【変更】9/11~15 ハンナ・シェルケン in Tokyo
ドイツの歌手、ハンナ・シェルケン(Hanna Schörken)が来日する。今回のツアーで手合わせする相手は、アイヌのシンガー豊川容子とピアノの矢部優子(9/11)、木管楽器等のサウンドを使う佐藤綾音(9/13)、ギターの秋山徹次(9/14)、三味線・大正琴の田中悠美子(9/15)と多士済々。
続きを読むJazz and Far Beyond
ドイツの歌手、ハンナ・シェルケン(Hanna Schörken)が来日する。今回のツアーで手合わせする相手は、アイヌのシンガー豊川容子とピアノの矢部優子(9/11)、木管楽器等のサウンドを使う佐藤綾音(9/13)、ギターの秋山徹次(9/14)、三味線・大正琴の田中悠美子(9/15)と多士済々。
続きを読む坂田学や大森菜々が藪をものすごい勢いで刈ったあとに招き入れる「なにものか」とは、坂田明なのかもしれない。
続きを読むレジェンド級の演者たちによるソロを参照してもなお、デイヴ・モスの本アルバムは個性的に聴こえる。まるで虹のようなサウンドだ。
続きを読むテリ・リン・キャリントンが歌手のクリスティ・ダシールと組んでリリースしたアルバム『We Insist 2025!』は、マックス・ローチが1960年にリリースした『We Insist!』へのトリビュート作品。しかし本人がMCで話したように現代の視線により「reimagine」された音楽であり、驚くほど鮮烈だ。
続きを読む打楽器奏者の宮坂遼太郎のおもしろさは、演奏技術の追求ではなく、ヒエラルキーの無効化や独特の立ち位置の追求からきている。
続きを読むポーランドのドラマー/インプロヴァイザー/音楽学者であるアダム・ゴレビエフスキ(Adam Golebiewski)が来日し、ソロ演奏や日本のインプロヴァイザーたちとの共演を行う。
続きを読む極めて繊細かつ大胆なベーシストのデイヴ・モスが東京で2日連続の即興ライヴを行う。共演者は、初日が大上流一(ギター)、2日目が神田綾子(ヴォイス)とアキオ・ジェイムス(ドラムス)。
続きを読むジェシカ・アッカリーがはじめての来日ツアーを行った。ジャズ・即興シーンでこの数年間注目度が高くなってきたギタリストである。
続きを読むかみむら泰一の演奏は内にも外にも開かれている。自分自身のヴォイスをいかに尊重するか、表現のための言語とはなにか。
続きを読むシカゴのフリージャズ・シーンにおける活動が長いタツ青木だが、このところ帰国して東京での演奏を行う機会が増えてきた。今般の再来日で組まれたギグ、さらに先行する形での舟遊び。
続きを読むハードコア・ドラマーのウィーゼル・ウォルター。異質で唯一無二の個性をもつメキシコのサックス奏者マーティン・エスカランテ。ペルーのエクスペリメンタル・シーンを作り上げてきたベーシスト/ギタリスト、テテ・レギア。北米から中南米、さらに世界を旅するかれらに、現在進行形のインプロヴィゼーションやエクスペリメンタルの状況について話を聞いた。
続きを読む香村かをりは即興演奏をすることで渇望を鎮めているという。だから、彼女は自分自身のことをミュージシャンだとは思っていない。
続きを読む「近年のフリー・ミュージック界に登場した中でもっともエキサイティングなギタリストのひとり」、ジェシカ・アッカリーが来日公演を行う。
続きを読む異色の音楽集団アンサンブル・シッポリィが4年ぶりの第3作となるアルバムを出した。このグループのテーマが「息のかさなり」であることは変わらないが、サウンドとしてのあらわれはずいぶん変わってきている。
続きを読む台湾の謝明諺が「大」が付くヴェテラン安田芙充央と初共演。注目度が高かったようで、会場には台湾から日帰りで観に来た猛者もいた。
続きを読む川島誠はソロ演奏を指向する。それは、かれの表現が自身の内奥の声を出すことにほかならないからだ。
続きを読むルォー・ユー・チェン(陳若玗)のピアノトリオがベートーヴェン、チャイコフスキー、プロコフィエフなどのクラシック作品に取り組んだ。それは独自色の高いものであり、シューベルトとモーツァルトに焦点を当てた前作からさらに成熟度を増したようだ。
続きを読むアキオ・ジェイムスはパワフルなドラミングをみせる一方で、つねに新たな方法論を模索する独自性をもつ。ひとつの場所に安住しない音楽家である。
続きを読むウィーゼル・ウォルター(ds)、マーティン・エスカランテ(sax)、テテ・レギア(b)によるエクストリーム・フリー・ミュージック・トリオが来日する。その後マーティン・エスカランテは吉田達也(ds)とともにレコ発ツアーを行う。
続きを読むこれらの演奏はビッチェズ・ブリューで繰り広げられた。大由が普通のプレイヤーとは異なるスタンスで演奏に臨み、香村が即興演奏の形を練り上げ、また纐纈がソロ演奏の場を幾度も得た場である。この機会を提供した杉田誠一のもつ緩衝帯についても、語っていかなければならないことである。
続きを読む山㟁直人は「叩く」ことの少ない稀有な個性をもった打楽器奏者である。国籍もあまり関係なさそうにみえる。この独自の道を、かれはどのように切り開いてきたのか。
続きを読むこの音があれば酒など要らないのかもしれない。
続きを読む北欧から即興演奏のトリオが来日した。コントラバスのクリスティアン・メオス・スヴェンセンは過去に何度も来日しており、またポール・ニルセン・ラヴ(ドラムス)、田中鮎美(ピアノ)らとの共演で国内でもわりと認知度が高い。ドラムスのクレステン・オズグッドは菊地雅章(ピアノ)やドクター・ロニー・スミス(オルガン)などレジェンドとの共演盤を残しており経験豊富だ。バスクラリネット、クラリネット、フルートを吹くアンドレアス・ロイサムは初来日。
続きを読む石当あゆみは国内での演奏活動なしにNYのシーンに飛び込んだ人だ。エフェクターでサウンドのテクスチャーを追求する独創性はその中で生まれた。
続きを読むNYで活動を続ける石当あゆみ(サックス)のミニツアーが行われた。再演のほか新たなミュージシャンとの手合わせもあり、ふたたび東京の即興シーンに足跡を残した。
続きを読むふたたびピアノを弾き始めたのは二十代になってからだし、ピアノトリオを組んではじめて人前で演奏してからまだ10年ほどしか経っていない。矢部優子は遅咲きの音楽家だ。
続きを読むどうも聴く者は安田芙充央という魔術師に幻惑されているようで、またなにが起きたのかをたしかめようとして最初からアルバムを聴くことになる。
続きを読むなぜこれほどに奇跡的な邂逅のドキュメントが眠っていたのだろう。
続きを読むコロナ期を経て5年ぶりに白石民夫が新宿西口カリヨン橋でアルトを吹いた。
続きを読む8年ぶりのトン・クラミ来日公演。
続きを読む仲野麻紀は著書のタイトルにあるように、旅する音楽家である。それは異国に住み世界各地を移動するというだけの意味ではない。
続きを読む他のだれかやなにかと「似ていない」のは橋本さんだけでも.esだけでもなかった。
続きを読む山口コーイチの演奏はどのような形態であれ普通ではない。本盤において、かれの視線の先には大きな船ではなくメンバーとの交感自体がありそうに思える。
続きを読むこのコンサートは、ピアニストの矢部優子がYouTubeでたまたま聴いたアイヌの子守歌<60のゆりかご>に心を動かされ、アポイントひとつ取らず北海道まで旅をしたことに端を発する。演奏が終わるころ、ホールは多幸感に満ちていた。
続きを読む今西紅雪のことを即興にも活動を拡げた筝奏者と捉えるのは妥当ではない。サウンドアートや電子音楽などとの関わりの中で自然に即興演奏を行ってきた人である。彼女にとって即興とは「ありのままの自分」だ。
続きを読む庄子勝治、植川縁というふたりの対照的なサックス奏者が古いブッシャーのサックスを吹き、即興音楽のソロイストとは異なる独自性をもつ照内央晴がピアノを弾く。録音が山猫軒独特の気配をとらえていることも特筆すべき点である。
続きを読む音が人である以上、本盤に収められた演奏だけが最上のものだと言うことはできない。だが、この音も聴くべきである。
続きを読むクラリネットとバスクラリネットのみで即興演奏も行うプレイヤーは極めて希少だ。その独創性は、何かに依拠することなく自分自身の価値観に合う音を見つけてきたことによるものではないか。
続きを読む神田綾子、マット・ホレンバーグ、パトリック・ゴールデン。さまざまな可能性が秘められたトリオであり、今後別の姿への変貌もあるだろう。
続きを読む異能のサックス奏者クリス・ピッツィオコスが7年ぶりの来日を果たした。ここでは、東京における3箇所のギグを報告する。
続きを読む加藤崇之は大ヴェテランでありながらまったく同じ場所にとどまろうとしない。音に対して自分を開き、つねに衝動やひらめきを大事にする人である。
続きを読むまずはサウンド全体から受ける清冽な感覚に強く印象付けられる。ナチュラルであるから不自然な力みがなく、その一方で音の向こう側までの距離が長い。
続きを読む日本フリージャズから佐藤允彦・森山威男のふたりのレジェンド、ロンドン新世代からアイドリス・ラーマンとレオン・ブリチャード。融合も摩擦もある異文化遭遇。
続きを読む池田謙は俯瞰の音楽家である。自身の音には確固たる方法論がありながら、自我を表出させることを極端に回避する。現代美術や小説も手掛けるかれの展開するマンダラはどのようなものか。
続きを読む琵琶の硬軟さまざまな音やパーカッションの濃淡(韓国伝統音楽ふうにいえば長短が成り立っている)による複層的な音空間。そこには安寧の強さも対話の愉しさもある。
続きを読むNYレジェンドのイーヴォ・ペレルマンとウィリアム・パーカー、そしてかれらに伍するジム・クラウズとパトリック・ゴールデン。限りないエネルギーが聴き手に至福をもたらす録音だ。
続きを読むザイ・クーニンはマレー系のシンガポール人であり、タブローや立体作品を創造するアーティストであり、音楽家であり、身体表現者でもある。今般再来日し、傑出したインプロヴァイザーたちとの共演を行った。
続きを読む徳永将豪はロングトーンを追求するアルトサックス奏者であり、日本の即興音楽シーンでも特異な存在である。それは模索の結果たどり着いた「音の基礎研究」だった。
続きを読む角川春樹『キャバレー』、五木寛之『青年は荒野をめざす』、エラ・フィッツジェラルド『Mack the Knife – Ella in Berlin』
続きを読む本盤はヴァイナルでのみリリースされる。ふたりの個性をなまなましく感じるという目的だけのために、このような制約があってもよいのではないか。
続きを読むシカゴのフリージャズ・シーンにおいてタツ青木の存在は欠かせないものであっただろう。今般の再来日で組まれたギグはふたつ。年齢的にはかなり年下のミュージシャンたちとの自由即興、そして大御所・山下洋輔との邂逅である。
続きを読む台湾のサックス奏者・謝明諺(シェ・ミンイェン、通称テリー)が再来日した。15日間(2024/6/11-25)で17回ものギグを行う濃密さ、しかもオフ日にもセッションに出かけるという凄まじさ。本稿では筆者が企画した3回の演奏について振り返る。
続きを読むMIYAはフルート奏者であり、モジュラーという電子楽器をフルートと組み合わせる世界唯一の人であり、また日本の伝統音楽を演る人でもある。それぞれの活動が、彼女の原点であるフルート演奏にフィードバックされるのがおもしろいところだ。
続きを読むフリー・インプロヴィゼーションを音だけの缶詰にすることには困難が伴う。ライヴと録音媒体とは本質的に異なるものであり、そのためリスナーの受容もライヴと同様ではない。だが、本盤に収録された36分間ぶっ続けの音には粗雑な要素が皆無であり、聴き手を惹きつけるものがある。
続きを読む静寂と静寂とのあわいにいるような蒼波花音の演奏は、多くのリスナーを驚かせ続けている。彼女は自分自身について「つねづね遅れを取るけれど、その先に良いことがある」人生だなと感じているという。
続きを読むソプラノサックスとコントラバスのデュオはさほど多くないが、本盤は他のミュージシャンたちも触発しうるほどの作品にちがいない。日本のシーンでも広く共有され聴かれてほしい。
続きを読む坂田明とイヌイジュンという「オレとオレ」ゆえの音。それはふたりの「オレ」が突破者でなければ成立しないものだった。
続きを読む吉田隆一のことをバリトンサックス奏者と呼ぶだけでは不十分だ。SFへの深い造詣をもとにした文筆(日本SF作家クラブの理事も務めているのだ!)、サックス奏者たちの演奏法の分析、ラージアンサンブルのプロジェクト、無伴奏ソロなど、八面六臂の活躍ぶりである。
続きを読むコントラバスという楽器は単数でも複数でもある。幅広い周波数の葉叢を発生させるだけに、その音にはひとりの演者の意思を超える匿名性がある。また、矛盾するようだが、同時に演者の個性がもろにあらわれる。田辺和弘、瀬尾高志、田嶋真佐雄はそれぞれに自身の音を追い求めてきた者たちであり、なおさらのことだ。
続きを読むKARMはプラハのミハル・ヴルブレフスキ(アルトサックス、クラリネット)とベルリンのトルステン・パペンハイム(ギター)による即興のデュオユニットである。かれらの特徴はまったく電気を使わないことだ。
続きを読む石田幹雄のピアノについて、「こんな感じ」だと説明することはむずかしい。その愉快なもどかしさの鍵は、石田のいう「中庸」「立体」「色味」かもしれない。
続きを読む台湾出身のピアニスト、ルォー・ユー・チェン(陳若玗)が5枚目のリーダー作を出した。デビューから一貫して起用しているクリストファー・トルディーニ(ベース)、トミー・クレイン(ドラムス)と組んでのピアノトリオである。彼女は独自のジャズ表現を追求してきたが、驚いたことに、ここにきてシューベルトとモーツァルトの曲を取り上げた。だが、その表現姿勢はぶれていないことは、聴き込むとわかる。
続きを読む森田潤、グンジョーガクレヨン、Cannonball Explosion Ensemble。それぞれがスタイリッシュですばらしく野蛮な演奏をみせた。
続きを読む武田理沙が『Pandora』でシーンに衝撃を与えてから5年以上。いまだスタイルを定めず分裂気味に突き進むこと自体が、彼女の独創性である。
続きを読む4年ぶりの来日。強さ、速度、相互の意思疎通、すべてにおいて驚くほど高度な演奏をみせてくれた。
続きを読む北京在住の朱文博(ツゥ・ウェンボウ)と趙叢(チャオ・ツォン)が久しぶりに来日した。また西安出身・ロンドン在住の李松(リ・ソン)は1年ぶりの日本である。3人とも方法論自体から作り上げる者であり、やはり、蓋を開けてみると予想外の展開となった。
続きを読むいまでは、即興演奏を手掛けて伝統的な邦楽から越境する箏奏者は少なくない。マクイーン時田深山もまた伝統から出発した人だが、彼女の音楽性は誰にも似ていない。
続きを読むこの世には、聴くと脳のどこかの回路に電気が流れはじめ身動きが取れなくなるアルバムというものがある。
続きを読む空間への働きかけも、構造物からの反響も、個人の演奏という範疇を超えている。そのために録音媒体としての本盤は、ライヴの再現や再構築というものではなく、別のなにものかになりえている。
続きを読む3人はそれぞれ自分の作業に没頭し好きなルートを走り、ときどき横目で並走者のルートに入ったり、なにやら投げつけ合ったりもする。音がどこから聴こえるのか、そこからなにを感じ取るのか。場の力と演者の力が手を組んだライヴだった。
続きを読む注意深く耳をそばだてれば、コミュニケーションが現象となるありよう自体を音楽として受け止めることができる。トリオとしての可能性がさまざまに模索されている作品である。
続きを読む2023年11月25日、プロデューサーとして、また文筆家として、大きな功績を残した悠雅彦の追悼コンサートが行われた。亡くなった翌月の開催であり、この場に集まった演奏者、関係者、観客の多さが、悠の影響力の大きさをものがたっていた。そして、展開された音楽の世界は、伝統と革新の両方を同等に重んじる悠の姿勢と重なるものだった。
続きを読む池田陽子はクラシックからロックを経て即興に入ってきた人である。2021年の終わりころに意に沿わぬ難聴を抱えてしまったが、それを機に、自分の音楽のあり方を見つめなおしている。それは音楽活動というものを考えるにあたり本質的なことにちがいない。
続きを読むマタナ・ロバーツのライフワークともいうべき『Coin Coin』の最新作が発表された。キーワードは「名前」だ。
続きを読む長沢哲は傑出した打楽器奏者でありながら打楽器奏者らしからぬところがある。そのギャップこそが長沢の本質だ。
続きを読むマシュー・シップは広く知られたピアニストでありながら、日本では過小評価されているように感じられる。スタイルが単純に極端なものでないことがその理由かもしれない。だが、かれの多くの作品に向き合ってみれば、繰り出される音が極めて知的に制御されており、誰にも似ていないことが実感できるだろう。
続きを読むもはやジェームス・ブランドン・ルイス(JBL)のことを現代のテナー・タイタンと呼んでもよいだろう。意外というべきか、そのJBLが自身の音楽的ルーツのひとつとしてゴスペルを取り上げ、それによって偉大な歌手マヘリア・ジャクソンへの恋文のようなアルバムを作った。
続きを読むピアノ周りの奇妙な仕掛け、不思議なデバイス、演奏に向かうふるまい。すべてが独特極まりないアーティストである。
続きを読む著者のシスコ・ブラッドリーは、無数のインタビューや資料収集、さらにはライヴ会場に足を運び、この労作をものした。本書は歴史としてだけではなく、現在につながるものとして読まれるべきだ。振り返りはつねに現在進行形である。
続きを読む東南アジア島嶼部のザイ・クーニンとサックスの川島誠による初共演。
続きを読む本藤美咲は自分の話をしながら「わたし馬鹿なんですよ」と笑う。彼女の底知れないおもしろさは、つねに眼前にある音楽に没頭し、文字通り身を投じ続けてきたところから形成されてきたように思われる。
続きを読むアムステルダム。チェロを置いてステージの中心に歩み出てきたホンジンガーは、しゃがみ込み、飛び跳ね、オーケストラを指揮した。メンバーたちも真剣に応じ、みごとなカーニヴァルの空間を出現せしめた。トリックスターの面目躍如である。
続きを読む中村としまるはノー・インプット・ミキシング・ボードから強烈な音を出す人でありながら、自分の音という我を通すわけではなく常に飄々としているようにみえる。このギャップは、状況の変化とそれへの対処を愉しむというスタンスのゆえだ。
続きを読む「Hot House」は、平岡正明が「地下鉄東西線の南行徳と行徳のちょうど中間、埋立地の道路横に一軒だけ、ルート66沿いのモーテルでもはめこんだようなネオンが出ているところが、郷間和緒・松井節子のホームグラウンドだ」と評した、千葉県のジャズ磁場だ。松井節子は、開店以来ここでピアノを弾き続けてきた。
続きを読む「a little new one」の独創性と謝明諺の懐の深さは奇妙にマッチしている。このバンドも刺激剤のひとつとなって、アジア内での表現者たちの交流がふたたび活発化してゆくにちがいない。
続きを読む田中悠美子は、日本の伝統芸能界以外のコンサートにおいて伝統楽器を使うことについて「異なる文脈の中で日本音楽の独自性が際立つことに意義がある」と書いている。トロンボーンという西洋の金管楽器との即興演奏はまさにその実証でもあった。またアレンがどこか特定のルーツ音楽に拘るのではなく、アジアなどを旅しては演奏し、映像を撮る複眼的な者であることも、このトリオを特別なものとした。
続きを読む永武幹子(ピアノ)が日本のジャズシーンで目立つ存在となって長い。今年(2023年)に台湾のサックス奏者・謝明諺との共演の際、自然に「インプロで」と指示して演奏する姿を観て、筆者は驚いた。どのような変化があったのか。
続きを読むペーター・ブロッツマンが残した大傑作のひとつに『Nipples』(FMP、1969年)がある。2021年、アメリカのテレビ番組「The Tonight Show」の「Do Not Play」コーナーにおいて司会のジミー・ファロンが笑い飛ばしたことにより、この作品はフリージャズ愛好家以外にも知られることになった。なにしろ乳首であり轟音であり騒音なのだ。
続きを読む台湾随一のサックス奏者・謝明諺(シェ・ミンイェン)は、ことばによる音楽的な響きの違いを追求している。久しぶりの来日公演で、沼尾翔子、遠藤ふみとともに作り上げる日本語のうたの世界。そしてポップ歌手の林理恵(マーズ・リンことリン・リーフイ)による台湾語・中国語のうたと朗読。なにか豊穣な音世界の起点となるか。
続きを読むタツ青木は、シカゴ在住のベーシストであり三味線奏者でもある。フリーマン・ファミリー、フレッド・アンダーソン、AACMのミュージシャンたちとの出会いと共演、NYや東京とは異なるシカゴ・シーンの特徴、さらには新世代ミュージシャンたちについて語った。
続きを読む阿部真武はさまざまなタイプのプレイヤーとしなやかに共演するベーシストである。演奏を行う場、演奏を介した関係の構築、それらは演奏家として自分自身に意識的にフィードバックされているようだ。
続きを読むブルックリンを主な拠点として活動するトリオ・Entropic Hopが来日した。
続きを読む異能のサックス奏者パトリック・シロイシが日本公演を行った。ロサンゼルス在住のシロイシは日系のルーツを持つ(かれの祖父母は第二次世界大戦時の日系アメリカ市民を対象とした強制収容所で知り合って結婚した)。それだけに個人的な旅行を兼ねた今回の公演はずいぶん嬉しいものでもあったようだ。
続きを読む竹下勇馬(楽器製作家、演奏家)はいくつものセンサーモジュールを取り付けた「エレクトロベース」、回転・揺動スピーカー、半自動楽器などを自作し、自ら演奏する。また近年は野鳥の撮影にも本腰を入れており、あまりのオリジナリティに誰もが戸惑っているようにみえる。その不可解さは少なくないインプロヴァイザーたちも惹き付けている。
続きを読む追悼 松風鉱一
続きを読むソロにより自身の記憶への旅を音として提示し、デュオにより会話し触れ合う展開が、成熟した大人のありようである。
続きを読む遠藤ふみは、この数年間の即興シーンにおいて大きな注目を集めるピアニストとなった。静寂を引き寄せて音を発するスタイルは、気の合う人との関係をゆるやかに深め、次の関係へとつなげてゆく中で得られたものだ。
続きを読む『Standards Live』(1985年録音)高揚感と歌心がたいへんな強度で放たれた作品だ。ブートレグを含め同年の録音をいくつも聴いたが、このアルバムに勝るものはない。
続きを読む2003年3月、崔善培(チェ・ソンベ)が再来日した。韓国フリージャズの創始者のひとりである。
続きを読むエレクトロニクス奏者の岡川怜央は突然シーンに出現した。それが突然にみえるのは、かれが内なる声に耳を傾けて個人としての急激な進化を遂げたからである。
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