Jazz and Far Beyond
今年(2021年)1月19日に亡くなったイギリスの即興音楽シーンを支えてきたギタリスト、ジョン・ラッセルを追悼する企画が、ジョン・ラッセルとゆかりのあるミュージシャン/ダンサーによって2022年1月から2月にかけて開催される。
ミュージシャンとリスナーの間に立って言葉を持ってジャズを伝え続けた我々仲間の功績が認められた
カセットテープ特有のヒスノイズが、時代の証人として「便利」一辺倒のリスニングを拒否する。
遠く離れているので国内版にはなかなか触れることがないが、やはりこの1枚は選んでおきたい。沢田さんの音楽は妙に心に残る。城戸夕果のフルートも素晴らしい。
過酷な人生を濾過した果ての無垢な有り様。あるいは愛する女性(ひと)との至上のひととき。
20歳を迎え、すでにハワイでも認められ世界で活躍するウクレレ奏者、作曲家のRIOが自ら”デビューアルバム”と呼ぶ『RIO』を井上銘のプロデュースでリリース。これからRIOの音楽を探す旅に連れて行ってもらうことにわくわくが止まらない。
岩崎良子のパイプ・オルガンの凄まじい音圧と時に対峙し時に寄り添い、至高の瞬間を現出させる竹内直。
謎の音響空間に浸り、さらに音響的感動に移る。
ノルウェーを拠点に活動し、最小限の音を選び抜くことにこだわるピアニスト、田中鮎美のトリオ、セカンドアルバム。
2019年に鬼籍に入った齋藤徹に捧げられた、大いなる響きの音楽。
その晩年の帰結は、曲=メロディーへのこよなき愛。 涙、合掌。
異端音楽家の魂が「盤」という形で未来永劫に生き続ける証である。
2021年の新譜と言えば、やはりTheo Croker(シオ・クローカー)の『BLK2LIFE || A FUTURE PAST』が強烈な印象を残した。広大なストーリー性に加え、今まで聞いたこともないような斬新なアイデアが満載だった。
何れもがリューダスと丁々発止の対応を見せ、日本のインプロヴァイザーのレヴェルの高さを刻み込んだ。
ライル・メイズの遺作<Eberhard>は、「水の循環」を想起させるような、そしてライルが永遠の中に生き続けていると感じさせる音楽だった。ライル・ファンには最高の贈り物となった。ありがとう、ライル!
『ロスト&ファウンド』を耳にし大きな衝撃を受けて以降、その動向に注目し続けていたグレッチェン・パーラトの8年振りになる新作。
オンマイクながら綺麗なサウンドを引き出している。
ポーランドのピアノトリオRGGが、母国のSF作家スタニスワフ・レムに敬意を込めて、宇宙や月をテーマにミステリアスな世界を描く意欲作。
緻密さとダイナミクスにひたすらに圧倒されるヘンリー・スレッギルのズォイド新作。ややサウンドの音繊維がほぐれ、スレッギルのアルトの魅力を堪能できるものとなっている。
リトアニアの俊英と日本の目眩くアーティスト群像とのフリー=インプロバイズドの「いま」。
ニューヨークのピアニスト・ヴォーカリストの実力派、チャンピアン・フルトンがスカンジナビアン・リズム・セクションをバックに歌う、ロマンチックなアルバム。
sara=.esドットエスの行くべき道が荊の道や蛇の道ではなく、創造の神の祝福を受けた愛の道であることを予感させるコンサートであった。
弾いているのではない。キースに語りかけ、いや訴えかけている。”もう一度ステージに立ってピアノを弾いて!”
コロナ禍の中ならではの五時間にわたるアルバート・アイラーをめぐる貴重なネット・ライヴ体験。
6月ブルーノート東京公演を見事に成功させ、ショパン国際ピアノコンクールに向かい、予選ごとに大きな進化を遂げ、セミファイナリストに。シティソウルバンド Penthouseでビルボードライブ東京に。大晦日には上白石萌音と紅白歌合戦に出演。と、このわずか1年で角野にあちこち連れて行ってもらった。2022年も新たな音楽の旅に連れて行ってくれることを楽しみにしている。
今宵は、新たなる同志を得て、「生きた音」が横溢する場を共有出来た稀有な夜だった。
音楽魔人・三上寛、即興の巫・神田綾子、邂逅
ピアノと華麗に舞踏するセシル・テイラーの正系としてさらなる旅立ちへ。
本田のエネルギッシュなドラミングも音色がクリアで、箏とのサウンドの絡みが絶妙だ。道場というユニット名で活動を継続させているだけある。フリージャズでも、ここまでパワフルに、そしてハイレベルの交歓を体験することは滅多にない。
大好きなロバート・グラスパーが10月に行った2つの配信ライブ、相変わらず強く印象に残る演奏だった。アメリカの配信ライブはお値段もお手頃でアーカイブの期限制限もないので気安く参加できるが、このようなライブに当たるとえらく得した気分になる。
旅するパリのアルトと、マリ仕込みの気鋭ジャンベによる未踏の時空への越境。
シャイ・マエストロが2021年1月にリリースしたECM2作目『Human』のカルテットのライヴ。レギュラートリオに同世代のアメリカ人トランぺッター、フィリップ・ディザックが加わり美しく、ときにダイナミックな演奏を展開する。
リアルでは丸の内Cotton Clubでの nagaluフェスと白楽Bitches Brewでの仲野麻紀の2回公演が白眉。
第50回を迎えたメールス・フェスティヴァルだが、直前に4つの野外コンサートの許可は下りたものの大半はオンラインでの開催となった。とはいえ、ありきたりのインターネット・コンテンツにしないための様々な創意工夫がなされていた。
即興的なパフォーマンスを繰り広げるが、いわゆるインプロとは趣が異なり、主体となるのはサウンドであり、4人の演奏者によって編み上げられるというよりは重ねられるサウンド、音響によって立体的な音空間が変化していく。
キース・ジャレットのトレードマークのソロ・コンサート、日本では1974年、カルテットの来日時の最終公演から始まった。
大好きな画家、Rudy Gutierrezのジャケット画に魅せられて手に入れたケニー・ギャレットの新譜、最初の1曲目から新しいアイデアに吸い寄せられた。アート・ブレイキーに捧げられた曲、<For Art’s Sake>に表れるギャレットのアウトの美学の解明を試みてみた。
ベッシー・スミスはブルースを唄うシンガーであったが、新しいファッションで新しいパフォーマンスを披露する新しい時代を牽引する女性の一人だった。
廻る季節を進むLAL。
今月号では、No257(20190901)の連載開始以来、No269(20200831)の通算100本目を経て到達した通算200本目を含む昨年の神無月に巡った充実の現場6本をご紹介。
合わせてgalleryコーナーには、それらLALの道程でご縁を深めさせて頂いた「ジャズ界の愛すべきオヤジ」からの200号記念プレゼントを出品させて頂きました。
最後にお会いしたのが2年ほど前、神楽坂のお宅で、少し前に発売の自伝的CD『瀬川昌久94歳 僕の愛した昭和モダン流行歌』の話題に弾んだのを覚えている。
いつも、紳士でトラッド/ダンディな方でした。
ジェーン・ホールのこのアルバムを聴いて、微妙な味わいを解さない聴き手がいたら、その人物はよくいる美人ヴォーカリストのファンと同列の耳しか持っていないと断じてよろしいと思う。
アルフレート・23・ハルトが韓国移住後に崔善培と吹き込んだデュオの希少な演奏が発掘された。ゲッベルス=ハルトの流れを受け継ぐハルト=崔のサウンドである。
このアルバムがジョン・コルトレーンの未発表音源に匹敵する、などと言うつもりはないが、どこでも聴けるコルトレーンよりも、誰も知らない異能ミュージシャンの未知の音楽との出会いに喜びを見出す音楽ファンも少なくないに違いない。
即興演奏の粋を極めた4人のミュージシャンによる同時多発演奏であるマージナル・コンソートのパフォーマンスは、不定形な即興音楽のアクロバットを演者と観客が一緒になって楽しむサーカスと言えるだろう。
このバンドほど一流の音楽性とエンタメ性を兼ね備えた例を他に知らない
ドラマーの山崎比呂志氏が、私の「200本」記念」にとプレゼントしてくれた15インチのタムタムドラムヘッドに描いた絵画作品
パイプオルガンとテナーサックスの音像を同等に扱い、身震いするサウンドが鳴る。
マイクで、ここまで声の感触を作ることができるのか。
一本のソロマイクではないエネルギーとライブの空間感
サックスとヴァイオリンの発する音は神社の響きを濃厚に表している。
様々な土地やシチュエーションで演奏することで、それぞれの息を感知し、それ自体がわたくし自身の息(呼吸)になる=命である.。
今、自分に出来ることは人々を勇気づける、あるいは疲弊した心を癒せる音楽を作りだすことだと思いました。
好きな歌がたくさんあって、誰かが歌い継いでいかないと、という気持ね。