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GUEST COLUMNNo. 286

追悼:バダル・ロイ(1945年10月16日―2022年1月19日)

text by Nobu Suto 須藤伸義

稲岡編集長から、バダルの訃報の知らせが届いたのが、今朝(2022年1月22日)。
朝のコーヒーを飲みながら、ペリー・ロビンソン/ナナ・ヴァスコンセロスとの『Kundalini』(IAI:1978年)を聴き、追悼とした。

バダルの存在を最初に知ったのは、大学生時代に聴いた、エレクトリック=マイルスの『On the Corner』(Columbia:1972年)や『In Concert』(Columbia:1973年)だったと思う。重厚なリズム・セクションの狭間に浮遊するプレイが印象的だ。しかし、他のタブラ奏者とは一線を画する、彼のグルーブ感が生かされているとは、言えない。まあ、マイケル・ヘンダーソンのファンキーなベース・ライン+ジャック・ディジョネット/ビリー・ハートのツイン・ドラム(『In Concert』は、アル・フォスター)に、ドン・アライアス及び最近亡くなったムトゥーメがいる大所帯で、タブラがグルーブの主導権を取るのは、無理だっただろう。

バダルは、同時期にファラオ・サンダースの『Wisdom through Music』(Impulse!:1972年)や、ロニー・リストン・スミスの人気作『Astral Travelling』(Flying Dutchman:1973年)にも参加しているが、やはり、エキゾチックな色彩感を与えるのみに留まっている。その後の、デイブ・リーブマン『Drum Ode』(ECM: 1975年)や、オーネット&Prime Time『Tone Dialing』(Harmolodic:1995年)も同じだ。彼の本質=グルーブが全面に出てくるには、編成が大きすぎたのだろう。

筆者/P.Robinson/Badal Roy

残念ながら、有名なECM作=デイブ・リーブマン『Lookout Farm』(1974年)や、稲岡編集長プロデュースのバダルのファーストソロ『Ashirbad』(Trio Records:1975年)は、未聴で心もとない。依って、筆者が聴いた作品の中で、初めてバダルのグルーブが全面に出て来ているのが、前述の『Kundalini』だ。この作品には、長年共演を重ねたペリー・ロビンソンと、初共演だったというナナ・ヴァスコンセロスとの自由でスポンタニアス(自発的)な演奏が、録らえられている。風に吹かれているような音楽だ。

ただ、筆者がバダル音楽の本質=グルーブを真に理解出来たのは、彼との共演を通してだった。ぺーリー・ロビンソンとの共演を2005年に果たし(注1)、その次のプロジェクトとして、当時筆者とピアノ・トリオを組んでいたアラン・マンシャワーとのトリオ案をペリーを通してバダルに打診した。キース・ジャレット=スタイルのトータル・インプロビゼーションを、契約したばかりのSoul Note(イタリア)に録音するアイディアだった (注2)。

注1:ペリーとの最初の共演は、『Hommage an Klaus Kinski』(Soul Note:2007年)としてCD化。

バダルは、「ペリーの紹介だから」とOKをくれ、バルチモア(メリーランド州)にあるAn Die Musikでコンサート録音の手配を整えて、迎えた2006年10月6日。バダルは、彼の住んでいたニューブランズウィック(ニュージャージー州)から、列車で来訪した。コンサート前に、軽い音合わせをしたところ、バダルから2つ注文が出た:

1つ目は、自分の本質はグルーブだが、タブラはドラムみたいに大きな音は出せない。依って余りハードなプレイはしないように。2つ目は、タブラは、調整楽器だ。だから、トナリティーに気を付けて演奏するように。
筆者の頭には、エレクトリック=マイルスでのバダルがあって、自由にピアノ・インプロビゼーションをするバックで色彩感を彼に期待していたのだが、早速方向転換を迫られた格好だ。
2008年発表のアルバム『An Die Musik』収録の〈Trio I〉は、その名の通りこのトリオでの最初の演奏だ。生憎、Soul NoteがYouTubeチャンネルを閉鎖してしまったので、Amazon.co.jpへのリンクを貼っておきます:

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B09NN1676Z/ref=dm_ws_sp_ps_dp

〈Trio I〉聴いて貰えれば分かると思うが、お互い相手の手の内を探っているような演奏で、硬さが出ていると思う。ただ、バダルのグルーブに支えながら〈Trio II〉〈Trio III〉と進むうちに、グループとしてまとまりだして、最後の〈Trio VI〉及び、アンコールの自作曲〈Pochi〉は、中々の演奏になったと自負している。
バダルもかなり満足だったみたいで、「いつでもまた共演したい!」と言ってくれた。特に、アランの繊細なドラミングは、自分のグルーブにとって「最適なサポートだった」と言っていた。この経験があったので、Jazz Times誌のバダルのトリビュート(注3)で、彼が『On the Corner』の自分のプレイは「Disaster」だと言っていたと知って、納得がいった。

注3:https://jazztimes.com/features/tributes-and-obituaries/badal-roy-1939-2022/

残念ながら、バダルとアランとの共演はAn die Musikでのコンサートが、最初で最後に成ってしまった。2008年に、バダル/ペリー・ロビンソン/アンドレア・チェンタッツオ/筆者でのクァルテットでニューヨークのRubin Museumで、コンサートを開く機会を得た。ペリー/アンドレア/筆者とのトリオは、『Soul In The Mist』(ICTUS:2007年)他で評価を得ていたのだが、生憎、空間/色彩感を強調したいアンドレアと、グルーブ重視のバダルの相性が悪く、煮え切らない演奏に終始してしまった。即興演奏でのミュージシャン同士の相性の重要さを痛感させられたコンサートだった。

その後は、筆者がサンディエゴに引っ越しし、音楽活動から遠ざかってしまい、バダルとは、疎遠に成ってしまった。ペリーが亡くなった2018年12月に、EMAILとテキストを送ったが、バダルからの返信は無かった。元々、そう言った事に疎そうだったので、あまり気にしていなかったが、やはり、もう彼のプレイを直接体験出来ないと思うと、寂しい。

最後に、彼の誕生年/年齢が、メディアによって錯綜していて、1939年生まれ=82歳説(米NPR/ Jazz Times誌他)と1945年生まれ=77歳説(英Gurdigan/印Scroll誌他)が出ているが、筆者の記憶では後者です。バダルは、足が悪く少し老けて見えたが、1938年生まれのペリーと比べると、かなり若かったと思う。

2022年1月22日
Nobu Stowe (須藤伸義)

須藤伸義

須藤伸義 Nobuyoshi Suto ピアニスト/心理学博士。群馬県前橋市出身。ピアニストとして、Soul Note(イタリア)/ICTUS (イタリア)/Konnex(ドイツ)の各レーベルより、リーダー作品を発表。ペーリー・ロビンソンcl、アンドレア・チェンタッツォcomp/per、アレックス・クラインdrs、バダル・ロイtabla他と共演。学者としての専門は、脳神経学。現在スクリプス研究所(米サンディエゴ)助教授で、研究室を主宰。薬物中毒を主とするトピックで、研究活動を行なっている。

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