Jazz and Far Beyond
1月中旬、令和3年度補正予算566億円を投じた「コロナ禍からの文化芸術活動の再興支援事業」が「ARTS for the future!2」として募集を行う予定だということが公表された。
1986年にヴィレッジ・ヴァンガードで出逢って以来、筆者は、ロン・カーターの重要なレコーディングや、コンサートを撮影してきた。徹底した合理主義者のロン・カーターとの長年の交流から垣間見える、その個性に迫った。
ロフト・ジャズ・シーンの拠点の一つ、スタジオ・リブビーでアーチー・シェップと共演する川崎燎。
前回のケニー・ギャレットのアウトの解説に寄せられた読者の質問で引き合いに出したスティーブ・コールマンを取り上げてみた。筆者はコールマンの初期のファンクバンドをしこたま聴いたものだった。「踊れる変拍子ファンク」の反面哲学的に発展するコールマンの音楽と、グルーヴしまくる彼の素晴らしい演奏スタイルを解説。
マイルス・バンドの二人のパーカッショニスト、エムトゥーメとバダル・ロイが相次いで亡くなったが、二人が共演したテイクは4枚のアルバムに収録されている。
2月21日はニーナ・シモンの生誕89年の誕生日にあたる。
ニーナ・シモンと言えば、ユニークなヘアスタイルの、強く、気高く、神々しい姿が思い浮かぶ。
2019年8月31日の#001から前号で#200を迎え、今月号から新たなスタートを切る。#200を記念したインタヴューも併載。
起居を共にしてきた住宅の一部、アトリエでの演奏だっただけに、彼女の魂に触れながらの演奏であったことは間違いない。
創造は水に似ている。入れる容器によって形が変わってくる。
筆者がバダル音楽の本質=グルーブを真に理解出来たのは、彼との共演を通してだった。
ロン・カーターというまれに見る真摯なミュージシャンの充実した人生(人種差別という終生避け得ない苦悩を含めて)と実績。
沖縄電子少女彩というアーティストにとってこのアルバムは一つの達成だ。のみならず、沖縄音楽というジャンルにとってもまた一つの達成だろう。
ハーシュ自身が全てのコンポジション、アレンジメント、音づくりを掌握、構成していて「セルフ純度」が高い。
注目のラトヴィア・ミュージシャンの選りすぐり曲を集めた2枚組。リューダス・モツクーナス、アルヴィーダス・カズラウスカスの渋いサックスデュオも、ジャズ最先端を目指す若手も、大御所ライモンズ・パウルスの若き日の演奏も、みんなアツい。
アダム・ルドルフと9人のギタリストが創造した『共鳴体』は、音響による宇宙の箱庭化であり、モーゼの『創世記』に描かれた天地創造の再検証と言えるだろう。
ニューヨークでもパンデミックの隙を見つけて演奏活動が続けられている。サックスの石当あゆみ、ピアノのエリック・プラクス、ベースのザック・スワンソン、ドラムスのジョン・パニカー、それにマルチ・インストルメンタリストのダニエル・カーターが加わった。自然体にして遠慮することのないおもしろさがゆっくりと伝わってくる演奏だからこそ、この続きもまた聴きたくなるというものだ。
ブライアン・アレンが雑誌、アート、音楽、映像を組み合わせた手作りの作品を出した。かれのことを旅する音楽家と呼ぶだけでは不十分だ。かれの視線や表現が旅そのものなのだ。
心的な状況に応じて驚くほど変貌するバンドサウンドの幅広さ、これも「落穂の雨」のおもしろさにちがいない。
Absolute-MIXの公演は、矢沢朋子が、演奏家としてだけでなく作り手、コーディネーターとして姿を現す場という側面が大きい。聞き手は好みが分かれるかもしれないが、毎年でなくともときどきやりたいことを存分にやって暴れてもらいたいと思う。
すごく熱の入った音像の表現に脱帽。
バランス、音場の定位といい、息を飲む録音。
ボーカルが、単なるマイキングではなく。かなり時間を要したのでは?
「みつばちマーヤの大冒険」での成功から、ジャズと文楽のコラボレーションが閃いた。
左上下肢麻痺のリハビリを兼ねた「ハコ」通いの本誌レポートが2年強で200回を超えた。呑んで、聴いて、交わってさあ、これからもLive after Live。
彼の芸術の美しさと、依存症や身体的な状態の醜(みにく)さを切り離すことはできませんでした。それらは同じものであり、互いに影響し合っているのです。