#08 広島ウィンド・オーケストラ定期
一方、ウィンド・オーケストラの勢いは凄まじいくらい。実際、日本は世界で最もウィンド・オーケストラが盛んな国として知れ渡るようになった。
続きを読むJazz and Far Beyond
一方、ウィンド・オーケストラの勢いは凄まじいくらい。実際、日本は世界で最もウィンド・オーケストラが盛んな国として知れ渡るようになった。
続きを読む井上陽介と高橋信之介が聴いているこちらにはあたかも黒子に徹してプレイしているように見えながら、その実、トリオとしての音楽的展開の中枢をにない、大西との会話をスムースに運ぶ役割をも果たしている点で、今日の本邦を代表する屈指のピアノ・トリオであることを私は再確認した。
続きを読むそれにしても単独フルートのコンサートに1632席の大半が埋まるほど観客が詰めかけるとは。さすがフルート希代の名手エマニュエル・パユのコンサートというべきか。
続きを読むとりわけ強く印象に残っているのがフェスティヴァルの開幕日と、最終日(日曜日の11日)の取りを飾ったAACMビッグバンドの演奏で、そのリーダーが彼だった。
続きを読むそれにしても、ジャズにおける表現の自由にはあらためて驚く。いや驚くのみならず、深い敬意を抱かずにはいられない。
続きを読むシーネ・エイのジャズ・ヴォーカルの実力と魅力を味わい尽くせる素敵な新作であった。バックのセンスのいいプレイをも称えたい。もっと人気が出ていいシンガーだ。
続きを読むどうやら当夜は終始ゴンサロがリードし、チューチョはといえばあたかも息子にすべてを任せて安楽椅子に座っている風だった。
続きを読むそれがこの日は、違った。初めてというのがお恥ずかしいくらいに、団伊玖磨が書いたオペラのスコアから生まれる洗練された音楽に酔いしれた。
続きを読むウェールズの気候風土を知り抜いた尾高ならではの指揮(指揮棒はこの日1度も使わなかった)がすこぶる印象的だった。
続きを読むクラブ(WWW、WWWX)演奏も注目を集めたことなどを含めて、渋谷に移転しての東京JAZZフェスティバルは第1回としては成功裏に再出発したといってよいだろう。
続きを読むこのグループは邦楽器を扱う作曲家の集まりだが、彼らが洋楽畑出身であるところに大きな特徴がある。私のようにジャズの分野での執筆活動を続けてきた人間が、趣味で親しんでいた邦楽の分野でも執筆をするようになったことと共通しているといえなくもない。
続きを読むしばらくの間ご無沙汰していた「食べある記」の扉をを久しぶりに開けて、今回は「食べある記」を振り返りつつ、食べ歩きをひとしきり楽しむことにする。
続きを読むかくして第85回記念をうたった藤本昭子の<地歌ライヴ>は成功裏に終演した。この先どのくらい長く続くかは、言わずもがな彼女の健康と気持次第だが、みずからは冒頭の挨拶の中でにこやかに意中を披瀝していたのが頼もしくもあった。
続きを読む少なくとも本場アルゼンチンでもこれほどの充実したプログラムと構成のピアソラ・タンゴは滅多に体験できないという感激をひたすら味わいながら楽しんだ2時間余であった。
続きを読むオーケストラ・リーダーとして、オーケストラル・コンポーザーとして、この道一筋に歩んできたマリアだが、昨年の第58回グラミー賞では最優秀作曲家賞と最優秀ラージ・ジャズ・アンサンブル賞の2部門でベストの栄誉に輝いたことで、ある意味では長年にわたる彼女の努力と精進が報われたといっていいのではないだろうか。
続きを読む場内は超満員。この数年、「ブルーノート東京」に限らずこの種の大型ライヴハウスは特にシンガーが出演する週となるとどこも好況に沸いているが、それにしてもこの活況ぶり。これってダイアン・リーヴスの人気ゆえなのか。
続きを読むそのほぼすべてに岡部の ”ディスオリエンタル” 意識が反映されていて興味深い。
続きを読むこの日の彼女の歌いっぷりを見て、私はふと思った。笠置シヅ子が生まれ変わって現れたのではないか、と。
続きを読む思わぬ展開にびっくりしたり、考えさせられたり、共鳴したりと、久々に感慨深く聴いた4つの邦楽コンサートをめぐって
続きを読む河田黎がこれらの楽曲、わけてもジャズへのアプローチが欠かせないヌガロの楽曲をこれといった迷いも逡巡もなく堂々と料理出来た裏に、ピアノの太宰百合の例外的な健闘があったことを忘れるわけにはいかない。
続きを読む実際、リーダーのジョナサン・カッツをはじめバンドのプレーヤー全員がプレイすることに喜々として楽しんでいる姿や演奏に献身している人間味が、サウンド全体から横溢して聴く者のハートに火をつける。
続きを読む「魔法使いの弟子」にしても、この「幻想交響曲」にしても、あたかも全力で格闘技を試みているかのような彼の一挙手一投足、あるいはステージ上の俳優が身体を張って演技するかのように彼のタクトに応える都響の迫真の熱演に、会場を埋めた聴衆の誰も彼もが思う存分酔わされたのではないだろうか。
続きを読む「ジムノペディ」についての謎はともかく、のっけからフル回転する狂騒のソロ爆発~立花秀揮(as)、石渡明廣(g)、山田あずさ(vib)~には久々に脳髄がほてった。
続きを読む10人が10人、90歳を超えてこんなパンチのある溌剌とした声量で歌えるものかと誰しも怪訝に思ったのではないか。、実際、終盤になって熱狂的な大歓声の中で再登場したベネットは、彼の十八番といっていい「ザ・ベスト・イズ・イエット・トゥ・カム」や「霧のサンフランシスコ」などをいかにも喜びを爆発させるように歌った。
続きを読むもし、スイスで私が内田さんと巡り会わなければ、私のカメラは故障したままだったろうし、ルイ・アームストロングの姿も幻のままで終わることになっただろう。
続きを読むそれはジャンルを超えているらしい。これを図らずも示したCDがMARUのデビュー作だった。私は初めてこのCDで彼女を知った
続きを読む海外の<この1枚>も2枚がブラッド・メルドーがらみで、今日のジャズでは最も魅力に富み、2枚とも味わいと奥の深いアルバムだった。
続きを読む東京ビッグバンドはステージに並んだ顔ぶれを見ただけで、野趣横溢する屈強のビッグバンドであると分かる。これから何か楽しいエキサイティングな演奏が起こるという期待が湧いてくるのだ。
続きを読むまともに各項目に1点づつ推すという理想にはほど遠かった。しかし、好意的な解釈をすれば、それだけ甲乙つけがたい秀演が多かったということになるだろう。
続きを読むそれにしても、ごく最近に限ってもこの国はおかしい。
続きを読む彼の演奏を聴きとどけた時点で、この夜の私のほとんどすべては終わった。私にとってのコンサートはデームスを聴き終えた時点で終わったも同然だった。だが、実際は前半が終わったに過ぎない。まだ後半が残っている。
続きを読む、往年の知られざる規模の小さな作品に息を吹きかけるように演奏して観客を楽しませる術といい、日本にもかくも奔放にして個性的な演奏をする演奏家がいるのかと、その演奏を目の当たりにして実は嬉しくなった。
続きを読む若い芽がすくすく育って、気がつくと大きな器に磨きがかかり、魅力的なアーティストとなって颯爽とした演奏を披露している。
続きを読むここでのシリルは定則ビートに忠実なドラミングを展開しているわけではない。大向こうを唸らせるようなプレイとは無縁の、ここでのサウンドに即したリズムの在りようを見出し、ビル・フリゼール、リチャード・タイテルバウム、ベン・ストリートらが描きだすサウンド絵巻や音の情景描写にふさわしいパーカッシヴ・サウンドを、あたかもスティックを絵筆に代えたアーティストとなって生み出している。
続きを読む2009年から足掛け7年で彼女は着実な成長を遂げ、いまや邦楽界の第一線を闊歩する。ジャンルとしての邦楽を超えた彼女のさらなる飛躍を私は大いに期待する。
続きを読む両者のこの演奏を聴いて、常に作曲者であるインプロヴァイザーと、現代音楽作曲家のスコア作品との明らかな違いがよく分かった。すこぶる興味深かった。
続きを読むプログラムの楽曲解説とは違った楽曲の捉え方やショスタコーヴィチ音楽の面白さがあることを発見し、批評家や曲解説の執筆者の判で押したような解説を飛び越えてイメージを思う存分膨らます楽しさを久しぶりに味わった
続きを読む東京ビッグバンドはステージに並んだ顔ぶれを見ただけで、野趣横溢する屈強のビッグバンドであると分かる。これから何か楽しいエキサイティングな演奏が起こるという期待が湧いてくるのだ。
続きを読む東京ジャズ祭が国際フォーラムから撤退し、来年2017年度から渋谷に場所を移して開催されることが決まった。渋谷での Tokyo Jazz Festival 開催に向けた新しい動きがすでに始まったといっていいだろう。
続きを読む16回目の今回は、ニューヨーク・リコリッシュ・アンサンブル、Satoko Fujii Quartet、くりくら音楽会~二台ピアノ大作戦、ニコール・ヘンリー(Nicole Henry)を食べ歩く。
続きを読む世代交替は世の常であるが、それにしても昨今、一際優れた能力を持つ新鋭がジャンルの別を問わず、枚挙に暇がないといってもいいくらい次から次へと出現するさまは壮観ですらある。
6月に聴いたジャズ(系)・ヴォーカルの寸評を3つ。もう余白があまりない、最後にクラシックの演奏会から。
そこにピアニストとしての、あるいは音で語り、音を織り成していく詩人としてのメルドーの、いわばメルドーらしさが、この新作に息づいているということではないだろうか。
続きを読む当夜のプログラムはペルトとライヒの作品が2曲づつ。これではいくらクリスチャンへの注目が高まっているとはいっても入りは期待できまいと踏んだ当初の予想は、見事に外れた。
続きを読むこのBig Phat Band を率いるのはゴードン・グッドウィンズという男だが、普段はピアノの椅子に座ってバンドをリードし、演奏が終わればマイクでファンと交歓しあい、喜々としてメンバーや演奏曲の紹介を通して雰囲気を盛り上げる。
続きを読む♩テクニックといい、表現術といい、演奏スケールといい、まさに舌を巻かざるを得ないソロ・サックスの妙技に酔った2時間余であった。(上野耕平:サクソフォン)
♩6歳を数えた2016年4月、<邦楽2010>が大きな春を迎えたといっていい小ホールでの出来事だった。(音のカタログ Vol.6)
私たちのあの悲劇への痛切な思いが、このときの演奏と合体した。少なくとも私はそう思って身を震わせた。汗を噴き出しながら指揮した斎藤の胸中に何が去来したのか。久保摩耶子は最後に書いている。<この「三陸のうた」を聴いて自然の大惨事の風景をそこに探そうとするならば、それは間違いです>、と。
続きを読むこの2ヶ月ほどの間に聴いた出色のジャズ・ヴォーカル公演を久しぶりに取り上げてみよう
続きを読むphotos:VOLCAN (古賀恒雄
続きを読む同一メンバーでピアノ・トリオ吹込に再度挑戦したこの新作は、グラスパーという音楽家が現在では演奏家としてのスケールも能力もすべて飛び抜けていることをまざまざと示し出した。
続きを読むそれもジャズのみならず、クラシックや邦楽も含む中での選出だから、ややこしいのはさておき、ベストスリーにしぼるのが実に難儀だった。
続きを読む種を先に明かしてしまおう。実は、高橋ゆりさんとは現マイク・ノック夫人である。ノック夫妻とは私がオーストラリア・ジャズ界を視察した折りに懇意になった。
続きを読む彼女はまず、ミャンマー古典歌謡を演奏する最もベーシックで代表的な演奏形態であるサインワイン(Saing Waing)・アンサンブルの紹介から講演を開始した。
続きを読むtext by Masahiko YUH
続きを読む山下にとっては2年に1度相まみえるメンバーとのこの邂逅は、まるで牽牛と織女の逢瀬ならぬ、待ちこがれた一夜なのではないだろうか。あるいは私自身がそうだったように、当夜が待ち遠しくてならなかったのはむしろSBBの熱烈なファンの方だったかもしれない
続きを読む待てど暮らせど彼女たちに対抗する若い才子が現れないとなれば、潮目が男性側に来ていないのだと思うしかないか。あきらめかけていたところに飛び込んできたのがこのオカベ・ファミリー(Okabe Family)を名乗るユニットのデビュー作である。といえばいかにも恰好いいが、実際、このユニットの音楽は目をみはらせるほど新鮮だった。
続きを読む年が改まってはや3ヶ月。時の流れは予想を超えて速い。早くも鞭が入ったかと錯覚するほど、2013年の幕が開いてほどなく、次々とジャズの威勢のいい演奏と出会った。そこで、その幾つかをピックアップすることから本年最初の<食べある記>を始めることにしよう。
続きを読む実際に全曲を繰り返し聴くことで、ここでの高度なオーケストレーションとアンサンブルの磁力に次第に引きつけられる、そんな快感を私は久し振りに体験した。
続きを読むしばらくぶりに聴くと驚くほどうまくなっている。決して誇張ではない。主婦でも、一児の母でもあるというのに、大したものだ。
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