Jazz and Far Beyond
穐吉さんも北村さんももしかすると100を越えてもプレイしているのではないかと思うと何やらワクワクしてくる。
第14回アルバート・マンゲルスドルフ賞(ドイツ・ジャズ賞)の受賞者はパウル・ローフェンス Paul Lovens に決まり、ベルリン・ジャズ祭会期中の11月3日に授賞式が行われた。「ジャンルの境界を再定義した独創性のある即興演奏家」であることが評価された。
彼(アイヒャー)が僕のところへ来て選んで行った写真は、日本では使われないようなものばかりだった。
それが両スピーカーから発散したとたん脈々と血が通った、よりリアリティに満ちた演奏の場を再現してくれる。これはまさしく再生音楽の偉大なる進歩であり所産だ。
現代に生きるマンフレート・アイヒャーという人間、ジャズ・プロデューサーの内面が表現された音という意味にそれを勝手に解釈しなければいられないほど、その音は個性的であった。
ECMの音ってどんな音?—−−という問いに対して正確に答えるためには、そこできける音楽のことにふれざるをえない。
彼アイヒャーのジャズに対する愛情、時代を先取りした鋭い洞察、クラシックや現代音楽に対する深い造詣がそのひとつひとつに裏付けされていることがわかる。
耳から映像が入ってくる。目から音楽が入ってくる。それが私のECMだ。
今回上梓された『増補改訂版ECMカタログ』を手にすることは、私が食べて育ってきた料理のメニューを懐かしく眺めるような気持ちである。
そう、K氏こそ我が国を代表するデザイン界の開拓者・清原悦志氏。彼が亡くなってすでに30年が経つが、氏が私に残してくれたものは余りにも大きい。
ECM録音の特徴となる「鮮明」で「透明感」のある音はマンフレート・アイヒャーとの近しい共同作業を続けながら確立していったのだ。
叶うなら、光あふれるあのレインボースタジオでもう一度、いまのピアノの音を録ってほしかった。
オスロのレインボウでの録音が少なくなてきたのは、やはりヤン・エッリクの体調の問題が関わっていたのではないだろうか?
2007, 8年頃オスロのRainbow Studioを訪ねた。その時同行したカメラマンが撮影した写真を掲載する。
音楽に愛を持ち、ミュージシャンと一緒になり音を作っていく。僕たちは本当に偉大な人を失ってしまった。
11月21日のコールマン・ホーキンスの誕生日に久しぶりに<Body and Soul>を聴いたら、急にコルトレーンバージョンを分析してみたくなった。何せ書きたいことが山ほどあるコルトレーンバージョンなのだ。イントロから始まるラインクリシェ、度々登場するオーギュメンティッド・トライアッドの意味、コルトレーンの3トニックシステムなどに焦点を当て、鉄腕アトムも交えていつもより少し専門的な解説を試みた。
このカタログはその偉大な男マンフレート・アイヒャーの正確な軌跡を綴るべく心がけた。
1960年代半ばから、どんどん派手で過激に歳を重ねていくのと同時に俄然面白くなってきた、オーネット・コールマンのファッション。
この夏、タワレコ冊子『intoxicate』にお声かけいただいて、50周年を祝す小文を書かせていただいた、
脳梗塞の後遺症による半身片麻痺の巨軀を1本のステッキに預け、今日も明日もグルメとジャズを求めて都内から近郊を巡るひとり旅。
デレク・ベイリーは、少なくとも自らの即興演奏のイディオムを、ブルーズ、ブルーノートから脱却させた。同時にクリシェとしてギターサウンドを変更した。
文は人なりというが、音もまた人なり。岡まゆみ、Kishiko、海原純子3人のアルバムを聴いてさらにそのことを強く思った。
近くて遠いジャズとロックのミッシング・リンクとして謎解きを楽しむのも悪くはない。しかしながら、アルバム全体に漲る無防備なまでの自由精神は、時代や社会やテクノロジーが変化しても常に変わることのない、人間の表現欲求の解放の証に違いない。
この快感、耽溺を肯定する事は危険だ。この音楽に拝跪してはならない。私はこの音楽の強度に立ち向かわなければならない。それが真にこの音楽を聴く事だ。
これからは本当に音楽も”ペーパーレス”になってしまうのだろうか…日々不安でしようがない。
片山広明を愛する立花秀輝が、生前彼に提供した曲「酒屋が閉まる前に」がアルバムタイトルにされている。片山へのレクイエムなのだろうか。
本公演のコンセプトは、今年他界した齋藤徹(コントラバス)が皆藤千香子に提示したものだ。それは、日本とドイツのアーティスト、ダウン症ダンサーの矢萩竜太郎とともに、「今、ここ、私」を考えながら即興をする、というものであった。
エキサイトする演奏と熱心に耳を傾ける人々の音楽に溶け込む熱気が会場を包み込んで、それが演奏にまで乗り移るという奇跡的な一夜を生んだ
固執し続けられた形式は、ついには形骸と化す。残るのは、とてつもない濃度を内包する、縹緲(ひょうびょう)とした境地である。
海外でも名前の知られた尺八奏者、田島直士(たじまただし)のリサイタルに、現代の新しい地歌界を代表する藤本昭子が共演するという
ECM 50周年記念コンサート「ECM Records at 50」が、ニューヨークで32人のミュージシャンを集めて開催された。
切れの良い輪郭と余韻の豊かさ、演奏の軽やかな雰囲気を、録音手法で作り出した技に満点で評価したい。
マイキングによる音色の構築、これが全すべてを支配している。
ミックス・バランスに、つい、うまいなあ〜と声が出てします。
東京文化会館小ホールのライブ収録。この音響条件が、過去いくつかのDuoと比較して突出した優秀録音であることだ。
各パートの音源が透明感を持って鋭く表面に立つ。この音像構成は驚愕の鋭さだ。
叩きつけるピアノの音像が左右空間に飛び散る様は仰天。
音圧で圧倒され、特有のバランス感覚が特徴と言える。
密集のサウンドを、音像濃厚に聴かせる様は、技巧の表れと思われる。
アナログ録音のマルチトラック化の時期。音質に当時を知る特徴が出ている。
いくらバッシングされようとまた音楽をスタートさせようとしたのが(復活の)きっかけといえばきっかけです。
ここ15年は本当に人生のすべてを絵と音楽に捧げてきたと言っても過言ではないと思う
ECMに約700枚の録音を残したノルウェーのエンジニアのヤン・エリック・コングスハウクが闘病の末、75歳で亡くなった。ギタリストとしても自身の録音を残している。
カナダ・ジャズシーンのど真ん中からやって来る吹く風とともに世界を旅する即興演奏家、フランソワ・キャリリールの来日ツアー