Jazz and Far Beyond
河崎純によるユーラシアン・ポエティック・ドラマのCDが、3月に発売された第一作目『 HOMELANDS』に続き、第二作目『STRANGELANDS』もBishop Recordsから間もなくリリースされる。両作品共、河崎のユーラシアンオペラ等での活動が基盤となって制作されたCDだ。独自の発想で創作を続けてきた彼の言葉を引用しつつ、これらの作品の成り立ちについて書き留めておきたい。
日本を去るにあたってこれだけのことをいった以上、帰国した時の演奏を聴いてくれとしかいいようがない。その時どれだけ変わっているか、よくなっているか、最大限僕はやってみせる。
物質界を脱いでヒカリの存在になったオマさんは持ち前のスピード感が最大限にアップして宇宙空間を自由自在に駆け巡るんだろうなあ。
私にとって、オマさんのベースと私だけで歌う事は非常にチャレンジでした。イントロからして尋常ではなくて…
スピード感溢れる凄いプレーとうねるグルーヴを軸に、バンドメンバーの即興演奏が絡み合い一体化したときに起こる奇跡的で渦巻くような美しい世界、ジャズ特有のエネルギーをここで体験した。
「オマさん僕と演奏お願いします!」子供の頃から母のレコードでオマさんの音を聴いていた私は、とにかくオマさんとプレイしたくなり無謀にもそう伝えました。
音楽をやっていても音楽以外でご一緒させていただいていても、オマさんの周りにいるとミラクルが頻繁に起こっていました。
高校三年生の夏休み、いきなり知らない電話番号から不在着信が27件。「ベースの鈴木勲だけど。」この電話からミュージシャン人生が突然はじまった。
いつもオマさんと演奏した夜のあとは、どんなジャズを聞いても、聴こえ方が違いました。ジャズの場がそのまま完全な臨場感を持って聴こえ、CDのむこうにいるグレイトなミュージシャン達の言っている言葉が理解できる気がする。それはそのままオマさんの作り出していた場がジャズそのものだったという事でしょう、そんな場に当事者として参加する事を許された事は自分にとって今でも恩恵でしかありません。
とにかく色んなことがあったし、沢山のことを学ばせていただいた7年半でした。僕にとってかけがえのない宝物です。
いつだってOmaさんの音を聴くと背筋が伸びる。真剣な眼差しをいつでも思い出させてくれる。ほんとに全てに欲張りな人だったけど音楽がいちばんな人で最後までリアルジャズメンだった。
40年ぶりに陽の目を見る1978年のイーストヴィレッジでのAIRと1980年のティン・パレスでのデクスター・ゴードン、ウォルター・ビショップ Jr、セシル・テイラーら。ロフトジャズ終末期の記録。
耳に親しんだ音楽が実はクインシー・ジョーンズの作品だったということが多々ある。プロデュースの他にも映画やTV音楽での活躍が多岐に渡るからだ。そんな1曲を取り上げてみた。また、クインシーがプロデュースした歴史に残る大イベント、<We Are The World>にも触れてみた。
ブランドの元祖『グッチ』とオスカー・ピーターソンのファッションについて。
連載通算200本を達成するも、ざわつく世情を気にかけながら一進一退を続ける
ボクのタイコの音が、ジャズではなく、東洋的なグルーヴを作り出していることに即座に反応する小杉さんの音楽の、懐の深さにボクは感じいっていた。
ヒロ川島はイギリスのWIRE誌が報じているように晩年のチェットとの親交が厚かった。時にチェットが憑依しているのではと思わせる瞬間さえあった、と言ったら言い過ぎだろうか。
二人の共演ではなくむしろそれぞれ単独の解釈で聴きたい場面が多いコンサートだった。
ジャズの歴史上、最も偉大な創造的開花のひとつが、1970年代のニューヨークで起こった。ミュージシャン自身が運営する数多くの小さなスタジオやロフト・スペースで、主にアヴァンギャルド・ジャズと呼ばれる即興音楽が、ジャズの歴史上でも稀なほどの豊かさと多様性をもって生まれたのだ。
詩から解放された歌、意味から解放された言葉を歌うヒグチの声は呼吸と一体化し、体内をめぐる血液のように、ずきんずきんと鼓動する。
音楽だけに留まらないミルフォード・グレイヴスの魅力と、それに感化された演奏家たちの交流のドキュメントとして、想像力を逞しくして味わい尽くしたい芸術品である。
ロンドンのサックス奏者マッシモ・マギー、ドイツ・カッセルの三味線奏者ヨシュア・ヴァイツェル、日本のエレクトロニクス奏者の池田謙は、打楽器奏者エディ・プレヴォ主宰のワークショップで知り合った仲である。プレヴォも、また最近帰国した池田も、長い間ロンドンが活動の拠点だった。したがって、このときヴァイツェルのみが海を渡り、ロンドンのCafe Otoに集まったことになる。
高木のサックスの音色の美しさは特筆ものだ。吉沢が加わることで演奏の空間をぐっと広げ、演奏の密度を一気に濃密にしている。
この “ザ・ブレンド” は、ジャズ・サウンドを展開、全員の迫力あるソロ・ワークを前面に押し出しており、ライヴ・バンドならではの本源的な力強さと蠱惑力に溢れた卓抜なものとなっている。
ショーロ・クラブでの活動や作曲家、プロデューサーとして活躍し、自己のレーベルUnknown Silenceからも精力的なリリースを続けてきた沢田穣治は2021年半ばに悪性リンパ腫が見つかり闘病療養を続けてきたが、今回、復帰後の初めての上京ライヴを行った。
<夜空ノムコウ>、<あとひとつ>などの数々のアーティストへの楽曲提供とヒットでも知られるシンガーソングライター川村結花。デビュー25(+1)周年を記念した丸ノ内コットンクラブでのバンドライヴ。
ジャズの発祥はアメリカですが、これからは日本のジャズの音空間を作り続け、日本から世界に発信したいと思います。
生きることでも、音楽においてでも、根源とは何かということを常に探し求めることです。探究心がなくなれば全てが停止してしまいます。そのためにはやはり旅が必要になってきます。
最大の贈り物は、彼の死に立ち会えたこと、そしてそれを若くして見ることができたことです。精神的な面で、私にとってポジティブな経験でした。