Jazz and Far Beyond
次男の堤清二が流通系、異母弟の義明が鉄道+不動産を分担したが、清二はより旗色を鮮明にするためにセゾン・グループを名乗り事業拡大、セゾン文化圏と言われるまでに成長させたが。
ブロッツマンも現代美術から音楽へ転進してきた。
オール・アート・プロモーション代表の石塚孝夫さんの訃報が届いた。享年89。ジャズに捧げた後半生の尽力を心から労いたい。
マイルス・バンドの二人のパーカッショニスト、エムトゥーメとバダル・ロイが相次いで亡くなったが、二人が共演したテイクは4枚のアルバムに収録されている。
ストラータ・イーストからリリースされるアルバムは、レーベルの意向を受けることなくミュージシャンが本来志向する音楽をストレートに表出することができた。
僕の長いジャズとの関わりのなかでも知り得たジャズ・トリオの演奏としては5指に入るのではと自負している。
ジャック(ディジョネット)のドラムはよく歌い、しなやかさが特徴だがジョージさんもまったく同じ。スケールが大きいところも共通している。
このカタログはその偉大な男マンフレート・アイヒャーの正確な軌跡を綴るべく心がけた。
今年10月には望月由美さんゆかりの「阿佐ヶ谷ジャズストリート」で、渋谷毅のエッセンシャル・エリントンが「エリントン生誕120周年」を祝うコンサートを行うという。
ローマ教皇の御前で演奏したあの曲が30年後の今、エストニア国立合唱団により東京のホールで演奏されている...
長い間ジャズを聴いてきたが、これほど充実したビッグバンド演奏は空前絶後である。
児山さんは時代が求めた編集者だったのだろう。
ジャズ・プロデューサーにとって自分のレーベルを持つことは夢である。
宮沢明子は菅野沖彦さんを<音の神様>と呼んだが、僕は<音の匠>と名付けた。
結局、Nadjaレーベルは内外のアーチストの音源を中心に40タイトル以上の作品をリリースし、アーチスト自身によるいわゆるインディ・レーベルの台頭とともにその役目を終えたのだった。
ベテラン今田勝のアルバムだから随所に名人芸を聴きどころとするハイ・センスのジャズ・フュージョン・アルバムを世に出す必要がある。
「鯉沼さん、プロモーターとしてやり残したことはないでしょう?」「プロモーター? 俺は興行師だよ!」。大興行師・鯉沼利成と音楽人としてのキャリアの一部を共有できたことは光栄かつ名誉なことである。
トリオレコードが初めて全社一丸となって制作したアルバムが完成した。
シンセが叩き出すポリリズミックなリズムにジャックがシンセでイントロのメロディを乗せる。いつのまにかスタジオに入ってきたレスターがテーマを吹き出す。背筋に電流が走った。
近藤等則、サムルノリ、姜泰煥ソウル・ジャズ・トリオという、いわゆる東アジアのミュージシャンたちが初めて一堂に会した画期的イベント。
ユッスー・ンドゥールが高松宮殿下記念世界文化賞の「音楽部門賞」を受賞した。
元彦さんは皓正さんを「兄貴」と慕い、皓正さんは元彦さんを「トコ」と何かにつけ目をかけていた。二人はとても生真面目で真摯に音楽に立ち向かい、自らを厳しく律していた。
このギター・ファンが狂喜すると思われたフェスは半ば成功、半ば失敗に終わった。
2007年8月22日、富樫雅彦が逝って早くも10回目の夏を迎えようとしている..。
背筋を伸ばし上半身を直立させて弾くラリーに対し、背中を丸めギターのボディに覆いかぶさるようにして弾く山下。この姿勢はおそらく大きなギターを抱え込んで弾いていた幼少の頃の癖が抜けきれないのだろう。
尻込みする西村の尻を叩いた村田マネジャーに連れられて大阪府立体育館のかぶりつきに座る。3番手の田村潔司の場面で流血、血しぶきが飛んでくる。常連と思われる前列の客が開いた傘で血しぶきを避けながらの観戦となった。
僕のジャズ・キャリアの中でAACMとECMに出会えたことはとても幸運だった。AACMのCMは Creative MusiciansだがECMのCMはContemporary Musicだ。Creative MusiciansとContemporary Music、これ以上、何を望めばいいのだろう …)。
1936年11月18日生まれのドン・チェリーが11月18日に生誕80年を迎える。
僕ら(原田和男、故丸茂正樹、稲岡邦弥)が旧トリオレコード(後にケンウッド・レコード)をホームグラウンドに、70年代初期から約10年間にわ たって自主制作、あるいは海外から取得したアルバムのなかから15作を「Rebel Jazz=反逆のジャズ」のコンセプトの下に選び出し、シリーズとして11月5日にCD発売されることになった。
ヴァイオリニストの和波孝禧(わなみ・たかよし、1945~)さんが楽団デビュー50周年を迎え、去る6月9日紀尾井ホールで「我が心のブラームス」と題した記念コンサートを催された。
「セ~シル・テイラー・ユ~ニット!!」。レコードに針を下ろすといきなりMCの絶叫する声が耳に飛び込んでくる。悠 雅彦氏の壮年の声である。そして、その声にかぶるようにしてピアノが、アルトサックスが、そして、ドラムスが雪崩を打って出てくる。
2年有余をかけて『ECM catalog』は完成した。ECM本社のマンフレート・アイヒャー、スティーヴ・レイク、ハイノ・フライバーグからそれぞれ祝辞が届いた。ECMのオフィシャル・サイトを通じて海外発売もスタートした。
人口三百数十万の小国とはいえ、一国のジャズの全貌を一枚のCDで伝えきれるはずはないが、少なくともリトアニアというバルト三国の一つの現在のジャズ・シーンの精髄を切り取ったものであることは間違いない
バーンの最新作は、商品としての形式は旧来のものですが、 もしかしたら新しい何かの萌芽を秘めているのかもしれません。ぼくが期待したいのは、そこなのです。
終演後、さっそく来場者のふたりから公演の申し出を受けたが、このギターと詩吟とフラワー・アレンジメントというユニークなコラボレーションが聴衆にアピールできたことを物語っているようだ。
2010年5月12日、僕はふたりの友人、小林洋一さんと芳賀紹八郎さんを同時に失った、
未発表音源を交えて新旧12曲ずつからなる2枚のコンピ案を送信した。「Good!」の朗報。ただし、最終的には音楽を聴いて確認したいのでCD-Rを焼いてFedExで送付せよとのお達し。
清水さんが剽窃をしたということは「あとがき」で記されている以上、動かし難い事実である。理由が何であれ文筆家として決して許されるべきことではない。その責は自ら負うべきだ。
この1979年の来日公演に立ち会った世代を「レゲエ・ファン第一世代」と呼ぶらしいが、僕も栄えある「第一世代」というわけだ。時代としては、「レゲエ」という音楽スタイルがボブ・マーレーを中心に確立されてまだ10年足らずの歴史しか経ていなかった。
7ヶ国40数名のミュージシャンから提供された音源を基に2枚組のチャリティCDが制作され、神戸では被災高校生のための「World Music Festival」が開催された。
ベルリンの壁崩壊から半年後、壁際のスタジオでCD『シンフォニックBUCK-TICK・イン・ベルリン』をオノ・セイゲンの録音で制作した。
『インスピレーション&パワー14』収録にあたって主催者側と合意したのは、全14日間を完全に録音すること。その中から8アーティスト/グループをピックアップ、2枚組のアルバムとして発売することであった。
「文は人なり」というが「音も人なり」で、そこが音楽の制作や鑑賞の楽しみのポイントでもある。
私の音楽ビジネスのキャリアはこのようにクラシックとの関わりからスタートしている。