Jazz and Far Beyond
今西紅雪のことを即興にも活動を拡げた筝奏者と捉えるのは妥当ではない。サウンドアートや電子音楽などとの関わりの中で自然に即興演奏を行ってきた人である。彼女にとって即興とは「ありのままの自分」だ。
クラリネットとバスクラリネットのみで即興演奏も行うプレイヤーは極めて希少だ。その独創性は、何かに依拠することなく自分自身の価値観に合う音を見つけてきたことによるものではないか。
加藤崇之は大ヴェテランでありながらまったく同じ場所にとどまろうとしない。音に対して自分を開き、つねに衝動やひらめきを大事にする人である。
池田謙は俯瞰の音楽家である。自身の音には確固たる方法論がありながら、自我を表出させることを極端に回避する。現代美術や小説も手掛けるかれの展開するマンダラはどのようなものか。
徳永将豪はロングトーンを追求するアルトサックス奏者であり、日本の即興音楽シーンでも特異な存在である。それは模索の結果たどり着いた「音の基礎研究」だった。
MIYAはフルート奏者であり、モジュラーという電子楽器をフルートと組み合わせる世界唯一の人であり、また日本の伝統音楽を演る人でもある。それぞれの活動が、彼女の原点であるフルート演奏にフィードバックされるのがおもしろいところだ。
静寂と静寂とのあわいにいるような蒼波花音の演奏は、多くのリスナーを驚かせ続けている。彼女は自分自身について「つねづね遅れを取るけれど、その先に良いことがある」人生だなと感じているという。
吉田隆一のことをバリトンサックス奏者と呼ぶだけでは不十分だ。SFへの深い造詣をもとにした文筆(日本SF作家クラブの理事も務めているのだ!)、サックス奏者たちの演奏法の分析、ラージアンサンブルのプロジェクト、無伴奏ソロなど、八面六臂の活躍ぶりである。
石田幹雄のピアノについて、「こんな感じ」だと説明することはむずかしい。その愉快なもどかしさの鍵は、石田のいう「中庸」「立体」「色味」かもしれない。
武田理沙が『Pandora』でシーンに衝撃を与えてから5年以上。いまだスタイルを定めず分裂気味に突き進むこと自体が、彼女の独創性である。
いまでは、即興演奏を手掛けて伝統的な邦楽から越境する箏奏者は少なくない。マクイーン時田深山もまた伝統から出発した人だが、彼女の音楽性は誰にも似ていない。
池田陽子はクラシックからロックを経て即興に入ってきた人である。2021年の終わりころに意に沿わぬ難聴を抱えてしまったが、それを機に、自分の音楽のあり方を見つめなおしている。それは音楽活動というものを考えるにあたり本質的なことにちがいない。
長沢哲は傑出した打楽器奏者でありながら打楽器奏者らしからぬところがある。そのギャップこそが長沢の本質だ。
ピアノ周りの奇妙な仕掛け、不思議なデバイス、演奏に向かうふるまい。すべてが独特極まりないアーティストである。
本藤美咲は自分の話をしながら「わたし馬鹿なんですよ」と笑う。彼女の底知れないおもしろさは、つねに眼前にある音楽に没頭し、文字通り身を投じ続けてきたところから形成されてきたように思われる。
中村としまるはノー・インプット・ミキシング・ボードから強烈な音を出す人でありながら、自分の音という我を通すわけではなく常に飄々としているようにみえる。このギャップは、状況の変化とそれへの対処を愉しむというスタンスのゆえだ。
永武幹子(ピアノ)が日本のジャズシーンで目立つ存在となって長い。今年(2023年)に台湾のサックス奏者・謝明諺との共演の際、自然に「インプロで」と指示して演奏する姿を観て、筆者は驚いた。どのような変化があったのか。
阿部真武はさまざまなタイプのプレイヤーとしなやかに共演するベーシストである。演奏を行う場、演奏を介した関係の構築、それらは演奏家として自分自身に意識的にフィードバックされているようだ。
竹下勇馬(楽器製作家、演奏家)はいくつものセンサーモジュールを取り付けた「エレクトロベース」、回転・揺動スピーカー、半自動楽器などを自作し、自ら演奏する。また近年は野鳥の撮影にも本腰を入れており、あまりのオリジナリティに誰もが戸惑っているようにみえる。その不可解さは少なくないインプロヴァイザーたちも惹き付けている。
遠藤ふみは、この数年間の即興シーンにおいて大きな注目を集めるピアニストとなった。静寂を引き寄せて音を発するスタイルは、気の合う人との関係をゆるやかに深め、次の関係へとつなげてゆく中で得られたものだ。
エレクトロニクス奏者の岡川怜央は突然シーンに出現した。それが突然にみえるのは、かれが内なる声に耳を傾けて個人としての急激な進化を遂げたからである。
ギタリスト・秋山徹次は独特極まりないスタイルを持っているようでいて、その一方でスタイルなるものとは対極にいるようにも思える。かれの演奏を予めイメージすることは困難であり、まさにそのことが秋山徹次という個性を特徴づけているようだ。
何年もの間、東京のシーンにおいてギタリスト・細井徳太郎の名前をみない日はほとんどない。かれの活動は多岐にわたっており、バンドも、デュオも、ソロでの弾き語りもある。そしてかれをジャズギタリストと呼ぶことは難しいかもしれない。それは活動領域ではなく指向性のゆえである。
ドラマー・パーカッショニストの外山明は形式にまったくとらわれないプレイを行い、ポップスやジャズだけでなくフリー・インプロヴィゼーションのライヴも行っている。だが、外山自身の演奏に対する考えに照らすならば、この説明は本質的なものではない。仮に外部からフリー・インプロヴィゼーションを演っているように見えたとしても、外山にはそのつもりがないからだ。
ジャズを出発点としながら一触即発のフリー・インプロヴィゼーションや遊び心満載の演奏まで実に幅広いサウンドを展開するピアニスト・高橋佑成。ジャンルがなんであれ、自身の根底は変わることがないと話す。
日本どころか宇宙を代表するサックス奏者・林栄一。「以前は、曲を演るときとインプロやフリーを演るときとで、スイッチを切り替える感じだった。今は一緒にしようと思っている」と林は言う。