Jazz and Far Beyond
日本のジャズ・ファンにはにわかには信じ難いかもしれないが、この田村夏樹=藤井郷子の演奏と音楽を愛し、熱心に応援する熱狂的ファンが世界中に大勢いることは余り知られていない。
即興音楽が最高のエゴの音楽、サウンドの主観性に立つ音楽だったとするならば、まさしく阿部は当時の即興演奏家の中でも最高峰のひとりだったと言える。阿部にまつわるエピソードには事欠かないし、彼についての言説もまた多い。しかし、いったん雑念を取り払って、純粋にそのサウンドに向きあって聴くことが、21世紀の今求められていると思う。
そうまさに、その造形は奇想であり、くねくねとした自由な即興の蠢きのようでもある沖至のトランペットはシュールレアリスムそのものなのである。そのフォルムは思考を映しているのだと思う
沖さんの音は、そのお人柄のように、柔和で優しく深いけれど、強いものを潜めている音。そして、一点のブレ、一切の妥協もない。
沖さんがそこに立っているだけでそういう世界が出来上がってしまうというのは、表現者として実に素晴らしく、稀有な存在だと思う。
沖ちゃんは実に沖ちゃんらしく生きて、そして死んだ。
沖さんは、トランペット1本で幅広く多彩な表情を出せる人。シリアスなフリーから、スタンダード・ナンバーまで、他の誰でもない強い個性で演奏をされた。
沖さん何事もなく、この2本のマイクの音像を造って演奏された。私、何も口出さなかったけど。
打ち上げで、「あのマイク、グーだな」と。
自分の誕生日は忘れても、クリフォード・ブラウンの命日は、いつもローソクをあげてやるんですよ。それだけのものをあの音には感じます。
メトロで若いチンピラ共にぐるっと取り囲まれても沖さんはへっちゃらな態度をされていたことも思い返されます。
「沖さん、ほんとにほんとに長いことありがとう!また天国から蝶のようにひらひらと私たちのところに飛んできてください。」
PARISでも京王線の中でも少しも変わらない沖やん、もう少し一緒に音出したかったです。
OKIさん、さよなら、長い付き合いだった..。寂しくなるぜ。
限りなく自由でオープンで、人を喜ばせるのが大好きで、いつも合言葉はハッピネスとクールクール。
私はスペイン人の母と日本人の父の間にフランスで生まれ育ちましたが、日本の精神世界や哲学には自分のルーツを感じています。
「ステージでヌシコク(〝死ぬ″の隠語)の夢ですよ。木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたってネ」。
背もたれのない椅子に腰掛け続けたのは、それも美しく腰掛け続けたのはあなただったと気がつけた。
沖さんは時と場所、相手にかかわらずいつでもどこでも沖至でいられる稀有な音楽家だった。おそらく体幹にしっかりとメインストリームを蓄えているからだろう。スピリットはつねにフリーであったとしても。
私は、生涯の友であり、初めて聴いたときから憧憬の念を抱き続けてきた音楽家を失うことになった。(マンフレート・アイヒャー)
ミラノ在住の写真家ロベルト・マゾッティによるゲイリー・ピーコック写真集。初めて公開される写真も含まれている。
「ベースだけど、音に囲まれたような空間に、出来ないか?」
2017年秋のニューヨークに滞在中、ジャズクラブ「ジャズ・スタンダード」にゲイリー・ピーコック・トリオが出演していて、元気なゲイリーに会うことができた。
「即興の基本は耳を使うこと」、「 “体験” しないとノイズが音楽へ変わるプロセス、サムシングは、理解し難い」、「(自分の)チョイスは、スタンダードであろうと、フリーであろうと、何でもプレイする事さ」
京都で暮らしていたということも、そのプレイスタイルに大きな影響を与えたであろうと考えると、日本人として嬉しくもあり、一方、同じベーシストとして、しかも京都で学生時代を過ごしていた身としては、ちょっと悔しい思いもあります。
参加している演奏はどれも魔法をかけたように特別なものとなる様から、ゲイリー・ピーコックさんは僕にとっては魔法使いとなりました。
3人で荒れ狂う海に飛び込んで行く。3人とも溺れてしまう事もあるけど、見た事もない楽園に3人同時に辿り着く事もあるのです。音楽でリスクを侵す事を恐れてはいけません。
ゲイリーの演奏を聴いているとベースを弾いているということを忘れてしまう。ベースを弾いている、ということ以上に彼の内にあるものが強く伝わってくる。このような気持ちになる演奏家は決して多くない。
プーは私と一緒に音楽を通じて、菊地雅章とは誰かということを証明したがっていた。一緒にやることによって、自分自身を証明し、同時にプーは“ゲイリー・ピーコックは誰か”をも音楽を通じて見抜こう、探り出そうとしていた。(ゲイリー・ピーコック)
日本が波長に合うのか本当に日本が好きだったようです。
小川先生の話ではゲイリーさんはアメリカでかなり体調を壊し、久司道夫先生に相談して、マクロビオティックを勧められ、その哲学や食事法を学ぶために家族で来日して京都に住み、時に東京にきて天味で食事をし、久司先生から紹介された小川先生と会っていたものと思われる。
つまり、日本の伝統的な文化を学びたいからです。西洋と東洋の...精神は、相反するものです。私は、日本の精神の中からたくさん学ぶことがあると思っています。
Garyは Be-Bop の影響があまり聴こえないベーシストですが、4/4 でスイングする時のグルーブは強力です。また、こんなにスペースを感じられるベーシストは稀だと思います。
その頃ゲイリーさんは太極拳やマクロビオティックをやっていて 小さな玄米のおにぎり持ってきて食べていたのを覚えてます。
ゲイリー・ピーコックにつながる僕個人の最大の軌跡は、1994年の菊地雅章、ゲイリー・ピーコック、富樫雅彦のトリオによる「Great 3」である。
マイルスのひと言で開眼し、独自の音楽宇宙を創造したゲイリー・ピーコックの功績は大きい。だがそれは彼が持って生まれた才能に依存する部分が大きい。筆者がお気に入りの、ゲイリーのアルバム『Guamba』を取り上げてみた。ゲイリーが描く宇宙をしっかりと理解して、共同体として存在するメンバーの一人一人の素晴らしさや、高度な技法で書かれたゲイリーのオリジナル、<Celina>を解説。
ファッションにはほとんど興味のなかったジョン・コルトレーンのファッションについて。
ハコ・演者・聴き人 それぞれが三者三様にコロナウイルスに万全の対応を図りながら、今宵もまた「心の糧」音楽を求めて夜の巷を徘徊する。
時間の魔術師ラス・ロッシングが、良寛と道元の歌をもとに新しい音世界を作り上げた。異色作にして注目作。
まさに聴くたびに感嘆させられるマリア・シュナイダーの書法と、世界を代表する演奏者を集めて記録したオーケストラ・アルバムではあった。
たった3曲だが、何と変化に富んだ演奏か。迷路のような暗がりを通って明るい表通りへ。そのつど心が踊る。
阿部のソロは、やはりジャズのスタンダードを、そして日本の歌謡曲や古い歌をモチーフにして展開した。その意味では全くテーマの無いフリー・インプロヴィゼーションであるより、フリージャズの伝統に根ざしていると言っても良い。
しかしむしろこれはジャズ的な問題を一切排したところに成立した日本、アメリカ、マレーシアのハイブリッドな音楽であり、そのテーマは、まさに「変化して行く未来」に期待するべきだろう。
この日3人の中ではいちばん調子がいいゲイリーのプレイは相変わらずカッコ良かったし、モチアンも彼にしかできない独特の間合いでイマジネーションを広げていった。
松丸契のアルトサックス独奏シリーズは場との共犯であり、はからずも観る者を語る者にしてしまう力がある。実に興味深い試みだ。
好きな音楽の基準は「分かるか分からないか」ではなく「心が動くか動かないか」である。JAZZ ARTせんがわは、縮小開催された今年も最高に心が動く瞬間を与えてくれた。
沖至の古くからの友人でもあり、現在のパリの即興シーンの重要なオーガナイザーの役割を果たすアトリエ・タンポン、マーク・フェヴルの主催により行われた。
転がり続ける演奏体UHの轍は、たとえ苔が生そうとも、表現者の足音が永遠に鳴り続けるに違いない。
通常のビッグバンドのエネルギーの爆発とは違う。各楽器の明瞭なサウンドが、ミックス・バランスでのテクニックで持続の特有のサウンドとして生かされている。
楽器の奏法から得られる音空間を見事な録音で仕上げた技に驚嘆。マスタリングも大きな貢献を果たしている。
各楽器のサウンドに明瞭さがあって、バランスも良く、気持ちよく聴ける。
ピアノトリオの雰囲気が自然なバランスで聴かれる。心地いい
録音場所の石材で作られた宮殿の部屋の残響を生かしたサウンドに、スタジオ録音とは異なるピアノ、サックスに自然さを感じる。
即興演奏家の個性というものは、例えるなら“聴く”という共通・共有な土壌の上に咲いた花だ。その花には色々な種類、色、香りなどあるけど育っている土壌は変わらない。