Jazz and Far Beyond

ジャズからクラシックまで例年になく現場で演奏を聴く機会が多い1年だった。
あらゆる選択肢、あらゆる解決策に心を開き、瞬間ごとの魔法を見出す、まさに完全なミュージシャンであった。
マンフレート・アイヒャーとジャック・ディジョネット
ジャックはストリートの雰囲気と、彼自身の内なる非常に個性的な、そして明確なビジョンを彼が奏でるすべての音に注ぎ込んだ。
ジャック、愛しています💌 いつでも、いつまでも。
彼のドラムを通して発せられる音楽的・魔法的な感性は、遠く近くにいる私たちすべてを魅了し続けてきた。
縞はリズムだとう云うことを彼は表現してくれた。
ジャックの音の綺麗なこと、ダイナミクスの凄さに驚いた。
スイング感、スピード感は数値的な速度は超越した域に達し、なのに景色がゆったりと見える。これは時空を超えたプレイだと思う。
ここでは中学生が一夜のライブで受けた衝撃を恥ずかしげもなくさらして、稀有なドラマーに弔意を表したい。
魔法のような音楽が目の前で繰り広げられ、繊細な打楽器なのにメロディーを奏でる対旋律のようなドラミングはこれまで聞いた事もないジャズで、ジャズが芸術であると強く認識させられました。
ゴールデンビームの精神と、その存在が与えてくれたもの。
そしてその魂は、生き続ける。
素晴らしいドラマーでありピアニストであり作曲家であり、彼の”リズムの推進力”にいつも呆然とさせられた。
同じ演奏を繰り返し聴いても、耳が肥えていくに従い、次々と新たな発見があるという現象は、優れたミュージシャンのレコードによく起こりますが、ディジョネットの演奏はそれにとどまらない巨大な「謎」として常に私の中で輝きを放っています。
僕にとってのECM名盤の数々には高い確率でジャック・ディジョネットがいた。ドラマーというより音楽家 で、常に謙虚で驕りが無く大らかで誠実なプレイをする人だった。
学生時代に衝撃を受けたアルバムには必ずディジョネットが参加しその音楽に心酔していました。シンバルレガートの音は唯一無二の美しさでした。もしピアニストとしての道を歩んでいたら。。
「最高到達点レベルで音楽的」というドラムプレイについては何をか言わんやという感じですが、ジャズ作品の中でも十指に入ると感じている二作品の時間軸が重なっていたという奇跡「1988年3月のジャック・ディジョネット」のことを少しご紹介してみようかと‥
リズムのフォームに寄り添ったスタイルではなく、まるでメロディーを紡いでいくような独特な歌い口が特徴で、どこにビートの中心があるのかもわからないほどの自由なリズムの作り方に驚き惑わされながらも圧倒される。
『Keith Jarrett / Standards Vol.1』が僕にとってのスタンダードジャズ演奏の原点かもしれません。キースの独特のスタイルだけでなく、ジャックとゲイリーが織りなす優雅で深遠なアプローチがあったからこそだと思います。
繰り返し聴く中で、最初はただ圧倒されるばかりだった音の連なりが、ある日ふと、ほんの少し輪郭を持って近づいてくる瞬間がありました。その時、自分の中のどこかが静かに育っていく音がしました。そのゆっくりとした変化こそが、私にとっての確かな喜びでした。
人は亡くなっても世界は変わらない。けれど、その人を想い続ける限り、その人の世界は私たちの中で変わり続ける――。
エルビン・ジョーンズ以降の圧倒的ドラムイノベーターが何を聴き、何を大切にしてその境地に辿り着いたのか?
「すごい」演奏での「すごさ」は、あくまで音楽家の能力の極一部にすぎません。評価すべきは総合力なのです。そしてディジョネットはまさにその総合力に於いて群を抜いた人物でした。
謎なフレーズが多数なドラマーです。これはジャックがピアノが達者な事と大いに関係があると思います。また、ネイティブ・アメリカンの血筋である事も彼の音楽性に反映されているのではないでしょうか。
彼の演奏は、純粋な芸術で、スイングとエネルギーに満ち溢れています。素晴らしいピアニストでもあり、作曲家でもあり、天賦の才能に溢れた完全な音楽家でした。
スペシャル・エディションは、僕の青春でした。
今年は大友良英が個人的にアジアン・ミュージック・フェスティヴァル (AMF) を始めてから20周年に当たる。それを記念した公演が行われた。
ミュージシャンにとっての課題は、自分自身の声を貫く勇気を持つことだ
ジャズの歴史のあちらこちらに功績を残したディジョネットがとうとう亡くなってしまった。マイルスとの関係やディジョネットの特殊なドラミングと、ドルフィーに捧げたこの曲の解説を試みた。
ジャックからラヴィ・コルトレーンとマシュー・ギャリソンを通じて次の世代にジャズのスピリットから引き継がれテイク現場に立ち会った。
巡る季節を進むLAL。連載通算500本を達成して以降も快調に進む独り旅。今月号では神無月初旬から下旬に巡った充実の現場6本をご紹介。
「Discover Japan、三里塚幻野祭、列島改造の果てに、日本のHAPPY ENDは『なしくずしの死』を迎えた」。
渡辺貞夫の音楽的吸収力は凄まじく、それらが現在の渡辺貞夫の血肉となっていることは疑いない。
OTBで知られるマイケル・モスマンtpが手がけたNY在の若き俊才のデビュー・アルバム。
藤本一馬と林正樹のつくりだす、静けさの奥にあるどこまでも澄み切った美しい世界。心ゆくまでじっくりと味わいたい。
本作はヒカシューが約四半世紀ぶりにあるべき形、すなわち完全体に変態した作品といえるだろう。これぞシン・ヒカシューの幕開けである。
未来への生命力に満ちた復帰作となった『異端教祖』は、宮西計三という稀有なる存在をリスペクトし愛する「濃厚な友人たち=THE HEAVY FRIENDS」の絆の結果であり、根源的に音楽が持つ治癒の力の証に違いない。
譜面の旋律が見えるほど優等生的な音の良さである。
ゆったりと変わってゆく綾は独特の世界観からくるものであり、ずっと聴いていてもまったく飽きることがない。ちょうど川辺に座って眺める水面に一刻も同じ風景がなく、気がつくと長い時間を過ごしているように。
菊地は夢想の中で1音1音胸の深奥から音を探り出してメロディを編んだ。
矢野顕子のソロと森山威男を中心とするクインテットで現代を生きるミュージシャンの今の演奏を聴かせる。
アルベルト・ノヴェッロの投射光がサウンドの媒体となり、ピエロ・ビットロ・ボンの執拗かつ強粘性のサックス、アンドレア・グリリーニの絶えることのない揺動とともに、全体として物語性をもつ即興演奏を繰り広げた。
このピアノトリオのサウンドはとても独特で、ピアノのプリペアドを始め3者がいろいろなエフェクトを使っている。
斉藤はきわめて優秀な奏者だが、彼に課せられた使命は偉大な先覚者を乗り越えることにある。
今回のアルバムは、大きなストリングスを従えての演奏でもあり、ストリングスとの素晴らしい「調和」や響きを堪能できる。
7年前と比べると、大友良英の髪はだいぶ白いものが混じっていたが、瞳は今も輝き、鋭い。
ポーランド屈指のピアノトリオ、RGG。今年8月末に初来日し、関西万博など大阪で公演した彼らは、結成25年を迎える来年、再来日を目指している。トリオのドラマー、クシシュトフ・グラジュクが意気込みを語る。
西嶋徹は自分からあちらこちらに触手を伸ばす性格ではなく、いつも向こうから来るのを待っている。しかし、必ずなにかが必要なときにやってくる。それに適応し、環境に応じてなんにでもなり、水のように形を変えるけれども本来の性質は変わらないのも、禅の思想に通じるのかなと考えているという。