From the Editor’s Desk #1「藤井郷子のNYタイムス・インタヴュー」
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
悠雅彦主幹が体調不良で静養中のため、ぼくがしばらく代役を務めることになった。土中のもぐらがいきなり地表に顔を出したようなまばゆさを感じている。
JazzTokyoは、2004年、悠雅彦さんとぼくが、当時台頭を始めたインディ系のレーベルやミュージシャンをサポートする目的で創刊した ウェブ・マガジンである。趣旨に賛同する何人かの執筆者に参加してもらい、録音とオーディオを担当する及川公生さんを副主幹に迎え創刊号を出したのが2004年の6月20日。以来、紆余曲折はあったものの内外の執筆者や多くの関係者の協力を得て休刊することなく今月で276号を迎える。
ピアニストの藤井郷子のFacebookが世界各地からの喜びのメッセージで埋め尽くされたのは3月の中旬だったか。メッセージにはニューヨークタイムスの記事のクリップが添えられていた。リンクも付記されていたのでさっそく記事に当たってみた。Giovanni Russonello(ジョヴァンニ・ラッソネロ)という批評家の署名入りの記事で、タイトルは「Satoko Fujii, a Pianist Who Finds Music Hidden in the Details of Life」。直訳すると「人生の細部に隠された音楽を見出すピアニスト 藤井郷子」で、リード・コピーは「In ensembles big and small, the prolific musician uses sound to make the world’s complexities a little more graspable.」、「この多作なミュージシャンは、大小のアンサンブルを通じて音楽で世界の複雑な事情を理解する手助けをしてくれる」とある。その意味するところは本文を読み進むと解き明かされる。
ジョヴァンニのインタヴューに対し藤井は次のように答えている。「奇妙に聞こえるかも知れませんが、自分が作曲に向かうときには音楽はすでにそこに存在しているように感じるのです。ただ、気づいていないだけなんですね。つまり隠れているだけで、すでにそこにある何かを探しているのです」。頭上の飛行機の音、会話、極端に言えば木々の葉ずれのざわめきからもひらめきが得られるのだとジョヴァンニは考える。藤井の作品を通じていえることは、彼女の音楽は抽象的で時には荒々しくさえあるが、それぞれの要素が明快にきらめくという矛盾したバランスを保っている。大小さまざまな場面で、彼女の細部への柔軟性に富んだこだわりは、巨大な広がりと質感を表現する能力に匹敵する。藤井にとって、音のインスピレーションはあらゆる角度からやってくる。だから、常にそれを新しいものに紡いでいくことは本来挑戦すべきことではないはすだ。藤井の音楽は彼女のインスピレーションの一種の日記として、抽象化とリアリズムを分け隔てることに苦労することになる。
記事は藤井のキャリアを余すところなく追っているが、藤井の音楽家としての立ち位置を決めたふたりの先達のコメントが興味深い。師であるポール・ブレイと作曲のマスタークラスの講師を務めたチック・コリアである。ポールは言う。「他人を真似てはいけない。自分らしくピアノを弾ければ、CDを残す意味があるだろう」。チックの言葉。「ピアノを練習するように作曲も練習することができるんだ」。
この記事にはまたふたりの共演者のコメントも引かれている。ひとりは、かつてはドラマーとして、現在はエレクトロニクスの奏者として活躍するイクエ・モリ。「数年前に、”ダイナミックで多様性に富むミュージシャンがいる”と聞いて共演を始めました。新作の『Prickly Pear Cactus』では、演奏と細部にわたる作業に時間をかけることができて、ふたりにとって完璧な状況でした」。もうひとりは、藤井のニューヨークのオーケストラのメンバーのひとりでサックス奏者のTony Malaby(トニー・マラビー)。「藤井のバンドへの指示は驚くほど控えめなことが多く、録音も1テイクで終わることもある。だから、プレイバックを聴いて初めて彼女の音楽の奥深さを実感することがあるんだ。そのシンプルさは想像を超えているよ」。「録音が終わって、地下鉄に乗ってから、 “あれは一体何だったんだろ?” と思うんだ。そして、郵便で届いたCDを聴いて初めてその音楽の力強さを実感するというわけさ」。
田村夏樹と藤井郷子のカップルに初めて会ったのは1997年だった。山下洋輔事務所の村松社長の紹介でポール・ブレイとの共演CD『Something About Water』(Libra)を恵比寿のオフィスに届けてくれた。それ以来100作に及ぶというCDのほとんどを聴かせていただいている。いちばん印象に残っているのは制作プロジェクトに参加する機会を得た2000年の東京とニューヨークのオーケストラの演奏を2枚組CDに仕立てた『Double Take〜月は東に日は西に』(East Wind)。それに先立つ1999年の共同プロジェクト、ポール・ブレイの来日ツアーも忘れ難い。近年のコンサートでは、藤井郷子、ラモン・ロペス、田村夏樹のトリオによるJAZZ ART せんがわ公演と藤井郷子、齊藤易子デュオの公園通りクラシックス公演。どちらも創造性と刺激に満ちた完成度の高い演奏だった。共にスタジオ録音によるCDがリリースされたが、ライヴ演奏に想いを馳せながら聴く破目になった。
ぼくの知る限りニューヨークタイムスにインタヴューが掲載された日本人ジャズ・ミュージシャンは菊地雅章と藤井郷子のふたりだけ。次は誰だろう。日本のジャズシーンを率いて行く者であって欲しい。