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鯉沼利成

From the Editor’s Desk 稲岡邦彌ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 306

From the Editor’s Desk #15『Remember Saison』

次男の堤清二が流通系、異母弟の義明が鉄道+不動産を分担したが、清二はより旗色を鮮明にするためにセゾン・グループを名乗り事業拡大、セゾン文化圏と言われるまでに成長させたが。

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”稀代の興行師” 鯉沼利成の世界No. 280

”稀代の興行師”鯉沼利成の世界 #7「Live Under the Sky ’79」

第3回は渡辺貞夫を特別ゲストに迎えブラジルからエリス・レジーナやエルメート・パスコアールが参加、さらに広がりのあるイベントになった。

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”稀代の興行師” 鯉沼利成の世界No. 279

”稀代の興行師” 鯉沼利成さんの軌跡 #6「Live Under The Sky 1977 VSOP]

1976年7月、アメリカ建国200年の”ニューポート・ジャズ・フェスティバル ・イン・NY  ’76” のスペシャル・ライブとして組まれていたこのVSOPバンドは、当初は何と! マイルス・デイビス(tp)が出演するプログラムであった。

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”稀代の興行師” 鯉沼利成の世界No. 278

”稀代の興行師” 鯉沼利成さんの思い出 #5『ドン・チェリー・ファミリー 1974』

まるでチベット仏教の寺院の中の様なカラフルな幕(モキ・チェリー夫人のキルト作品)が背景に下げられていて、その前で子供や奥さんも参加してのファミリーバンドだったのだ!

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”稀代の興行師” 鯉沼利成の世界No. 277

”稀代の興行師” 鯉沼利成さんの思い出 #4『CTIオールスターズ 1973』

そして生のサウンドを聴く事はジャズの本来の聴き方でもあるが、ジャズカメラマンはとても贅沢な特権と貴重な体験ができる!だからこれはやめられ無い仕事になった!(笑)

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”稀代の興行師” 鯉沼利成の世界No. 276

”稀代の興行師” 鯉沼利成さんの思い出 #3「アート・サンサンブル・オブ・シカゴ」

大胆にも日本公演を実現してくれたあいミュージック鯉沼さんのお陰でアート・アンサンブル・オブ・シカゴを京都で撮影できた。

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”稀代の興行師” 鯉沼利成の世界No. 274

”稀代の興行師” 鯉沼利成さんの思い出 #1「マル・ウォルドロン」

こっそり持ち込んだニコンで撮ったディジー・ガレスピーの写真が、写真雑誌「日本カメラ」の月例読者写真コンテストに応募して銅賞に入選した!

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No. 241R.I.P. セシル・テイラー

哀悼 セシル・テイラーとの思い出

そんなセシルが帰国する直前、出来たらもう一度日本へ来たいし、住んでもみたいと語ったのは、決して外交辞令的な発言ではなく、半ば本心だったのではないかと私は思っている。

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Columnある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 239

ある音楽プロデューサーの軌跡 #43 「“偉大な興行師” 鯉沼利成さんとの仕事」

「鯉沼さん、プロモーターとしてやり残したことはないでしょう?」「プロモーター? 俺は興行師だよ!」。大興行師・鯉沼利成と音楽人としてのキャリアの一部を共有できたことは光栄かつ名誉なことである。

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