Jazz and Far Beyond
ジョナサン・カッツがこれら日本の古い童謡や古謡を愛し、これら作品の上品な抒情性と風味を決して損ねることなくビッグバンド用にオーケストレーション化した。
齋藤徹の軌跡は私の記憶の中でさまざまな事象にシンクロしながら、その時々の音楽動向、即興音楽を取り巻く変遷と共に蘇ってきた。それは「音をさがして」の旅だったのではと今にして思う。
1999年、CD『Poem Song』に先立つ日本ツアーの途次、札幌でのコンサートから。
貴方は一本の古木とも共演できる人でした。
人に実存を強く覚知させる類の音楽だったと思っています。
「私の方が彼に学ばせてもらっています」—-齋藤徹さんから、何度その言葉を聞いただろう。
音楽の本質とは何かを常に問いかけてきた徹さんは、私にとっては試金石のような存在でした。
ぶっ飛びました。今まで聴いたことのない爆裂サウンド。歪みッぱなし。
「包丁お定のモリタート」にCuniCo が生きるきっかけとなったのは、安田南ではない。 唄:新井純 /pf:林光 である。
グラスパーほどのちからはまだないにせよ、確実に新しいジャズを創造していくシオ・クローカーの待望の新譜が発表された。期待通りの傑作で書くべきことは山ほどあるが、今回は趣向を変え、作家村上春樹氏を引き合いに出させて頂いて、ジャズの流れにも触れてみた。ついでにアーウィン・ホールの爆発的アルトソロも採譜して解説。
自立した女性がブラック・ファッションに身を包む、アビー・リンカーンならではの装い。
ベイリーは、「曲」がほんの数小節まで凝縮されてよいのなら、即興演奏もまたそうあっていい筈だと思ったのではないか。
バールと齋藤徹との明確な違いは、齋藤徹がすぐれて日本的な個有の様式美を確立していることなのだ。
特定のスタイルを標榜する訳ではないが、この潔さは即興音楽スリーピースの極意と言えるに違いない。パーマネントなトリオではないことを重々承知の上で言わせてもらえば、Improvised Music最上のトライアングルである。
齋藤徹は、再び、ことばを中心に据えたプロジェクトを形作った。それは音楽だけではない。同時代の詩人たちが詩を持ち寄り(齋藤の幼馴染であった渡辺洋は故人ゆえ、齋藤が渡辺の詩を選んだ)、松本泰子が歌い、庄﨑隆志が踊る。また詩人たちも朗読などによってテキストだけではないかかわりを持つ。
通常のコンサートと比較してまったく疲れを感じないことに加え、毛色の違った演奏をはしごして楽しめる喜びも
”Carnets”には、旅で素晴らしい風景に出会ったときに思わず書き留めるようなポケットに入る小さな手帳を、そしてその先に生まれる音楽をイメージしたといい、作曲家が旅をしながら生み出した音楽にフォーカスした。
極めて独自性の高い三者のセッションが実現した。即興シーンにおける縁や邂逅の断面のひとつである。
ビッグバンド・サウンンドの王道を堪能。
各パートの神経質なアレンジとサウンドを、きめ細かいミックス技術で仕上げ、これがサウンドの特徴。
それぞれの楽器のしなやかさ。録音表現として高く評価したい。
シンバルの響きとピアノの残響との組み合わせは豪快。
ボーカルの扱いを輪郭に徹し、質感に鋭さが優先。
ギターの分厚い音色とエネルギー丸出しは痛快。
フルート+バスフルート、ベースとドラム。このトリオの、それぞれの高音質録音に驚く。
ボーカルを含めて音像の厚い表現がオーディオの魂をくすぐる。
でも信じてやれば叶うこともあるんだと、自分は間違ってなかった、と胸を張って言えますね。
政治がいくら危機を煽り立てても、好きな人は軽く海を越える。情報交流が盛んになった今、日韓は、違いを楽しみ、共通を分かち合える関係になれると思います。
作曲家・ピアニスト・オルガン奏者・歌手のアミナ・クローディン・マイヤーズへのインタビュー。これからのいくつかのプロジェクト、もっとも記憶に残っている共演、そしてAACM(創造的音楽家たちの進歩のための協会)での仕事について。