Jazz and Far Beyond
音楽の聴取形態が変わったとしても、そのベースとなるミュージシャンのリアルな音楽活動なくしては音楽は成立し得ない。まだ先は見通せないが、コロナ禍が収束する時期がくることを願うのみである。それまで生き延びれるように必要な支援策をとってほしいところだ。
しかし、カッコいい古稀がいるものである。近藤等則の功績のひとつを考えたとき、ジャズメンの姿から暗さや小難しいイメージを開放し、理屈抜きに「カッコいい」と一般に知らしめたことも外せない。そのプレゼンスそのものがひとつのアイコンであり、宇宙であった。
浦邊にとって音の鳴り方と魂の震え方に違いはない。両者が同じ振動で波打つことが、浦邊雅祥の音楽の魅力であり怖さなのだと思う。
自分は ずっとこのような音を脳髄の奥底できっと無意識のうちに待ち焦がれていたのだろう。だからこの作品が確実に私のなかに決して消え去ることのない”記憶という名の楔”となり、また一つそして深くこの身に打ち込んでくれた。
絶頂期にあった3者がテーマから予断を許さない展開を見せるスリルと傑出した内容に何度聴いても惹き込まれるのだ。
ECMからデビューしミュンヘンを拠点に活躍するドラマー福盛進也が設立した新レーベル「nagalu」の初リリースとなる2枚組アルバム。藤本一馬、林正樹、佐藤浩一をはじめ個性的なアーティストが集結し、新しい物語が動き始めた。
片山広明、最後のバンドによるライブ盤。どこまでも生々しい傑作である。
(ライヴ盤)キレのいいピアノのサウンドと、ベースが音像を固める。パーカッションはやや音像を引いている。ここは私の判断で、かぶりを避けた。
とにかく、骨太のオーケストラによる、ぎっしり中身の詰まった演奏に、自由奔放さもワンセットになっているのが、この上なく貴重なことだと思う
豊住もグスタフソンも、そのプレイは独自の身体の方法論に基づくものであり、アスリート的なものでも、音楽の職人的なものでもない。本盤を聴くと、ふたりが互いの音に呼応しあうプロセスを追体験することができる。
浮かんでくるアイディアにはデリカシーと密かなユーモアが込められて、まるで音を慈しむような、作者の愉しみが伝わる「しごと」ぶりだ。
100枚(!)に近い田村夏樹=藤井郷子の吹込作品作品の中で、私が一押ししたい作品である。
『クトゥルフ神話』や『スター・ウォーズ』や『グイン・サーガ』の異端音楽版とも呼べる、壮大なるSun Ra Mythology(サン・ラ神話)が着実に語り継がれていることが証明された。
現代ジャス界の求道者:デイヴ...。おいちゃんのなかではもう「あのかた」を遥かに超えた存在である。
高柳が没する半年ほど前の井野信義、菊地雅章との演奏だが長年連れ添った井野がコントロール・タワー的役割を演じている。
音楽の地平を切り拓く存在として、ジャズミュージシャンたちの尊敬を集める、アルメニア出身の鬼才ピアニスト、ティグラン・ハマシアンが、自身の夢のような内面世界を探求する旅へ向かう。
アントニオ・アドルフォのナシメント集を彼の功績を称える意味でも、今年のベスト作に推奨したい。
素晴らしい録音技法の重ねが引き出す音像に陶酔。気持ちがいい。
全般に存在しない映画のための映画音楽のような曲が多い。チェコを代表するこのベーシストの作品をまだ聴いていない人に、まず聴いてほしい一枚だ。
淡々と演奏していながらも底知れないユーモアと機微を含み持つ音楽である。3人とも自然体そのものだ。余計な力など何も感じられなかった。
アイヒャーはラヴァーノとヴァシレフスキ・トリオから音楽のエッセンスをあっというまに掬いとってしまう。そうして5分を少し超えるほどの11のトラックに封じ込め、キュレートしてみせているのは神業に近い。
オーケストレイターとしてのマリア・シュナイダーの評価を決定的なものにするダブル・アルバム
深層から絞り出されるメロディの儚(はかな)さはリアリティへの絶望を映す鏡だ。なぜ沈黙や郷愁の残滓に心震えるのか。それを意識して改めて気づく薄ら寒い現況がある。
かつてハードロックの突然変異と呼ばれた不失者は、決して特殊な異端者ではなく、音楽表現の在り方としては正統派に他ならない。それはコロナ禍が完全に収束しない中、演奏するのが待ちきれないとばかりに出演を快諾したゲスト・ミュージシャンの満足そうな笑顔を見れば明らかだ。
パンデミックで3月からライブが皆無だった2020年、ライブ配信のおかげで普段見ない、または見られないようなアーティストのライブを、無料もしくはお手頃な値段でたくさん鑑賞する機会に恵まれた。そんな中でやはり筆者のお気に入りのTheo Croker(シオ・クローカー)のステージは最高だった。いつ聴いてもこんなにドキドキさせてくれる音楽はマイルス以来だ。
後は二曲のアンコールまでそんな一瞬たりとも気を抜かぬ二人の演奏に心底痺れ、夢中で拍手をし、両の瞳は涙で霞んだ…。
開催直前に病没した沖至の姿は会場には見かけられなかったが、沖至のソウルと音楽はまちがいなく会場にみなぎっていた。フェスティバルのプロデューサ−3人が組んだユニット「Jazz Art Trio」に沖はスクリーンから参加した。
ジャズ、クラシックなどのジャンルを超え世界で”ボーダーレス”に活躍するピアニスト小曽根 真が、2020年4月9日から5月30日まで53夜にわたってピアノソロ配信を敢行し、ジャズファン層を拡大し音楽を発展させ、以降のライヴ再開に向けても大きな力と影響を与えることになった。
ニューヨークの20会場で、150グループ、600人以上のアーチストが出演する世界最大級のジャズフェスティヴァル。最先端のジャズが生まれる瞬間を楽しめる特別なイベントは2020年1月かろじて開催された。
ニューヨーク在住のピアニスト藤山裕子と、富山在住のベーシスト谷中秀治の共演。自由な即興演奏を心から楽しむような藤山の姿が強く印象に残った。
緩急つけるという言葉では追いつかないスリルが織り込まれていく。LRK Trioのライヴの迫力がこれほどとは想像しておらず、圧倒されるばかりだった。
ステージは、終始くるみさんの極めて強靭なタッチとキレのある明快な主張、さらには米木・原両氏の確かな技巧等に依る間口・奥行き共に広く大きな世界観を感じさせる立体感のあるものであった。
三者とも、そのサウンドを「このような」と一言で説明することができない。それがかれらの音楽性の深さと広さを物語っている。
ピアニストの林正樹は公園通りクラシックスの存続を願い、オンライン・イベントを3回に亘って主催した。コロナ禍で海外ミュージシャンのとの交流がリアルでは難しくなっている昨今ゆえ、出演者は日本在住ミュージシャンがほとんど。プログラムからもわかるようにローカルシーンの豊かさと日常の大切さを改めて気づかせてくれた。
あの巨大な東京芸術劇場のステージに勢ぞろいした50名を超えるジャンルを超えた巨大な演奏者たちを見事にコントロールし、テキパキと指示を出し、カッコよくまとめ上げた指揮ぶりには好感が持てた。
2度の脳卒中の後遺症としての左半身の麻痺。ピアニストとしての再起は危ぶまれているが、作曲家など音楽家としての再起の可能性はないのだろうか。
前回のWesに続き、今回も筆者のジャズ初心者の頃に戻ってみた。まだマイルスを知らない頃の話だ。『Three Quartets』でチック・コリアに魅了され、次に何度も何度も聴いた<Matrix>の分析と、当時マイルスのバンドのフリージャズのスタイルに多大な貢献を残したチックの解説を試みてみた。
世界中の人達に愛された超一流ミュージシャン、ルイ・アームストロングの白いハンカチーフとソックスについて。
コロナ禍の中、感染対策怠りなく、そして休むことなく都内近郊にステッキ1本に巨躯を預け今夜も出向くライヴ行脚。
このアルバムに一貫して流れる音楽家、藤井郷子の、普段ほとんど表に出ない美意識がごく自然に顔を出しているところが実に興味深い。
ペレルマンも、マルツァンとのデュオでは、かなり微分音を意識して演奏している。が、ジョー・マネリの軟体動物、蠕動の如きフレージングではなく、やはり彼らしい勢いのある水流が迸る。
「息のかさなり」の繊細さが、大胆に、遊び心とともに伝わってくる。器楽的なアンサンブル感覚よりも、ここちよい社交空間で信頼する友人とやさしく話しているナチュラルな感覚。
本作に通底する言葉にできないほどヘヴィなメッセージには、マイナスをプラスに転化しようとする意志と希望が込められている。世界にどんなことが起ころうと、ヒカシューがやるべきことはただ一つ、鳴り止まない音楽を奏で続けることだけなのだから。
意識の塊のようなドットエスの二人の演奏に、”たまたま落ちていた音。たまたまそこにあった音”を重ねることで、疑似アンビエント空間に放り込み、デュシャンの「泉」のように聴き手の価値観の攪乱を意図したのである
抽象と具象、無意識と有意識、無為と有為、Catastrophe(崩壊)とCreation(創造)。ジャクソン・ポロックが導くドットエスの表現行為はまさしく「アクション・インプロヴァイジング・ミュージック(行為としての即興音楽)」と呼ぶのが相応しい。
ポップスの世界では、一人きりの寝室で宅録によって作った音楽を「ベッドルーム・ポップ」と呼ぶが、『CHAT ME』はいわば「ベッドルーム・インプロヴィゼーション」と呼べるだろう。
後は二曲のアンコールまでそんな一瞬たりとも気を抜かぬ二人の演奏に心底痺れ、夢中で拍手をし、両の瞳は涙で霞んだ…。
通常はエッジの効いたサウンドに向かうはずだが、ここでは透明感に向かっている。
ドラムの音量バランスをこれでもかの強烈な表現。バシバシっと響くスピーカーの反応に耐える自分がいる。
響きの余韻が重厚で、内部奏法の音色も忠実度が高い
物理的な至近距離での音響を聴かせるものではなく、最前列での鑑賞を再現すべく自然さを感じる。
大きな社会環境の変化が、次々と起こる時代だからこそ、アートの力が、ますます重要になってくると確信しています。既成の価値観や意識を変革することで人を救うことが、アートや文化の大きな役割だと考えるからです。ですので、ドットエスの表現活動を通じて、少しでも世の中に良い影響を与えてゆければと思います。(橋本孝之)