Reflection of Music Vo. 68-Ⅱ Moers Festival 2019 ~ Photo Document Part 2
メールス・フェスティヴァル3日目と4日目のステージをスライドショーで。
続きを読むJazz and Far Beyond
メールス・フェスティヴァル3日目と4日目のステージをスライドショーで。
続きを読むメールス村を始めとする会場周辺をスライドショーで。
続きを読む齋藤徹の軌跡は私の記憶の中でさまざまな事象にシンクロしながら、その時々の音楽動向、即興音楽を取り巻く変遷と共に蘇ってきた。それは「音をさがして」の旅だったのではと今にして思う。
続きを読む11年継続した「JAZZ ART せんがわ」がこのまま終了してしまうとしたら非常に残念である。「JAZZ ART せんがわ」存続に向けてJAZZ ART 実行委員会が立ち上がり、4月17日にイベントを行い、現在Web上で署名活動を行っている。
続きを読むフレッド・フリスの3枚組CD『All Is Always Now』を聴き終えて、作品に彼の世界観がよく現れていると思った。音楽的な戦略は以前からの一貫したもので、その強度は一層増している。それにしても、All is always nowとは。絶妙なタイトルをつけたものだ。
続きを読む音楽業界ではサブスクリプション方式のストリーミングが伸びているというが、実際のところはどうなのだろう。
続きを読むフリージャズ特有のダイナミズムと緩急自在な表現によって、今日的なアクチュアリティを表出させる「ARASHI」の演奏はフリージャズの今日的な有効性をよく表していると言っていい。
続きを読む昨2018年11月13日に亡くなった片山広明への追悼の意を込めて。無類のサックス吹きに献杯!
続きを読む今年出版された数多いジャズ関係の書籍の中でも特に注目に値する2冊の本について、英語での出版物であるが画期的な出版物だったので、敢えて取り上げることにした。
続きを読む2016年11月、ベルリン・ジャズ祭でのグローブ・ユニティ・オーケストラ50周年記念コンサートのライヴ盤。
続きを読む3者それぞれ、名匠にふさわしい技量があればこそ、超越した音楽観があればこその演奏だった。
続きを読むシュリッペンバッハ ・トリオ+高瀬 アキ「冬の旅:日本編」を終えての謝意、そして個人的雑感とスライドショー。
続きを読む日常生活に溺れていると、混沌とした時代に生きていることを忘れがちだが、本を読んだり、ライヴやステージを観たりした時にふと様々なことを思い巡らすことがある。そのようなきっかけになった小説と舞台について、今回は取り上げたいと思う。
続きを読むPart 1では遂に来日したアメリカのみならずヨーロッパでも評価されているピーター・エヴァンスについて、Part 2では今年が最後になるかもしれない「Jazz Art せんがわ」をスライドショーと共に。
続きを読む9月が刺激的な月になることは間違いない。来日ミュージシャン情報と冒険的な試みを行っているプロジェクトなどについて紹介したい。
続きを読むスタンコはコメダから大きく影響を受けた作曲法、そして即興演奏家としての類い稀な才能、よくスラブ的と表される陰影を湛えた叙情性と奔放さを併せもった稀有な存在だった。
続きを読む還暦記念『月刊藤井郷子』をリリース中の藤井郷子。同世代の衰えぬ創造意欲に、私はいつもその元気さを少しばかり分けてもらっている。
続きを読むペーター・ブロッツマンがヨーロッパのフリージャズにおける最重要作のひとつ『マシン・ガン』を録音してから半世紀経つ。「怒り」を象徴するかのような攻撃的なサウンドといい、『マシン・ガン』はこの時代を表象するアルバムだ。そして、表現スタイルこそ違えど現代のオルタナティヴ音楽へのとば口を開いたのも彼らなのである。
続きを読むサンダースのサックス特有のフリークトーンや咆哮、エモーションの中から立ち上がってくるメロディ・ラインは一度惹きつけられると病みつきになる不思議な磁力がある。
続きを読むベルリンで接したテイラーはリラックスして自然体だった。周囲に彼の音楽の理解者が多くいるベルリンの空気に馴染んでいたのかもしれない。偉大なるモダニストの死に、心から哀悼の誠を捧げたい。
続きを読む2016年11月、ベルリン・ジャズ祭でのグローブ・ユニティ・オーケストラ50周年記念コンサートのライヴ盤。これは歴史に残る作品である。
続きを読む八木美知依のさまざまな演奏活動は、これまでの箏奏者の活動範囲を超越している。フライヤーなどで見かける「ハイパー箏奏者」という呼称は、キャッチコピーのようでもあり、彼女の音楽的姿勢を上手く言い当てている。
続きを読むヴィジェイ・アイヤー、ルドレッシュ・マハンザッパ、レズ・アバシ、フリー系ではジョン・イラバゴンなどアジア系アメリカ人の名前をジャズ・メディアで目にすることが近年多くなった。
続きを読む姜泰煥ほどポリフォニックな奏法を駆使するサックス奏者はいない。独特な音の上下動で表出されるダイナミズム、そして繊細な表現から導き出される叙情性といい、本盤は姜泰煥の持ち味を見事に捉えている。
続きを読むロージャー・ターナーはソロで聴かせることも出来る希有なドラマー/パーカッショニストだ。ドラムスに内在する始源の音から、未来志向のサウンドまで空間を行き来し、音から音楽へと響きの変化を追求する冒険者の探求心を感じる。
続きを読むここでは個人的に印象に残った2つの出来事を挙げたい。ひとつは白石かずこの全詩集『白石かずこ詩集成』と翻訳詩集『Sea, Land, Shadow』の出版とそれを祝う会、もうひとつは第33回京都賞思想・芸術部門(音楽)を受賞したリチャード・タラスキンの講演会である。
続きを読むヒロ・ホンシュクの音楽には師であるジョージ・ラッセルの影が見える。リディアン・クロマティック・コンセプトだけではなく、グルーヴ感に対するこだわりもそうだ。グルーヴするからこそ複雑なことをやっている演奏もさらりと心地よく聴けるのだ。
続きを読むクリス・ピッツィオコスが来日し、JAZZ ART せんがわに一陣の風が吹き抜けた。彼のソロ演奏は、未知の領域を探究するようなサウンド構成だった。会場を圧倒するほどの凄みはなかったもののその片鱗は確かに観ることができた
続きを読む「JAZZ ART せんがわ」がスタートしたのは2008年、今年遂に10周年を迎えた。商業主義とも単なる街興し的なお祭りとも一線を画した独自の路線を持つフェスティヴァルが続いたことは嬉しい。おめでとう!
続きを読む即興演奏、いやアジアのコンテンポラリーな音楽の新たな地平を拓いた歴史的なユニット「トン・クラミ」(姜泰煥、高田みどり、佐藤允彦)のライヴ録音がCD化された。
続きを読む日本ではどのくらいアーカイヴというものが認識されているのかわからないが、ジャズの研究は音盤のみで出来るものではない。それにまつわる様々な資料も含め、今後の歴史考証なり、文化研究等々のためにも遺していかなければいけないものなのである。
続きを読む女性ミュージシャンのジャズ界への貢献ということならば、メリー・ルー・ウィリアムズに続くものではないだろうか。意志の強さを感じさせる明確なタッチとリリシズムを内在させた明晰なピアニズムは、時代を超えて聴き継がれていくに違いない。
続きを読むローレン・ニュートンとスイスの二人の若手ゼバスチャン・ストリニング(ts, bcl)とエマニュエル・クンツィー(ds)との「ブラインドフラッグ(盲目的飛行)」というバンドによる全編即興演奏。三者の交歓は、バンド名さながらに未聴のサウンドへの探究心に満ちている。
続きを読むカーラ・ブレイの作曲面でのアプローチ、既成のイディオムに縛られず、独自のメロディー・ラインやコード進行に依る世界はジャズにおける作曲と即興演奏を再定義させるもので、直接的、間接的に多くのミュージシャンに影響を与え、現代のジャズに繋がっている。
続きを読む嬉しいニュースが届いた。高瀬アキ&デイヴィッド・マレイによる『Cherry – Sakura』(Intakt)がドイツ批評家賞をジャズ部門で受賞したという。高瀬はこれが9回目の受賞、渡独してから約30年、その地で確実に実績を積み重ねてきたことが評価されているといいていい。
続きを読む稀に一期一会ともいえる貴重な出会いが音盤として日の目をみることがある。これはまさにそのような一枚だ。
続きを読むミシャ・メンゲルベルクはヨーロッパの音楽シーンにおける60年代のパラダイム転換を象徴するミュージシャンだった。
続きを読むアリルド・アンデルセンはノルウェーのジャズ・レジェンド。彼の60年代からのキャリアを辿ってみると、ノルウェーのジャズ受容史が見えてくる。
続きを読む写真家ユージン・スミスといえば、日本ではまず「水俣」だろう。その彼がジャズ・シーン、それも音楽形成の場の証人だった時期があることはほとんど知られていない。
続きを読むモンクなり、エリントンなりの作曲家の個性や曲の特徴を知り尽くした上での「改造」なのだということがわかった。ジャズという知の遊園地でスタンダード曲と戯れている。「戯楽」は高度な遊びだ。即興演奏からもインスピレーションを得ていたり、その逆ということもあるのだろう。
続きを読む多文化主義がさまざまな軋轢を生み出す現在、多様な文化が出会い、行き交い、交感する空間こそが求められているのではないか。本作が生まれたことに時代の必然性を感じている。これもジャズという開かれた精神の音楽がベースにあればこそ。
続きを読むそれぞれの音楽家としての軌跡が脳裏に断片的に浮かび上がりつつも、そこに満ちていたのは颯然と今ここを突き抜けていくサウンドだった。年輪を重ねるというのはこういうことなのか。あるべき出会いはまたとない邂逅となったのである。
続きを読むベストというからには一つに絞るべきなのだろうが、今回はあえてベルリン・ジャズ祭で観た2つのヨーロッパのオーケストラ、アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ率いるグローブ・ユニティ・オーケストラ50周年記念コンサートと、フランスの若手イヴ・リッサのホワイト・デザート・オーケストラを挙げたい。
続きを読むグローブ・ユニティ・オーケストラ50周年記念コンサートをベルリン・ジャズ祭のステージで行うという。加えて、少し前から気になっていたフランスの若手ピアニスト、イヴ・リッサのホワイト・デザート・オーケストラも出演する。これは行かねばなるまい。11月のベルリンはどんよりとした雲の下、暗くて寒い。だが、プログラムに背中を押さるようにベルリンへ向かった。
続きを読む「TIME TUNNEL」と題された生活向上委員会+ドン・モイエの座・高円寺での公演をスライド・ショーでドキュメント。
続きを読む「JAZZ ARTせんがわ」のようなフェスティヴァルはメディアでもある。2日間通えば、現代のリアリティを体験することが出来る。東京ローカルとはいえ、幾つもの音楽シーンが存在する。それを横断するような新たな出会い、刺激のある独自のプログラムがあるところがいい。
続きを読む2004年のベルリン・ジャズ祭、リシャール・ガリアーノのニューヨーク・トリオのゲストがトゥーツ・シールマンスだった。色彩感溢れ、どこまでも情感豊かに聴かせる息のあった名コンビぶりからは、とても2度目の共演とは思えない。演奏の合間にシールマンスがベルリン・ジャズ祭にまつわる思い出として語ったのは、ジャコ・パストリアスのことだった。
続きを読む世界中に優れたドラマーは沢山いる。しかし、パーカッションにも精通していて、その音楽経験を双方向に反映させている者は多くはない。ドン・モイエはそんな希有なドラマー/パーカッショニストの一人である。
続きを読むトルド・グスタフセンがアフガニスタン人の父を持つケルン生まれの歌手シミン・タンデールと出会ったことで生まれたプロジェクト「Hymns and Visions」。取り上げているのは、グスタフセンが子供の頃から親しんだ賛美歌のパシュトー語訳とペルシャの神秘学者で偉大な詩人ルーミーの英訳詩。ルーター派賛美歌とスーフィーがひとつのアルバムの中で出会う。
続きを読む素材としての原曲をいかに料理するのか、編曲転じて新た曲を創る行為そのものを楽しんでいる。「戯楽」という発想そのものがジャズなのだ。
続きを読む【追悼】
即興音楽シーンで活躍していたウォルフガング・フックスが、2月3日心臓発作で亡くなった。ウォルフガング・フックスはコントラバス・クラリネット、バスクラリネット、ソプラニーノ・サックスを吹く管楽器奏者で、1970年代半ばベルリンに移住してから、スヴェン・オキ・ヨハンソン、ポール・リットン、フィル・ヴァックスマン、ラドゥ・から即興音楽シーンで活躍する他、芸術分野との様々なマルチメディア・プロジェクトにも参加。2001年からはFMP主催のトータル・ミュージック・ミーティング(TMM)の音楽監督も務めた。
ロシア屈指のドラマー、ウラジーミル・タラーソフの自伝『トリオ』(鈴木正美訳、法政大学出版局)が出た。タイトルが示すようにヴャチェスラフ・ガネーリン(p)、ウラジーミル・チェカーシン(sax)と出会い、ガネーリン・トリオ(GTChトリオ)の結成から解散に至るまでを回顧している。随分と音楽家の自伝や伝記を読んだが、この本はそれまで読んだものとは全く違う。音楽家や彼らを取り巻く人々だけではなく、KGBや国外に行ったときに同行する「外套」と呼ばれる監視要員も登場、まるでロシアを舞台としたサスペンス小説のような世界だった。
続きを読むノルウェーではジャズだけではなく即興音楽でも活躍するキム・ミールやアイヴィン・ロンニングのような1980年代生まれの若手の逸材が出てきている。
続きを読む2014年7月12日に亡くなったジャズ評論家の副島輝人氏を偲んでミュージシャンが集まった。葬儀で弔辞を読むように指名された梅津和時、不破大輔、大友良英、そして佐藤允彦の4名が発起人となり、新宿ピットインの協力を得て「故副島輝人さんを偲ぶ会」が行われた
続きを読むレスター・ボウイのソロはいつも華があった。彼のアイドルがルイ・アームストロングだったことは、トランペットの表情によく表れている。技術的に際立っていた奏者ではないが、一聴してすぐそれとわかる音色、表現の多彩さ、表情の豊かさには誰も真似ができないものがあった。
続きを読むベルリンでの「So Long, Eric」公演は、そこにカール・ベルガーがいること自体特別だったのだろう。私は、彼の軌跡とこの半世紀のジャズの流れに思いを馳せたのである。
続きを読む佐藤允彦の戯楽シリーズの3枚目は子供の頃に聞いた唄。軽快にピアノを弾く佐藤、ベースの加藤真一もドラムの村上寛も手慣れた捌き、淡々と楽しげな演奏。難しいこともさりげなく弾きこなし、さらにインプロヴァイズしてしまうスゴさ。まさに「戯れ」「楽しむ」、すなわち「戯楽」である。
続きを読む「JAZZ ARTせんがわ」も今年で7回目、バラエティに富んだプログラムで、目を耳を五感を楽しませてもらった。継続することは意味がある。来年もまたこのイベントで「出会い」があることを期待したい。
続きを読む身体そのものを楽器とするローレン・ニュートン、幅広い音域、色彩に例えるならば淡く仄かな色あいから濃く濁った色調まで豊かな音色を持ち、変幻自在にその響き、表情を操りながら、ヴォイスの限界を超えるように時に音響的に時に演劇的に即興パフォーマンスを行う。ノイジーでダーティなサウンドを発する時も決して品格を失わない。彼女が創り上げたパーソナルな音空間には、いつも毅然とした美しさが保たれている。
続きを読む私たちはセシル・テイラーの音楽をどう聴けばよいのか。トニー・オクスレーはかつてこう言った。「セシルの音楽をモダーン・ミュージックのように決してシリアスに捉える必要はない。とても自由でエナジーに満ちていて、僕は演奏していてもとても楽しい」。そして付け加えた。「ただココロを開いて聴けばいいのだ」と。
続きを読むセシル・テイラーはエリントン同様に音楽家として屹立した存在だ。今回再びそのステージを観て、彼が追求してきたのは、あくまでもパーソナルな音楽であり、世界だということを強く感じたのである。
続きを読むフリージャズ・ファンのアメリカ人コレクターを経由して入手したセシル・テイラーの海賊版。1983年のスイス、ヴィリザウでのライヴ録音だ。
続きを読む2011年、内橋和久はポーランド人ミュージシャンを招聘し「今 ポーランドが面白い」というイベントを行った。今年(2013年)10月、その第二回目が東京、大阪、その番外編が京都で行われる。
続きを読む「JAZZ ARTせんがわ」のように、ジャズのメインストリームではなく、周辺のエッジな部分を取り上げるフェスティヴァルは貴重だ。そこにこそ次代に繋がる創造活動の芽があるからである。ジャズ祭は文化事業であり、ひとつのメディア。継続させることでさらに音楽と人とのさまざまな出会いをもたらしてほしいと願う。
続きを読むジャズ評論家副島輝人が1970年代後半から『ジャズ批評』、『パイパース』などに寄稿した文章が集成され、一冊の本になった。現代ジャズの広がり、その発展と変容に迫った内容でリアルタイムの現場を伝える貴重な著作集。
続きを読む早坂紗知はまさに日本のジャズにおける女性管楽器奏者の草分けである。今でこそ女性の管楽器奏者は珍しくないが、25年前は違った。音楽ビジネスとは無関係に、演奏家として我が道を突き進んできた姿は寧ろ爽々(すがすが)しくみえる。
続きを読む音楽を演奏するということをスピリチュアルなイベントと捉えているというランディ・ウェストン、スピリチュアルという言葉がぴったりとくる音楽家はそんなにいるものではない。その数少ないひとりが彼なのである。
続きを読む311以降、それ以前に増して、ネット上ではいろいろな言葉の切れ端が溢れ続けている。そういう時代だからこそ詩が必要であると、世界的な詩人である白石のパフォーマンスを観ながら思ったのだった。
続きを読む佐藤允彦による「戯楽」第二弾のジャズ出囃子集。寄席に見立てたアルバム構成になっていて、村上の叩く<一番太鼓>で始まり、<前座の上り>、そして古今亭志ん生の<一丁入り>と続く。
続きを読むドン・チェリーは60年代から世界を旅し、マージナルな地域にも赴き、そこのミュージシャンと共演してきた。フリージャズ畑では珍しく、そのボーダーを身軽に越境するミュージシャンだった。
続きを読むステージでポップ・メハニカが発していた途方もないエネルギーはいったいなんだったのだろう。当時はレニングラードのアンダーグラウンドに押し込められていたパワーが噴出したものとばかり思っていた。半年後に世界が大きく変わるとは誰一人予想していなかったことは確かである大きく時代は動こうとしていた。今思えば、あのエネルギーにはその後の大きな変化を暗示させる何かがあったような気がしてならない。
続きを読む互いをよく知った音楽家同士だからこそ、より自由になれるということもある。力で押し切ることもなく、まさに緩急自在、スポンテニアスな演奏とはこういうことをいうのだろう。
続きを読む本作は単なる研究書、あるいはオーラル・ヒストリーに基づく歴史本を超えた著作となった。膨大なインタビュー、資料に基づき、時代的文化的背景、60年代の実験音楽の動向等をも含め多角的に検証し、歴史的パースペクティヴのなかでAACMを位置づけている。
続きを読むマリオ・スキアーノのアルト・サックスは、独特のビブラートをかけた奏法に特色がある。そのサウンドには唄を好んだナポリ人のココロが時として現れているのだ。エンターティンメントから前衛まで自由に行き来するスピリットは、歴史的にも自由な精神に支えられた街ナポリの住人、プルチネッラに自己の分身を見るナポリ人の姿に重なるのである。
続きを読む2008年にアンドレア・チェンタッツォ Andrea Centazzo が観光で来日した際にインタビューし、JazzTokyoのコラムに書いた記事を再掲載。
続きを読むそれまでの即興演奏における個の表現とは異なった世界観でサウンドが構築されていく。サウンド・インプロヴィゼーションが耳新しかった時期は既に過ぎたが、即興演奏の明日を占う音がここにある。
続きを読む終始すべてを見透かしているかのように演奏を引っ張っていたのはセシル・テイラーだったことは否めない。それでも、異なる個性がぶつかり合い、二台のピアノがシンクロし、共鳴しする醍醐味は、この二人の共演ならではの出来事だったといえる。
続きを読むジャケットの写真はそのピアノを弾く(?)猫Pief。ジャケットを見ながら「これは僕の猫でねぇ。この猫には多くのことを教わったのだ」と呟いていたメンゲルベルク。
続きを読むアルコとピッチカートを使い分け変幻自在に泳ぐレアンドレ、特殊奏法は使っていないにもかかわらず多彩なサウンドを繰り出す佐藤、即興演奏としては各トラックは短いが、それぞれが別の表情を持ち、高次元で繰り広げられるインタープレイはイマジナティヴだ。
続きを読む富樫宅にあるエレクトリック・ピアノ(Roland HP-900)をスタジオに持ち込んでの録音。富樫のイメージが生まれた音色と響きにふれ、ふわりと漂うその余韻に、立体的な音響空間を創出する希有なパーカッショニストとしての姿が重なる。
続きを読むトム・レイズは近藤等則のサウンドを無意識下の身体でじっと受け止め、湧き起こる内なる衝動をキャンバス上に描く。近藤の音位相は不思議なくらいナチュラル。そのヴァイブレーションで小さなスペースの中にユニヴァーサルな音空間が現われる。近藤が発するビートに呼応して体を揺らしながら描くレイズ姿はダンサーのようでもあり、音楽への反応の仕方はミュージシャンのようでもあった。
続きを読む2005年9月、東京芸術見本市(TPAM) の招きで、メールスジャズ祭の元音楽監督ブーカルト・ヘネン Burkhard Hennen が来日した。メールスジャズ祭の音楽監督を34年間務め、2005年で退任した彼が、ジャズ祭にまつわる諸事情と本音を語ってくれた。
続きを読む富樫さんの音楽は、書いたものとして確定している部分はすごく少ないんですよ。しかもそれだけじゃわからない。だから、こうなんだよみたいな原型を残したかった。これから先はどうぞご自由に、ということで。これは富樫さんに信頼されていないと出来ない。その意味では、ひとつの仕事ができたと思っている。
続きを読む彼女の音楽と向きあう凛とした姿勢は心地よい。特有の強く張られた弦と男性的ともいえる力強いピッチによるサウンドは潔い。が、箏ならではのゆらぎが情感を投影し、密やかなエロティシズムも付加するのだ。
続きを読むMasahiko Plays Masahiko三作目は、フリー・インプロヴィゼーションの余白がたっぷりある作品群。作品にあるモチーフを一種のマテリアルとして、さらなる創造的空間を構築する鮮やかな手腕は佐藤ならではのもの。しかし、この空間の捉え方、音色に対する美学は、富樫の世界でもある。
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