【アーカイヴ】撮っておきの音楽家たち #105
グスターボ・ドゥダメル(指揮者・作曲家)
「万人に音楽を」がグスターボ・ドゥダメルの哲学の礎になっている。
続きを読むJazz and Far Beyond
「万人に音楽を」がグスターボ・ドゥダメルの哲学の礎になっている。
続きを読むこのピアノトリオアルバムを聴くと、私たちは気づかないうちに鈴木の創造性の源泉に触れ、彼女の経験してきた音楽的歴史に胸をふるわせる。
続きを読むゴールも近道もなく、ただ道があるだけだということを思い出させてくれてありがとう。
続きを読むエリック・ミヤシロの呼びかけで結成されたトランペット奏者4人からなる新ユニット「4TRP. Legends」は、世界中の人にレジェンド達の魅力とトランペットの魅力と無限の可能性を伝えていくことだろう。
続きを読む言われてみれば当たり前に「いい演奏をいい音で」捉えられているのです。
続きを読む及川サウンド !! 、これからの音楽界こそど真ん中に置くべき音質です・音楽ファンには身体の真ん中に染み込ませていただきたい。
続きを読む一発勝負のステレオ同時録音の凄技と気迫を目の前で見た。もう神業と言うしかない。
続きを読む僕のBassの師匠である井野信義さんの参加作品として聴いたアルバムの殆どが、及川さんの録音でした。
続きを読む独自のマイキング手法を惜しみなく披露、その自由で独自なアプローチに驚いた。
続きを読む自然で温かみのある録音は、まさに先生のお人柄そのものだと感じた。
続きを読む後ろから届くオーケストラの音の粒立ち、クリアーな各楽器の響き、かつて聴いたことのない素晴らしい音、天にも昇る心地良さ!
続きを読む音の捉え方とその人柄で誰からも愛された及川さんのようなエンジニアを目指し、貴方が私の良いところだとおっしゃっていた、好奇心と探究心、馬力のある精神力を絶やさず歩んでいきます。天国で私達の活躍を暖かく見守ってください。
続きを読む及川さんは空港からリハーサル場所であるペデルセンさんの自宅へ直行し私たちと合流。及川さんが作り出してくれる良い雰囲気がきっかけで、スタジオでの録音もスムーズに進みました。録音だけではなく、ミュージシャンの気持ちにスーっと入って来てくださる実に温かい方でした。
続きを読む大阪万博で武満徹プロデュースの鉄鋼館の音響演出に及川さんが関われていたことを知りすごく嬉しい想いになりました。録音された素晴らしい音源に感謝するとともに、沢田のアルバムにも愛ある評論をいただいて感謝しています。
続きを読む初めて生演奏による今回のケルン・コンサートを観賞した感想の総括としてはやはり生演奏は素直にいいものだ。
続きを読むいかにも人間的で、個性的で、複雑な生き方ではあったでしょうが、すべて含めて粋な人だった。
続きを読むBitches Brewには厳しさがある。
狭い空間だけど、床の木の鳴りが他には無い、なんか冷たくキーンと響く良い反響があった。自分の音を真っ直ぐに見直すことができる、あの空間が僕は大好きだった。
私たちが愛するジャズという音楽の歴史の一部となった、伝説的な人物に出会ったような気がした。
続きを読む即興音楽で使われるのと同じ種類の言語は、今ここにある瞬間に関係しています。
続きを読む彼のジャズに対する考え方はとても(彼の好きだった言い方をすれば)オーセンティックなもの
続きを読むそれからは時間帯関係なく電話が...毎度…二時間以上...(笑)
続きを読む困ったのは、いつまで経っても終わらないことだ。でも、それが楽しくて、面白くて、別れたあとはまたすぐに会いたくなる。
続きを読む最後に、杉田さんと言えばやはり「ありがとうな」という口癖を思い出す。
続きを読む日本のジャズ、ジャズメンに対し、大きな愛情を持たれていることを強く感じました。
続きを読む杉田さん、そっちの世界では高柳さんと喧嘩しないでくださいね。
続きを読む若手の沼尾と鈴木がベテランの大友、磯端とそれぞれデュオ・セッションを行う。
続きを読む「この2人、恐ろしいほど進化してる!!」期待を遥かに超えた素晴らしい演奏だった!
続きを読む数十年間偽名で逃走した挙句、死の間際医師に「桐島聡として死にたい」と訴えた。
続きを読むNHKでの放送を見た時の新鮮な感動が再び湧き上がってきた。
続きを読む様々な音楽的要素がミックスチャーされた正に現代の先端を行くサウンドは聴きどころ満載。
続きを読むオーディオは匂いをかぐためにあるのです。
続きを読むどこまでも優しいサウンドを聴いていると、何だか身も心もトロリと溶けてしまいそうに心地良い。
続きを読む天国のチェットからジャズ・ファンへのクリスマスプレゼントである。
続きを読む彼のピアノの “音色” に病みつきになりました。
続きを読む高瀬アキがSAX奏者ダニエル・エルトマンを伴って帰国した新宿ピットインでのライブが素晴らしかった。
続きを読むこれ以上望むことが出来ない夢のような式典が「サッチモゆかりの場所」で実現。
続きを読む50年を迎えた西荻のかけがえないジャズ拠点、アケタの店。
続きを読む一番印象に残ったのは2つの海外ミュージシャンによるライヴ・パフォーマンスだった。
続きを読むマリサ・アベラが吹き替えなしで自身が歌ったその声・歌唱力に脱帽。
続きを読む極めてシンプル・・・。でもこのシンプルな味わいの深さ、尊さといったら・・・。
続きを読む敬愛すべきギャラリストにして版画工房のオーナー
続きを読むギャラリーノマルを関西の現代美術を牽引するポジションにまで引き上げ続けた。
続きを読む美術、音楽、文学という分野間の越境
続きを読むその情熱に背中を押され力をもらった
続きを読む作品を購入することはアーティストの人生に直接かかわること。
続きを読む「五感を超え、感覚が交差・拡散する地点」を基盤にしたものづくり。
続きを読む作家の精神と思考を持った人だと直感した。
続きを読む単なるアート・ギャラリーの位置に留まらせることなく唯一無二の空間に
続きを読む彼から学ばなければならないものがたくさんあった
続きを読む林さんの関わるプロジェクトに参加させていただいたことは私にとって嬉しいこと
続きを読む「そんなにアイデアが出るのなら林さん自身が作家をやればいいのに」
続きを読む詩が音で、ピアノが言葉であると気づかされた。
続きを読むずっと以前から知り合いだったような気がしています。
続きを読む飄々として、さながら時の流れに身を任せて生きているようだった。
続きを読む「こういう人のことを天才と呼ぶんだ」という人に初めて出会いました。
続きを読む作家のこと表現のことになると宇宙からのシグナルを体で感じてる
続きを読む最も愛するギャラリーで、コレクションのきっかけを作ってくれたギャラリー
続きを読むありがとう。感謝してます。本当に面白かったよ。
続きを読むECMレコードというのは、マンフレート・アイヒャーという「耳の音楽家」によって選ばれ繋がれた、膨大な量の世界の音の図書館である。
続きを読む政情不安で治安も悪く、貧しい家庭から希望を持ってオーケストラの練習に励む子ども達、希望の星であるスター指揮者ドゥダメル、その試練と苦悩。感動する。間違いない。感動した。
続きを読む天と繋がる歌声がある。まるで遠い時空の彼方から響き、いまを生きる者にそっと語りかけるような。
続きを読むYMOや荒井 (松任谷) 由実などのアーティストらを世に送り出す
続きを読むセルメンを軽んじるムキもあったが、そこらのジャズメンやポップスターを寄せ付けない鋭いセンスを持っていた。
続きを読む完全に今を生きたものであり、即興音楽の枠組みを超えた新しい表現だった。
続きを読むDai Kimoto & His Swing Kidsは10月に日本全国10カ所以上を回るツアーが組まれている。
続きを読む芸術性の高い音楽と最高の録音技術が重なった時にしか味わえない、貴重な瞬間の連続。様々なシーンの描写も美しく、どこを切り取ってもECMのジャケットを彷彿させるような、創造性に満ちたものであり視覚でも楽しませてもらった。
続きを読む彼の非常に特別な感覚の深みと精密さ、バンド全体のサウンドに奉仕する決意
続きを読む『My Song』でのパレの演奏は、色々な事をしているにも関わらず、何故か耳にはシンプルに聞こえます。全ての音が正解になっています。本当に不思議です。
続きを読むパレ・ダニエルソンほど剛柔を兼ね備え様々なミュージシャン、アンサンブルに溶け込むベーシストは稀有な存在だ。
続きを読む忘れもしない5月18日「池袋ジャズ」終演後の居酒屋で、ベーシスト甲斐正樹にパレがいかに素晴らしいか熱弁をふるった。パレがその日に亡くなったことを翌日知った。
続きを読むパレというプレイヤーは語弊を恐れずに言うと、楽器を「弾かない」。ベースを弾き過ぎない、のではなくその場の音楽に必要とされる音以外を全く弾かないのだと自分は考える。
続きを読む芯のある太い音が素晴らしく、ソロの歌い方も大好きでした。速弾きもやらないけど、確かなテクニックを持ち、バランス感覚が本当に素晴らしいベーシストでした。
続きを読む揺るぎない独自のサウンドが実に心地よく、愛に溢れた来日コンサートだった。これが僕が音楽に向かう確信となり、それだけでパレは僕にとってヒーローであり続ける。
続きを読むパレがパレである特筆すべきところはコントラバスの音色。パレの奏でる美しく個性的な音色が忘れられない。
続きを読むパレ自身の名は知られなくても、ヨーロッパジャズ、という演奏スタイルを作り上げてしまったほどの影響力は今後も失われることはないでしょう。
続きを読むスカンジナヴィア半島から来た屈強で優しい男。キース・ジャレット”ヨーロピアン・カルテット”を支えた北欧三人衆の一人パレ・ダニエルソン。彼の音楽はバンドの要となる”強靭なる足腰”だったのだ。
続きを読むパレのベースサウンドとグルーヴは特徴的で、ほぼ一聴してパレだと分かる。強靭でありながら柔軟かつウォームで、優しい人柄が見え隠れする。
続きを読むこれだけの職人技を持っていて、バンドを後から支えプッシュする演奏はベーシストとしてある意味理想である。
続きを読む数々の名盤での演奏を通して彼のあたたかく懐深いベースが、ピアノやドラムとの会話や距離、音楽の物語を進めるには、ということを私に教えてくれた。
続きを読むKeith Jarrettのヨーロピアンカルテットなど、その高い芸術性をもって数々の名盤を支えたスウェーデン出身のベーシスト、Palle Danielsson。繊細で豊かな表現力、時にソウルフルでアバンギャルドなプレイ、その存在感はどのアルバムを聴いても絶大だ。
続きを読むJazzという音楽で最も衝撃的な体験は、社会人になって聴いたキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」でした。
続きを読む初来日したジャズ・メッセンジャーズのコンサートに大興奮した。
続きを読む初めて買ったジャズ・レコードはラムゼイ・ルイスの『The In Crowd』
続きを読むオリーの演奏を聴いていて、 ぼくは無性にニューオ リンズに行きたくなった。
続きを読むやはり始まりはSociety盤の「オーニソロジー」ですね。
続きを読む高校を出てすぐにのぞいたのは、ピットインのティールームです
続きを読む10代の終わり(1970年代始め)にジャズ喫茶の門を叩くようになった。
続きを読む和服姿のすさまじい美人を目当てにジャズ喫茶に通うになりました。
続きを読むあの時『DIG』に行っていなかったら今の『いーぐる』は無かった。
続きを読むFM大阪の音楽番組でマイルス・デイビスを聴いたのが始まりですかね。
続きを読むドットエス結成が2009年秋。セッションを数回した頃にタカちゃんがLiveを決めてきました。
続きを読むモノクロが主の映画に馴染んだ子どもの耳にはノリのいい、ノスタルジックなひびきがジャズと認識された。
続きを読むやっとの思いでブラスバンドを抜け出した私はこのビッグバンドに参加した。
続きを読むいま思えば、これこそ私のジャズ事始、ビッグバンド事始だった
続きを読むそう、あれは私が桐朋音大の学生の時、『TOHO SWINGERS 』というビッグバンドが作られた。
続きを読む毎晩楽しくラッパを吹いてお金まで貰える!こんないい事はないと思い音大受験はすぐにやめた。
続きを読むジャズの歴史の流れには逆行する結果ではあっても、なかなか面白いジャズとの関わりだと思っている。
続きを読むジャズは常に動いている音楽で、今が第一に面白く、なによりも今を追っていくべきものだ。
続きを読むFMラジオで『Return To Forever』を偶然聴いて、「ジャズ」という音楽に関心を抱いた。
続きを読むこのジャズ特有の不思議な高揚を知り,私の音楽に対する違和感は一気に解消された。
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