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Concerts/Live ShowsNo. 289

#1212 藤井郷子 東京トリオ

text by Eisuke Sato  佐藤英輔
photo: Natsuki Tamura 田村夏樹& Masao Mizuse 水瀬正雄(*)

藤井郷子 東京トリオ
2022年 4月18日 渋谷・公園通りクラシックス

藤井郷子 (piano)
須川崇志 (bass)
竹村一哲 (drums)


フランク・ザッパ、プリンス、そして藤井郷子。この三者に共通する項目はなにか?
それは、尽きせぬクリエイティヴィティと比例し、常軌を逸して多作であることだ。ザッパはライヴをいつも録音し、それをスタジオに戻しオーヴァー・ダブすることが多作につながった。プリンスはマルチ・プレイヤーであることも活かしスタジオに籠る(一方で、精力的にライヴを行う人でもあった)ことで山ほどの録音物を作り、まだまだ未発表のプロダクツは眠っているだろう。
その点、ジャズ・ピアニストである藤井郷子は他者との出会いや交流の積み重ねを日記として認めるかのように積極的にスタジオに入り、“生一本”の録音を行なっている。ただし、それらは録りっぱなしではなく、ちゃんと音質やジャケット・ワークに気を配った商品としていることも断っておきたい。
「そこは、こだわりですね。やはり、エンジニアにはこだわっていますし、ピアノは120%満足いっているかと言うとそうではないですが、マスタリングにはまったく妥協していないです。今は全部ニューヨークに送って、お気に入りの二人のどちらかにやってもらっています」(ここに引用する発言は、2018年12月にインターヴューした際のものだ)
まずは、対象/企画に対する吟味と練り込みがあり。また、彼女は一つのプロジェクトを持つと、一回限りとせず、繰り返し場をもうけて作品を作ることが多い。「数は出しているけど内容が……というのは悔しいから、やっぱり自分が納得できるものとなると、やり直すものもあれば、企画の直しもあります」とも、彼女は言う。
かような藤井郷子の面目躍如と痛感させられた最たる出来事が、ちょうど60歳を迎える2018年のCDリリースだった。彼女は還暦記念と題して月に1枚アルバムを発表、1年で全12作品をきっちりリリースした。それらはすべて、創意を持った名義違いのアイテム。その様、音楽家の自由と行動力のあまりに見事な行使であると讃えずにいられようか。
当然のことながら、その単位は多岐に亘る。ソロ、デュオ、トリオ、カルテット以上、そしてビッグ・バンドまで。彼女は様々な国の人たちと交流を持ち〜それゆえ、日本のミュージシャンのなかで海外に出ている時間が一番長い担い手であるとも言えよう。また、米ダウン・ビート誌のクリティクス・ポールの各部門に彼女ほど名前を出している邦人奏者はいない〜、多様な陣容でことにあたっている。
昨年はパンデミックで中止になったが、田村夏樹と藤井郷子夫妻は年明けに新宿ピットインで昼の部と夜の部ぶち抜きでいろいろな単位のプロジェクトを披露する<あれもこれも>という特別公演を毎年持っている。そして、今年のそれには、This is It! とGato Libreという二つのトリオが含まれていた。ちなみに前者は藤井とトランペットの田村とドラム/打楽器の井谷亨志からなり、かつて別編成だった後者はアコーディオンを弾く藤井と田村とトロンボーンの金子泰子が構成員となる。あらら、どちらもピアノ・トリオではない。
そこらあたりにも定石にとらわれない、天邪鬼とも言いたくなる藤井の音楽活動原理が表れているような気がする。というのはともかく、ダブル・ベースとドラムによる純ピアノ・トリオによる作品や実演が、藤井は実のところ少ないとぼくは感じている。
藤井によるピアノ・トリオというと、まずぼくが思い出すのは、彼女がマーク・ドレッサー(ベース)とジム・ブラック(ドラム)という辣腕米国人奏者たちと組んでいた藤井郷子トリオだ。その単位による『どんひゃら/Go West』(徳間ジャパン/Enja、2000年)や『Illusion Suite』(リブラ、2004年)などは、ふっきれた技量と瞬発力を太い質感とともに綱引きさせた名トリオ盤で、それは当時のジャズのピアノ・トリオ表現の正義と言いたくなる仕上がりであったと思う。
精力的に活動してきている藤井ゆえ、そのアメリカ人たちとの豪腕トリオ以降もピアノ・トリオを組んでいたのかもしれないが、ここにきて彼女が大々的に聞き手に問うているのが、藤井郷子 東京トリオである。そのネーミングに現れているように、ダブル・ベースの須川崇志とドラムの竹村一哲を擁する日本人トリオだ。1982年生まれの須川は現在ピアノの林正樹とドラムの石若駿を擁する自己バンドのバンクシア・トリオを抱えるとともに、ドラマーの本田珠也とのコンビによる諸演奏も印象に残り、場合によってはチェロも弾く。一方、1989年生まれの竹村一哲はギターの井上銘、ピアノの魚返明未、ダブル・ベースの三嶋大輝という同年代の奏者たちとの自己カルテットを組むとともに、渡辺貞夫や板橋文夫らから声をかけられている人物だ。この売れっ子の二人は、峰厚介のカルテットでもリズム・セクションを組んでいる。
ぼくが東京トリオの真価を知ったのは、彼女たちにとって2度目のギグとなる2019年12月の渋谷・公園通りクラシックスでのライヴを見たとき。そのとき得た所感をぼくは、以下のようにブログに書いた。
<オープナーはまずテーマを一回りやるが、こりゃ何拍子じゃいというトリッキーなそれで、その後は3人が様々な絡み方〜それぞれがソロでやる部分もあるし、3分の2で重なるところもあるなど、その方策がまったく一筋縄でいかなく、新奇。よくもまあこんな構成が出来上がるよなあ、譜面はどうなっているんだろうとか、接していていろんな思いにとらわれてしまう。いやー、この凝った構成と鮮やかな即興の交錯の様に、ピアノ・トリオというフォーマットはまだまだフレッシュな行き方ができると思わずにはいられなかった。そして、それを成り立たせているのは、須川と竹村のジャズの本懐をしっかり知りつつ、そこに個を相乗させた清新な演奏であるとも思わせる。彼ら、いろんな奏法のもと、いろんな音を出していたよなー。 いやー、よくこの顔ぶれで、この表現……。平伏しました。今年見たピアノ・トリオ表現のなかで1番個性あり、新味あり。であったのは、間違いない>。
その後、このトリオはファースト作『Moon On The Lake』(リブラ、2021年)を発表しているが、そちらはライヴと比べるなら比較的しっとり目の曲が目立ち、先にライヴで触れた印象とは少し異なり大人なノリで録られているとぼくは感じた。オルタナティヴなピアノ・トリオ表現ということに変わりはないものの。

さて、この4月18日に再び、藤井郷子 東京トリオのショウにやはり公園通りクラシックスで接することができたが、改めてそのポテンシャルの大きさにぼくは唸り、興奮し、頭を垂れた。しっかり新曲も増やしたその不可解にして得難くも個性的なフォーメイションを持つインタープレイ群は、これぞ今でしかない冒険心を抱えたピアノ・トリオ表現であると実感させ、ジャズという即興音楽があって良かったァと痛感させる聞き味が横溢。今回も『Moon On The Lake』と比すなら、ストロングでより鮮やかに動的であると感じた。やはり、それは目で演奏の様を追うことができる生の場でのパフォーマンスである理が働きもしたか。
実は多作の藤井ではあるものの、須川と竹村は過去いろいろと絡んできている奏者ではない。須川はライヴでは共演したことはあるものの一緒にレコーディングをした作品は過去にない。また、竹村と一緒に録ったアルバムは豪州人ピアニストのアリスター・スペンスを擁するカルテットであるキラキラの『ブライト・フォース』(リブラ、2018年)の1枚だけ。だが、この二人となら、新しいピアノ・トリオ表現ができると藤井は確信して、このトリオを組んだ。うーむ、それを慧眼と言わずして、なんと言う?
この3人でやることを見越しての、藤井の研ぎ澄まされた楽曲は奇想天外な構造を持ち、三人で演奏していると思ったら、急に誰かのソロ演奏になったり、二人だけの演奏になったりと有機的に、かつ刺激的に流れていく。そして、その際の各々の楽器音も本当にそれぞれの楽器のあらゆる奏法を繰り出さんとするものだ。須川と竹村は凛とした弾き口が魅力であるピアニストである清水絵理子のトリオ作『Aspire』(デイズ・オブ・ディライト、2022年)でも顔を合わせているが、その際の二人の演奏と東京トリオでのそれはまったく異なる佇まいを出していてまこと興味深い。
楽器の奏法、各人の能力を最大限に引き出すトリオ。そんなふうにも、東京トリオのことを規定したくなるか。かような多彩さや大胆さは、フリー・ジャズのなんでもアリの精神が十全に活用されたものとも言えるが、いわゆる“一発モノ”ではない。ある意味、精緻とも言いたくなるフォルムを持つ同トリオ表現には本当に脱帽するしかない。
そして、そうした魅力をもたらすのは、この顔ぶれを想起して書かれた藤井の楽曲の冴えでもある。その有機的にして奇想天外というしかない展開に触れていると、本当に狐につままれた気持ちにもなってしまう。考えてみれば、藤井はあらゆる自分の表現に自作曲であたる作曲家でもある。そのすごさも、このトリオは再認識させる。とともに、暴言をはかせてもらえば、今の同時進行系のジャズを披露するには、意図を貫いたオリジナル曲が必要とされるとも痛感してしまう。
それから、もう一つ。東京トリオの生演奏に触れてぼくが感じたのは、たっぷり野生や諧謔を抱えているのに、現代音楽的な手触りをどこか与えることだ。それについては、藤井の作曲設定の冴えが働いているのか、それとも各曲に悠然とした幽玄さが息づくためか。ジャズにおいて現代音楽っぽさを感じさせる存在というと、ぼくがまず思い出すのはエリック・ドルフィーのグループ表現となる。東京トリオが抱える研ぎ澄まされた曲設定とインターアクション性は、晩年のドルフィーが抱えた深淵さや風雅さとも重なる? いや、それは話が飛躍しすぎるか。
藤井郷子はオーケストラ(ビッグ・バンド)表現の場合、ニューヨーク、東京、名古屋、ベルリン、神戸という5つの場のミュージシャンの居住地に依るものを抱えてきた。この山あり谷ありの東京トリオを聞いていると、同様に地区別のリズム・セクションと組む、他のピアノ・トリオを聞いてみたいという思いにぼくはかられる。
そう、ピアノ・トリオの現在を一歩も二歩も進めるこの東京トリオの妙味に触れると、藤井はここに来て一度ジャズ・ピアニストとしてじっくりピアノ・トリオというエッセンシャルな形にきっちり多方向から対峙して欲しいという願望も持ってしまう。出会いの稀有な才人にして、多様の美徳をたっぷりと抱える彼女になら、それをおおいに望みたくなる。なお、東京トリオはこの秋にヨーロッパに行き、演奏する。ふふ、向こうの人たちの驚愕する様が目に浮かぶ。

最後に、藤井のこんな発言も紹介しておこう。
「しつこいんだとい思います。そうでなければ、私は音楽をやってこなかったんだろうとも思います。私にとって音楽は一番向いてないものだと思います。子供の時から姉とピアノを習っていたんですが、下手だったんですよ。いくら練習してもうまくならなくて、姉はどんどん上達して、さっさとやめちゃった。先生からもどうして他の教科に行かないのと言われたけど、私は音楽を続けたかった。そういった意味では、世間でまず才能云々という話を聞きますが、私は才能というのを100%否定しています。向いてないかからこそ、できることがあると思います」
おいおい、こんなにすごいことをやっているのに、そんなこと言われたら、凡人はどうしたらいいのか。でも、かような謙虚さもあり、彼女の高潔な表現には音楽の天使が舞い、祝福するのだ。
すでにザッパもプリンス(藤井と同い年だ)も、鬼籍に入ってしまった。だが、藤井は健在、威風堂々と精力的に活動している。そんな素敵なことってあるかい?



 


佐藤英輔(さとうえいすけ)

1958年、福島県生まれ。もともとはロックやファンク好きで、ジャズはフリーしか聞かなかった。だが、歳をとるとともに、ワールド・ミュージックとジャズの仕事の比率が上昇。煙草と格闘技嫌い、お酒とライヴ好き。また、グルーヴも。

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