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Concerts/Live ShowsNo. 304

#1270「吉村弘 風景の音 音の風景」

text by Shuhei Hosokawa 細川周平
写真提供:神奈川県立近代美術館

 

サウンド・アーティスト吉村弘(1940-2003)が亡くなって20年がたった。もうそんなにたつのかという感慨と愛惜を込めて、回顧展「風景の音 音の風景」に浸った。「浸った」と書いたが、展示品を見て回るというより、やや暗めにあつらえられた照明のなか、遊歩したり座ってあれこれ思い出し、発見に満足している時間が長かった。当人とは少しおつきあいがあった。入場前に久しぶりに洋子夫人と会い、展示にかけた情熱と裏話を聞いた。それもあって会場全体が私には思い出し空間にしつらえられていた。

英語題では「風景」にランドスケープではなくアンビエンスがあてられている。しばらく聞いていない言葉だ。ブライアン・イーノの画期的な「空港のための音楽」が『アンビエント1』(1978)として発売され、アンビエント・ミュージックが小さな音楽インテリの間で話題になった。舞台から客席への一方通行で成り立つ音楽会の前提が疑問視された。大雑把には公共空間で音環境の改良を意図して、小音量で流される匿名的な音響を指したが、その後心や耳を休ませる音楽全般に意味を広げた。環境音楽と訳され、前衛ともポップとも違うおしゃれな一角として注目を浴びた。どう呼ぶにしろ、作曲家、演奏家が独創性を開花させるのとは違う静かな音環境つくりに関心が集まり、吉村はそのなかで頭角を現わした。

吉村弘 楽譜『Clouds for Alma アルマの雲』(一部) 1978年 インク、写真、紙 個人蔵 撮影:久保良

Ⅰ「音と出会う」の展示はサティの写譜から始まる。吉村が大学生時代、サティにどれほど強い衝撃を受けたか。その原点を手書きの五線譜が有無を言わせず語っている。その後のデザイン性に富んだ絵本や、Ⅱ「音をつくる」に並べられている自作曲の楽譜、それにⅢ「音を演じる」のガラクタ楽器もまた、サティの営みに発していると展示室を進みながら思い返される。70年代、秋山邦晴+高橋アキのサティ企画に絶大な感化を受けた元青年として、写譜が喚起することは多く、吉村に対するこれまでにない近しさが湧きあがった。

サティが第一次大戦のころ、ガラクタを打楽器としてオペラで使ったときには大きなスキャンダルとなったが、吉村が70年代、小杉武久の集団即興集団、タージ・マハル旅行団に日用品、手作り音具を使って参加したときにはすっかり見慣れ聴き慣れていた。彼が初来日(1962)に衝撃を受けたというケージが、音楽の定義を聴こえない音まで含むほど飛躍的に拡大していたからである。

「耳からの風景 吉村弘のパフォーマンス」で使用したカン楽器《F・CAN》
(2001年9月8日、ジーベックホールホワイエ) 個人蔵

缶ビール好きだった吉村はカン楽器と洒落て、金属のチューブに細かな砂や貝殻や豆や液体を入れて音を出す道具=楽器を考案した。マラカスの兄弟でアフロ・イベロアメリカ文化には偏在している。振る代わりに逆さにするのが一応の作法で、チューブのデザインが腕の見せ所、『カン楽器図鑑総目録』(1981)には数十の作例が並べてある。白い円筒音具はうまく商品化しうちにもある。「このサウンドチューブを手にとって逆さにしてみて下さい。耳を澄ますと音がきこえてきます。傾きぐあいをかえてみるといろいろな音の表情をみせてくれます。手のひらからも音がつたわってくるのがわかります。きっと心をおちつかせてくれるあなたの音となるでしょう。イメージをふくらませ、新たなコミュニケションをつくる。インテリア・サウンドとして遊んでみて下さい」。何でもなさそうなサラサラ音がこれだけ深く(あるいは売り言葉に)翻訳されている。彼の文章は魅力的だった。

Ⅳ「音を眺める」には彼の写真とビデオが集められていた。視聴覚間の共感覚は、サティの楽譜にさかのぼる吉村美学の一端と思う。「以前、雲を見ていたら、音がしないのにとても雄大なシンフォニーが聞こえてきたような気がしたことがあった海の波の運動をみていたときにも、実際に耳にする波の音ばかりではなく、リズムとハーモニーが頭のなかで鳴りはじめていたのだが、それがどんなフレーズだったかは、どうしても思い出すことが出来なかった。でも、そこには何か音楽という体験の原点みたいなものがあったような気がした」(1999)。「聴く」よりは「聴こえる」だが「聴こえない」ではない。展覧会のあるパートは「空耳のかなたへ」とあったが、「空耳」を錯聴と片づけるなら、一体何を聴いているのか確信を持って語れる体験が、私たちにどれほどあるのだろうか。

波は音とビジュアルをつなぐ彼の基本メタファーで、写真やビデオにもいろいろ映され、それは音に通じた。そういえば80年代に『波の記譜法』という環境音楽の本があり、彼は大きく紹介されていた。その執筆者とは30年も会っていないことを思い出した。Ⅴ「音を仕掛ける」ではその頃から彼の仕事の中心となった公共空間のサウンド・デザインをイヤフォンで聴き、目で確かめることができた。CD『GREEN』(1986)のオビには「ふと目がさめると、午後の向う側 クリーンなサウンドが、まわりの風景をつつみこみます」とある。その「ふと」は彼の仕事の基本だったと思う。強い意図を伝える気はないが、何か良い音を差し出し、気づかれずに聴かれ、小さな安堵を感じさせる。広場から電車まで人が知らぬ間に聞く音の仕掛けに市町村や企業が投資した。

彼がハロルド・バッドの来日コンサートのために書いた次の文章(1986)は、そのまま彼自身の美学宣言でもある(バッドはイーノの『アンビエント2』の相手)。「透明な音の波動は空気を浄化し、まわりに豊かな波紋をひろげてゆく。くりかえしくりかえていくもの。周期なりサイクルといったものが、敢然とした空間に、やさしさに満ちた気品のある音の風景で、限りなく心を開かせてくれる。それでいて音がなっていても静けさを感じさせてくれる音楽。音で空間をつつみこむことで、空間を豊かなものに変えていく。音によるインテリアと呼んでみてもいい。単に視覚的なもののインテリアばかりでなく、インテリアとしての音楽は、心のインテリアにほかならない」。その実現が亡くなる半年前のCDブック『静けさの本』(2003)で、サティ弾きとして知られる柴野さつきがピアノを担当している。

強いて本誌Jazz Tokyo読者のためにジャズ世界との接点を探すと、小杉時代に富樫雅彦と同じコンサートに出演したポスターがあった(「JAZZ/METAPLASM」1976)。同じ頃には吉沢元治、阿部薫と同じプロジェクト(「クロスオーバー・パフォーマンス78)」)で名を連ねたチラシもあった。ただし共演ではない。面白いところでは、同じ頃、新宿の先鋭的連中のたまり場だったマットグロッソ・ギャラリーに小杉のグループと出演した際、飲んだくれた山下洋輔がいたと日記にあった。吉村は小杉グループ以外にはフリー・ミュージックとは接点を持たなかったし、フリージャズ人脈とははるかに離れていた。奏者の個性ぶつかり、楽器の技術の限界に挑み音量をいとわぬ演奏作法は彼の流儀、鼓膜に合わなかったに違いない。

吉村の最後の作は神奈川県美葉山館のためのサウンドロゴで、その開館の10日後に彼は亡くなった。展示の最後のパートでロビーで組まれ、彼の80年代以降の主な仕事であった公共空間に当ててつくられた環境音楽のシリーズを試聴でき、その最後で聴くことができた。縁のある美術館で回顧展が開かれることには意義がある云々と、優等生的に文章を結ぶつもりだったが、もう一言付け加える。

最初に思い出し空間と書いたが、本音をいえば、これもまた少しすると忘れてしまうんだろうという嘆きも同時に起こった(物忘れの激化に絶望中)。神奈川県美の音を収録する遺作CD『四枚のポストカード』を持っていたはずだが、見つからなかった。人に贈ったのか処分したのか覚えていない。しかし吉村さんは忘れて構わないと、脳の衰退を受け容れてくれているようにも思えた。『静けさの本』のなかで書いている。「音は出合いであり、すぐに消えてしまう。記憶のなかにしか残らない」。記憶があやふやになって音は消えていくが、心配するな。後知恵だが、こんな安堵に浸れるのは彼の特別な存在(不在)ならではのことだ。回顧展をめぐりつつ、自分の20年を思い返す2時間をすごした。

【付記】

8月5日、吉村弘展では鈴木昭男と宮北裕美のデュオ・パフォーマンス「報告」が演じられた。展示品のなかに1977年、鈴木スタジオにて「エリック・サティの音具の為に」という会が持たれた記録があった。サティの創案がケージ周辺の実験音楽を介して初期の昭男さんにも通じているというのは発見だった。安斎重男の同じ年の「HOT BREATH 地下室にひそむ魚たちの熱い吐息 実験室とメディアの箱」という同時代のトンガリ語調爆発の題のイベントで共演中の二人の写真も、私には初めてだった。自転車でお互いの家に通い、洋子夫人によると、帰り際別れを惜しむあまり、玄関でありあわせの物を使ってパフォーマンスを始めるほど親しかった。昭男さんがパリの公園の落葉を小包にして葉の落ちるサラサラ音をこめて送ると、受け取った吉村さんは包みをあけるところを写真に収め、落葉を拾い出しながら贈られた、送られたパリの音を聴いた。二人はそれほど波長が合った。

だから追悼展で演じることは昭男さんにとって特別な機会だったはずだ。「弘さんにありがとうを捧げたい」とパフォーマンスの最後に語っていた。アフタートークで何の「報告」なのかと美術館長に問われて、「裕美さんとの結婚の報告」と無邪気に答えた。親友を思い出させる品々に囲まれて、半ば私的な気持ちで演奏したらしい。

一本目は彼の石笛と裕美さんの石のカスタネット+ダンス、二本目はふたつのカン楽器をワイアでつないだ昭男音具中最も有名なアナラポスで、どちらもほとんど紙資料しか残されていない6,70年代の吉村の即興を想像させた。デュオは展示会場を移動しながら展開され、気分の乗ったアンコールでは、珍しく旋律的断片を繰り返す石笛と、それにユーモラスに反応するダンスで組まれた。いつもより「音楽」に近い。さっきまでの緊張と違う。天井が波形を採っていて、移動すると響きが変わるのを楽しめたと二人は語っていた。そういう空間の隠れた性能を発見させる機会となったのは吉村弘の導きがあったからで、その音響的なこけら落としに立ち会えたことが私には嬉しかった。


吉村弘 風景の音 音の風景
2023年4月29日(土曜・祝日)– 9月3日(日曜)
神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-yoshimura-hiroshi

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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