#2244 Taj Mahal『Taj’s Blues』『Savoy』
タジ・マハール『タジズ・ブルース』『サヴォイ』
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野Onnyk吉晃
「ブルースは市民権を得た代わりに何を失っただろうか?〜タジ・マハールの長いキャリアからの考察」
0. イントロ
我々がブルースメンとして思い浮かべるのは誰だろう。
まずはロバート・ジョンソンだろうか。そしてマディ・ウォーターズや、ハウリン・ウルフ、ブラインドレモン・ジェファーソン、スリーピー・ジョン・エスティス、三大キング、バディ・ガイ、サン・ハウス、ハウンドドッグ・テイラー、ジョニー・ギター・ワトソン等々、嗚呼きりがない。
しかしタジは彼らよりかなり若い。1942年生まれ、じつはジミヘンと同い年で、半年早い。そしてしっかり64年に大学を卒業しているインテリだ。在学中から現在の芸名で演奏していたという。デビュー後、独特のスタイルからよく知られるところとなる。勿論ベーシックにはブルースがあるのだが、もっとポピュラーなR&B、カントリー、ハワイアン、レゲエ、ゴスペルなどを要素として取り込むのが彼の特徴である。
今回、2022年録音の最新作『Savoy』発売を機に、CBS在籍時(67〜72年)の録音からオムニバスとして編集された『Taj’s Blues』が同時リリースされる。もしどちらも購入されるというなら、できればこちらを先に聴いてほしい。それは、出発点を知る事で、現在のタジの位置、そしてこれまでの軌跡を理解できるのではないかという余計なお世話なのだが。
1.『Taj’s Blues』を聴く
Taj Mahal『Taj’s Blues』(BSMF-7026)
1. Leaving Trunk
2. Statesboro Blues
3. Everybody’s Got To Change Sometime
4. Bound to Love Me Sometime
5. Frankie & Albert
6. East Bay Woman
7. Dust My Broom
8. Corinna
9. Jellyroll
10. Fishin’ Blues
11. Sounder Medley: Needed Time #2/Curiosity Blues/Horse Shoes/Needed Time #3
12. Country Blues #1
『Taj’s Blues』では、素朴さを湛えたカントリー・ブルースと、バンドをバックに従えた対照的なエレクトリック・ブルースの両面を味わう事が出来る。
彼の声は、まさしく彼自身なのだが、私にはほとんど歌が登場しないトラック11と12が面白かった。
11は〈Sounder Medley〉となっていて、3曲が続けて聴かれるのだが、なんだか半分眠りかけているかのような茫洋としたギターを伴奏に、鼻歌と口笛が響く。そしてアルバム最後は12絃ギターをスライドで弾くが、ブラインド・ウィリー・マクテルを想像してはいけない。
この二つの歌の無いトラックに、原初のブルースを感じてしまうのはへそ曲がりだろうか。
(ところで、タジの93年のブレーメンライブ『An Evening Of Acoustic Music』では12絃ギターを専ら使っているように聞こえるのだが、どなたか確認してほしい….)
ジミヘンがR&Bバンドから英国に飛び、いきなり世界中からロックスターとして注目されたのと対照的に、タジはひたすらブルースを追求し、その中で革新を試みた。しかし両者に共通するのは、ブルース魂としての歌を忘れなかった事である。
ブルースシンガーとしてのタジが、メジャーな音楽産業、メディア産業であったCBSと契約できたことは注目に値する。
すでにジミヘンは、その卓抜した演奏で聴衆のみならずミュージシャンからも高い評価を受けていたし、サイケデリックな録音やファッションでひとつのアイコンとなった。タジも少し遅れて68年に『Taj Mahal』(ライ・クーダー参加)と『The Natch’l Blues』(ジェシ・デイヴィス、アル・クーパー参加)の二枚をリリース。時代に流されないという高い評価を得、ブルースメンとしての矜持を保っていた。以後も多様性を保ちつつ、多種の楽器を自在に操り、しかもドラスティックな変化は見せない彼がグラミー賞を受賞したのは55歳の97年だった。しかしグラミー賞がなんだというのか (まあ、やりたいことをやってきて褒められるんだから嬉しいだろうけど)。
ジミヘンがR&Bバンドから英国に飛び、いきなり世界中からロックスターとして注目されたのと対照的に、タジはひたすらブルースを追求し、その中で革新を試みた。
さて、独立後の北米の産業では南部の綿花栽培プランテーションで多くの労働力を必要とした。その供給源は勿論アフリカ大陸から拉致されて来た民衆=黒人奴隷である。そこでアフリカ各地から来た黒人達の様々な言語、生活習慣、宗教が混淆し、また彼等を支配する白人の文化に同化させられた。そこで生まれるのは新しい言語・音楽・宗教だ。
何故こんな話を持ち出すのか。それはブルースを改めて考えるためだ。
改めて黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)、ワークソング、ゴスペルなどとの関係を、歴史をひもとくのではない。私見ながら「ブルースは抵抗の音楽であり、同時に敗者の音楽である」。そして同時に「ブルースは宗教音楽とは違う位相にある」。ブルースは決して宗教的ではない。
パウロ的かつ親鸞的逆説だが、富めるものや善人にではなく、抑圧され、搾取された敗者、弱者にこそ希望は必要だし、またあるのだ。生まれながらの負性は彼らの責任ではない。しかしスティグマを背負ってしまったのは歴史的情況だ。
否応無く(しかし黒人的共同体の裡で)キリスト教を心情の支えとした黒人たちは、その救済願望を合唱の形で表現した。それは共同体の帰属意識を高め、苦悩を癒すためには機能した。これはスピリチュアル〜宗教音楽となった。
しかし、それは個々のルサンチマンを昇華することにはならなかった。そのプライベートなパッションが、ギター一本を伴奏に、被差別者の心情を、個人の欲望を、人生の虚しさをコトバ=声にする音楽を生んだ。その歌=ブルースは、以後絶えることなく歌われて来た。またブルースは、根源的欲望、性的欲求への叫びであることも忘れてはならないだろう。それはキリスト教が抑圧しようとしたものである。ブルースは、黒人音楽における躓(つまづ)きの石なのだ。
もし仏教に喩えることが許されるなら、僧侶が儀礼としてやる読経は霊歌で、民びとおのおのが口々に、いつとはなく絶え間なく唱える念仏こそがブルースに匹敵するだろうか。これは宗教ではなく信仰である。
ブルースは市民権を得たかもしれない。しかし抑圧され、日常的に暴力をふるわれてきた黒人たちはしかし、ついにアメリカ合衆国の中に独立国家を持つことはなかったし、これからもないだろう。それが解消されたならブルースは消える。
キリスト教が愛と原罪を基盤に置くなら、ブルースはルサンチマンと差別による「恨の声」である。だからブルースは決して消えないのだ。
ブルースは地域を、時代を超えて、いわば常にひとつの歌を歌っているようなものだ。それは一人の作家が書く小説が、結局は一つの話のバリエーションであるように。
私はブルースという音楽を矮小化しているだろうか。ならば言おう。白色矮星になるまで矮小化してみようと。
3.幻の“SAVOY”
Taj Mahal『Savoy』(BSMF-2819)
1 Stompin’ at the Savoy
2 I’m Just a Lucky So-And-So
3 Gee Baby Ain’t I Good to You
4 Summertime
5 Mood Indigo
6 Is You Is or Is You Ain’t My Baby
7 Do Nothin Till You Hear from Me
8 Sweet Georgia Brown
9 Baby, It’s Cold Outside
10 Lady Be Good
11 Baby Won’t You Please Come Home
12 Caldonia
13 Killer Joe
14 One for My Baby (And One More for the Road)
さて、今回の眼目は2022年8月、オークランドで録音された『Savoy』。これまでのタジのスタイルとはまったく異なる音楽に聞こえる。
それはまったく意外にもジャズだ。ブルースとジャズは同根であり、ジャズミュージシャンはブルースを奏し、歌う。それができないということはないだろう。しかしその逆はあまり聴かない。現在のジャズが器楽に重心をおき、ブルースは必ずしもそうではないから。
ブルースシンガー、タジが真正面からジャズを歌う。彼は歌とハーモニカしかやっていない。枯れたタジの声でジャズが響くと、時々サッチモを聴いているような気になる。
タイトルに違わず〈Stompin’ At The Savoy〉で始まる。この曲をベニー・グッドマン、チック・ウェッブのバンドがヒットさせたのは1930年代のことだ。その後スタンダードとしてじつに多くのジャズメン、シンガーが取り上げてきた。
それだけではない。このアルバムはすべてがビッグバンド全盛期の、エリントン、ガーシュウィンらによるスタンダードで構成され、じつにゆったりとアンバーな雰囲気が流れている。
ところで、タジの盟友、ライ・クーダーも78年にその名も『ジャズ』(Warner Brothersよりリリース)というアルバムを出している。そしてまたここでも古いジャズだけではなく、スピリチュアルも取り入れて、ノスタルジックな雰囲気が溢れているのを記しておこう。
80歳を越えたタジが今、やりたかったのが、このノスタルジックなスタイルというのは充分理解できる。それは彼の揺籃期の養分だったのだろう。彼の成長期にはスウィングからビバップへの移行が始まっている。ジャズのスターは歌手から楽器奏者へとシフトしつつあった。その中でタジの耳は、スウィング・ジャズの歌を吸収していた。記憶の古層がいま甦る。
いや、それは彼の憧れだったかもしれない。入りたくても入れなかった、一度はステージに立ってみたかった今は幻の大ボールルーム「サヴォイ」。それはニューヨークのハーレムに、1926年から1958年まで存在した。毎夜有名ジャズメン、ビッグバンドが出演し、夜が明けるまで営業していた。
禁酒法が1933年に廃止され、違法の地下酒場(スピークイージー)で演奏していたジャズメンもさぞかし仕事が増えただろう。と思いきや、1929年から 10年間は世界大恐慌で、1933年には全米の失業率が25%に達する。
この暗黒と低迷の時期に、ひとときの快楽と興奮を求めて、夏の夜の虫達が火に飛び込むがごとく、着飾った男女は日替わりのパートナーを求めて「サヴォイ」へと群れ集った。
スピークイージーの時代から、ジャズはダンス音楽として発展した。ブルースとジャズの違いはここにある。ディキシーやニューオリンズ・スタイルは、シンコペーションの強い音楽だ。それは性的刺激の強いダンス音楽に向いている。ブルースでケークウォーク、ジャイブ、チャールストンを踊るのは難しい。それをしようと思えばいきおいアップテンポ化して、ブギになっていくだろう。それはスウィングの原型にも近い。ジャイブという語が「訳の分からない」という意味だったというなら、それは当時の用語「ジャズ」と同義である。
今はなにより「サヴォイ」がボールルーム=ダンスホールであることを忘れないでほしい。
1933年にはヒトラー政権が誕生したが、第一次大戦で5万人の兵士を失ったアメリカは35年に中立法を制定し、欧州情況を傍観する。39年に第二次大戦が始まり、日独の領土拡大が止まらず、真珠湾攻撃を好機としてアメリカは参戦する。
全米が戦争への熱狂に浮かされるが「サヴォイ」は火を消さなかった。米国の政権はそんな時期こそ民衆の娯楽は必要だと考えていた。なるほど『贅沢は素敵だ』。
4.コーダ
戦後13年して「サヴォイ」はついに灯を消した。
ハーレムに生まれ、育ったヘンリー・セントクレア・フレデリックス、後のタジ・マハールはようやく16歳になったばかりだった。
<古いブルース>という外皮=蛹のなかで、あたかも幼虫の細胞は融解し、それらは新たな細胞の配列を形成して、成虫=<新たなブルース>を作り上げる。その変容を促すのは多様な音楽スタイルだ。しかしタジの歌は、ジャズの外皮を纏ってもやはりどこまでもブルースなのだ。