Jazz and Far Beyond
きみの演奏は多くの人に様々な力を伝えたようだ。そして、きみのベースアンサンブルのメンバーがきみのメロディーを力いっぱいに弾いていく姿を見ると、きみのスタイルが伝わっていることが分かる。そういう演奏をするベーシストはきみ以外はいなかったからね。しかし、最後は急ぎ過ぎたかな、お疲れ様でした、徹ちゃん。
齋藤徹の軌跡は私の記憶の中でさまざまな事象にシンクロしながら、その時々の音楽動向、即興音楽を取り巻く変遷と共に蘇ってきた。それは「音をさがして」の旅だったのではと今にして思う。
1999年、CD『Poem Song』に先立つ日本ツアーの途次、札幌でのコンサートから。
貴方は一本の古木とも共演できる人でした。
人に実存を強く覚知させる類の音楽だったと思っています。
「私の方が彼に学ばせてもらっています」—-齋藤徹さんから、何度その言葉を聞いただろう。
音楽の本質とは何かを常に問いかけてきた徹さんは、私にとっては試金石のような存在でした。
ぶっ飛びました。今まで聴いたことのない爆裂サウンド。歪みッぱなし。
バールと齋藤徹との明確な違いは、齋藤徹がすぐれて日本的な個有の様式美を確立していることなのだ。
齋藤徹は、再び、ことばを中心に据えたプロジェクトを形作った。それは音楽だけではない。同時代の詩人たちが詩を持ち寄り(齋藤の幼馴染であった渡辺洋は故人ゆえ、齋藤が渡辺の詩を選んだ)、松本泰子が歌い、庄﨑隆志が踊る。また詩人たちも朗読などによってテキストだけではないかかわりを持つ。