もなく、それぞれの土地、文化からの影響が出発点、という典型的に生え抜きのアメリカの音楽家達であることだ。そう考えるとき「アメリカ」とは「USA」自体ではなく、国境を超えた広い領域を意味することになる。まるでヴァン・ダイク・パークスが1970年代に音楽民俗学の実践編の先駆として切り取って見せた「ディスカヴァー・アメリカ」(『Discover America』1972 Warner)やライ・クーダーの「ジャズ」(『Jazz』1978 Warner)での自然発生型ルーツ探しを地でいったあり方なのだ。
地のアメリカ人は自らの中、それぞれのアメリカーナ因子をもっている。
少し脱線して「アメリカ」の枠を離れ、ロイドのルーツ探しに想像を加えてみる。そこにはヨーロッパの民族音楽とつながる脈絡が見え隠れしてくる。
ロイドが1956年、南カリフォルニア大学(USC)でハルゼー・スティーヴンス(Halsey Stevens)からバルトーク・ベーラについて学んだことは暗示的だ。当時の認識でバルトークとはヨーロッパからの移住の後に1945年ニューヨークで亡くなり、いまだ10年あまりの作曲家。同じくUSCで教えたシェーンベルク、あるいはストラヴィンスキーなどと同様で「現代音楽」としての研究対象だった。バルトークは今から100年以上も前に東ヨーロッパからアフリカまで現地の民謡を調査した。最も初期型のレコーダーを使って、(現在でいう)フィールドワーク録音採集を行い、分析と研究をして後の自作に反映した。彼はクラシック音楽サイドから民族学目線で民族音楽を意識した最初の一人だろう。自身も作曲家であるスティーヴンスのもと、この東方起源のマジャール人について学んだときロイドは自己の原点に何を思ったのだろうか。
ハンガリーとのつながりでいえばチコ・ハミルトンのグループで知り合い、ロイドの音楽に大きな影響を与えたハンガリー出身のギタリストのガボール・ザボの存在も興味深い。チコ・ハミルトン・グループでのアルバムタイトル『Passin’ Thru』(1962 Impulse! )は2017年のブルーノートで同名のライブ・アルバムとして回帰する。
そしてロイドが『Jumping the Creek』(2005 ECM 1911)など2000年代のアルバムで演奏しているトルコ起源でハンガリーのリード楽器タロガト(ターロガトー)(Tarogato)との符合も偶然とは思えない。ロイドが自身のルーツのひとつと繋がりを持つヨーロッパ東方、ハンガリーに親近性を感じていたことは想像に難くない。
ロイドの1980年代以降の活動ではパートナーのドロシー・ダール(Dorothy Darr)がキーパーソンになっている。彼女がアルバムのクレジットに登場するのは1983年録音の『A Night in Copenhagen』(1985 Blue Note)が最初と思う。1981年のミシェル・ペトルチアーニのデビューに手を貸したロイドの音楽界への復帰、それに伴うライブアルバムに彼女は共同制作者として参加している。その後、現在に至る40年近くでロイドの活動は彼女の存在なしには語れない。1989年以降「ECM第一期」でのジャケットのデザイン、絵画、写真、テキストに始まり、その後は共同プロデューサーとしてクレジットされることが多い。インタビューによるとロイドが演奏する曲には彼女が「散歩の時に歌ってきかせた」ものが入っているそうだ。『Tone Poem』の冒頭、オーネットの2曲がロイドにとって重要な曲であるのに対して、3曲目のレナード・コーエンとは大きな接点がないはず。もしかすると「ドロシーが歌った曲」なのかと考えるだけで楽しくなってしまう。
多くのバイオで語られているようにチャールズ・ロイドには劇的な転機が幾度かある。
2015年に始まったブルーノート期でもさらに大きな果実が期待できそうだ。もはやビッグ・サーに閉じこもることもないだろうし、過去から現在までを再構成したあたらしい世界が生まれてくるのかもしれない。ザ・マーベルス共々さらに変容して新しいアメリカーナ見せてくれるのが楽しみだ。
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録音評(及川公生)
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インタヴュー
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