ジャズ・ア・ラ・モード #71. カウント・ベイシーの『ストロー・ハット』
カウント・ベイシーの口述による自伝『グッド・モーニング・ブルース』を読んでいると、第二次世界大戦前の記述にミュージシャンたちが帽子を着用している様子がよく描かれている。
続きを読むJazz and Far Beyond
カウント・ベイシーの口述による自伝『グッド・モーニング・ブルース』を読んでいると、第二次世界大戦前の記述にミュージシャンたちが帽子を着用している様子がよく描かれている。
続きを読むモノクロが主の映画に馴染んだ子どもの耳にはノリのいい、ノスタルジックなひびきがジャズと認識された。
続きを読むやっとの思いでブラスバンドを抜け出した私はこのビッグバンドに参加した。
続きを読むいま思えば、これこそ私のジャズ事始、ビッグバンド事始だった
続きを読むビリー・ホリデイ、それが私にとって初めてのジャズだった。
続きを読むキャバレービッグバンド、そしておそらく私がキャバレーのバンドで演奏した最後の世代。
続きを読む前号#68で扇子について取り上げた。カウント・ベイシーの妻であったキャサリン夫人は、結婚前はショウガールであり、『ファン(扇子)ダンサーとして働いていた。』という記述があったことからだった。今回はそのアメリカに於ける『ファン・ダンス』『ファン・ダンサー』について、焦点を当ててみる。
続きを読む2024年はカウント・ベイシー生誕120年没後40年にあたる。カウント・ベイシーの夫人の話から始まって、少し幅広いジャンルで扇子、舞踊、音楽の関係ついて見てみようと思う。
続きを読む9月15日に発表になったジョシュア・レッドマンの新譜、『where are we』がちょっとすごい。彼の初の試みである歌手の起用とコンセプト・アルバムとしての内容がなかなか面白い。だがなんと言っても1曲目で完璧にやられてしまった。今まであまり聴いていなかったジョシュアの解説を試みた。
続きを読むホレス・シルヴァーの『6Pieces of SILVER』(1956年)のアルバムカバーに、シルヴァーがトレンチコートを着て公園のベンチに座り、新聞か譜面か何かを読んでいる姿がある。
続きを読むジャズ・ミュージシャンなら誰でもボウタイの1つはもっているだろう、ボウタイについて。
続きを読む「ジャズ喫茶ベイシー」を知ることはオーナーの菅原正二を知ることになる。
続きを読む1930年代に流行した『モンキーバック・スーツ』とカウント・ベイシーのバンドリーダーとしての装い。
続きを読む耳に親しんだ音楽が実はクインシー・ジョーンズの作品だったということが多々ある。プロデュースの他にも映画やTV音楽での活躍が多岐に渡るからだ。そんな1曲を取り上げてみた。また、クインシーがプロデュースした歴史に残る大イベント、<We Are The World>にも触れてみた。
続きを読む1923年、若きカウント・ベイシーが故郷レッドバンクから初めてニューヨークに行く前に購入した『モンキーバック・スーツ』について。
続きを読む4月7日のビリー・ホリデイの106歳の誕生日を祝し、彼女の美しく独特なスタイルを称えたい。
続きを読む偉大なバンド・リーダとして活躍したカウント・ベイシーと、トレード・マークでもあったキャプテンズ・ハットについて。
続きを読むカウント・ベイシーのようなまん丸な音が出せたらなぁ〜と日々思っています。
続きを読むビリー・ホリデイのガーディアの花でもなく、華やかなローブ・デコルテのロングドレスの話でもない。ビリー・ホリデイの愛犬の話について。
続きを読むカンザス・シティで活躍していたビッグ・ジョー・ターナーとジミー・ラッシンッグ。
体が人並みはずれて大きいが、粋でおしゃれなシンガー達だ。
メルバ・リストンは女性であることを全く媚びず、インテリジェンスをひけらかす事もなく、常に控えめなファッションに身を包み、あくまで男性陣の中に巧く溶け込み、やるべき事を完璧にこなして行った。そこに『メルバ・リストンの真のエレガンス』がある。
続きを読む初期の多くのジャズミュージシャンたちは服装に凝っていた。パリッとした服装は成熟と成功を意味していた。
続きを読む初めて訪れたのは1998年。一昔前の話だが、あれから随分時間が経った。色んな事があった・・・と、当時の事がつらつらと懐かしく思い出されてきた。「カンザス・シティの人と音楽」のコラムは2007年にスタートした。今回で42回目になる。様々な事をこのコラムで紹介して来たが、私が何故この街に通い始めたかといういきさつと、当時の事に話を戻そうと思う。
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