10/13 音の居場所~歌と即興が交差するライブ vol. 1
「音の交差点」と「声の居場所」を合体させ「音の居場所」として新しく始められるシリーズ。
続きを読むJazz and Far Beyond
「音の交差点」と「声の居場所」を合体させ「音の居場所」として新しく始められるシリーズ。
続きを読むニューヨーク発の「新しい音楽」が一番輝いていたころの、それは貴重なドキュメント.
続きを読む88年に創刊されたミニコミ「ORT LIVE」は、ワープロとコンビニのコピーを駆使した東京の音楽シーンを伝える、どこまでも温もりのあるメディアだった。
続きを読む即興パーカッショニスト風巻隆が主催する「音楽のピクニック」。第1回はピアノ弾き語りの林ミカとチェロとパフォーマンスの坂本弘道が共演。
続きを読むこの「日本聖殉教者教会」は、日本人のカトリック画家/フレスコ画家の長谷川路可画伯によって祭壇画・天井画・小祭壇画が描かれ、今に至っている。
続きを読むヤギの目で聴く vol.8、vol.9
続きを読むカーレとのデュオは、多くのゲストと共に音の広がりを作りながら「新しい音楽」を指向していく、そんな活動だった。
続きを読む非西洋的なエレメントが多ければ多いほど、また個の表現というものを突き詰めれば突き詰めるほど、ヨーロッパでは「アーティスト」として認めてくれる。
続きを読むヨーロッパではクラシック音楽に対するオルタナティブな音楽としてジャズが市民権を持っている
続きを読むフリーであるという事は本当にいろいろな事を意味するのですね。
続きを読むシカラムータ CICALA-MVTA やジンタラムータ JINTA-LA-MVTA の活動などえ知られる大熊ワタルとこぐれみわぞうが、ドイツ・バイエルン地方をツアーする。
続きを読む即興演奏というものは人柄がよく表に出るものだけれど、ポール・ハスキンほど、その人柄が音楽に表れているミュージシャンもいないだろう。
続きを読むトムとの演奏が難しいのは、その独特のグルーヴの展開に予測がつかないからだろう。
続きを読む即興というのはけして、「何でもあり」の自由ではなく、その場面その場面で、「それしかない」演奏を瞬時に選択していく…、
続きを読む「KNITTHING FACTORY」は、NYダウンタウンの「新しい音楽」の発信地として知られるようになった。
続きを読む短歌・詩と即興音楽…、言葉と音が流れるパッセージを楽しみたい。
続きを読む「音楽は自分の魂と体から出てくるもので、聴く人の体と心に働きかけるものだ。」
続きを読むボクにとって「いい演奏」というのは、思っていたことがうまくできた時ではなく、自分が思いもよらないような演奏をした時だ
続きを読む新しい場所は、新しい自分を作ってくれる…、そんなことを感じていた。
続きを読む佐渡は、自分の音楽を育ててくれた場所だという感覚は強く持っていて、佐渡で演奏することは、自分と向き合う事でもあった。
続きを読む形を作ることと、型破りのことだったら、後者を選ぶ、そんな心情をボクは持っていた。
続きを読む名もなき市井の生活者が、伝統的な音楽や文化を支え継承しているというのが、沖縄や八重山の実相だろう。そこにこそ沖縄の存在価値があるはずだ。
続きを読む「即興」というものはある種の身体感覚で、それまでの自分の殻を破ることで自分の体の内側から新しい音が現れてくる…
続きを読む即興であるにも拘らず、演奏に方向性を定めてその場で音楽を形作っていく…、この即興の方法論はその後ボクの音楽の作り方になっていった。
続きを読む学生の頃、沖縄・八重山の離島で宇宙というものを始めて見たのと同じように、ボクは、ニューヨークのアスター・プレイスで、本物のジャズと出会ったのだった。
続きを読むこの日の二人の演奏は、既存のスタイルに依りかからない新しい音楽のあり方として、ニューヨークの聴衆には受けとめられていたのだろう。
続きを読むとにかくトリオの新しい試みは、スウィンギーな細密画のような印象だ。それは例えば「オルタナティヴ・ロック」を彷彿とさせる。
続きを読むボクのタイコの音が、ジャズではなく、東洋的なグルーヴを作り出していることに即座に反応する小杉さんの音楽の、懐の深さにボクは感じいっていた。
続きを読む風巻 隆のソロCD 『ただ音を叩いている』 発売を記念した 長年親交のあるミュージシャンとのカルテットによるライブとパーティ。
続きを読む「ただ音を叩いている」というタイトルは、即興演奏は「自分」を捨てたときに立ち現れてくるという風巻の信念でもあるのだろう。
続きを読むソウルから15年ぶりに来日中のトランペッター崔善培チェ・ソンベ の唯一の東京公演が今夜、渋谷・公園通りクラシックスで
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