ジャズ写真事始:セルゲイ・クリョーヒン 横井一江
最初にステージを撮った時のことはよく覚えている。1989年のメールス・ジャズ祭だ。
続きを読むJazz and Far Beyond
最初にステージを撮った時のことはよく覚えている。1989年のメールス・ジャズ祭だ。
続きを読む第52回目となったメールス・フェスティヴァル、本会場、屋外ステージ、またセッションが行われたアネックス、教会やメールス市内でのライヴなどを含めると軽く100を超えるコンサートが行われた。
続きを読むピッツィオコスたちが、享楽的なコールマンや、エモすぎるアイラーや、理知に支配されたブラクストンよりも、神秘的なコルトレーンの世界に無意識のうちに近づいていることを意味している。
続きを読むロシア屈指のドラマー、ウラジーミル・タラーソフの自伝『トリオ』(鈴木正美訳、法政大学出版局)が出た。タイトルが示すようにヴャチェスラフ・ガネーリン(p)、ウラジーミル・チェカーシン(sax)と出会い、ガネーリン・トリオ(GTChトリオ)の結成から解散に至るまでを回顧している。随分と音楽家の自伝や伝記を読んだが、この本はそれまで読んだものとは全く違う。音楽家や彼らを取り巻く人々だけではなく、KGBや国外に行ったときに同行する「外套」と呼ばれる監視要員も登場、まるでロシアを舞台としたサスペンス小説のような世界だった。
続きを読む2005年9月、東京芸術見本市(TPAM) の招きで、メールスジャズ祭の元音楽監督ブーカルト・ヘネン Burkhard Hennen が来日した。メールスジャズ祭の音楽監督を34年間務め、2005年で退任した彼が、ジャズ祭にまつわる諸事情と本音を語ってくれた。
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