天才という言葉に相応しい人 by 力武 誠
プレイはもちろん、絵を書いたり裁縫したり、博打だろうがなんでも凝り性でそこに独特のものがある。こんな人にあったことはありませんし、これから先も現れないでしょう。
続きを読むJazz and Far Beyond
プレイはもちろん、絵を書いたり裁縫したり、博打だろうがなんでも凝り性でそこに独特のものがある。こんな人にあったことはありませんし、これから先も現れないでしょう。
続きを読むオマさんのスピリットはいつも僕たちと共にある。そしてこれからもオマさんから教えられることはあるんだろうなと思う。
続きを読む自分の感じるオマさんのベースの魅力はなんと言っても「スピード」だと思う。楽器を速く弾くという意味ではなく、「音楽全体をデザインする構成力」と「インスピレーションを実際に音にする速度」がずば抜けて速い。
続きを読むオマさんはスポンジのような人だった。演奏中でも何気ない世間話中でもその場を全部吸い取って、自在に自分の姿や場の空気を変化させていく。変化させなきゃ気の済まない人だった。しかも凄まじい速さで。
続きを読む出会った最初から、最後の最後まで、お洒落で格好いい人でした。 頻繁に掛かってきていたオマさんからの電話も、もう掛かってこないんですね、寂しいです。
続きを読む「自分でリーダーやってみないと分からないぞサトシ、俺の苦労が。瞬間瞬間で誰がどんな音を出していてそれを瞬時に察知して一番良い事やらなきゃいけないんだよ。難しいだろ!」
続きを読むオマさんとの演奏は常に何が起こるか分からない、いつも崖っぷちのような緊張感でした。また全ての体験が漫画の様な派手で劇的な事ばかりでした。
続きを読むフランク・ザッパ、プリンス、そして藤井郷子。この三者に共通する項目はなにか?
それは、尽きせぬクリエイティヴィティと比例し、常軌を逸して多作であることだ
音楽に打ちのめされたり救われたりする現場が、こんなに大変で、綱渡りのようで、だけどだからこそ実現できるってことが凄いことなんだって言うのも、改めて実感することができた。
続きを読む物質界を脱いでヒカリの存在になったオマさんは持ち前のスピード感が最大限にアップして宇宙空間を自由自在に駆け巡るんだろうなあ。
続きを読む私にとって、オマさんのベースと私だけで歌う事は非常にチャレンジでした。イントロからして尋常ではなくて…
続きを読むスピード感溢れる凄いプレーとうねるグルーヴを軸に、バンドメンバーの即興演奏が絡み合い一体化したときに起こる奇跡的で渦巻くような美しい世界、ジャズ特有のエネルギーをここで体験した。
続きを読む「オマさん僕と演奏お願いします!」子供の頃から母のレコードでオマさんの音を聴いていた私は、とにかくオマさんとプレイしたくなり無謀にもそう伝えました。
続きを読む音楽をやっていても音楽以外でご一緒させていただいていても、オマさんの周りにいるとミラクルが頻繁に起こっていました。
続きを読む高校三年生の夏休み、いきなり知らない電話番号から不在着信が27件。「ベースの鈴木勲だけど。」この電話からミュージシャン人生が突然はじまった。
続きを読むいつもオマさんと演奏した夜のあとは、どんなジャズを聞いても、聴こえ方が違いました。ジャズの場がそのまま完全な臨場感を持って聴こえ、CDのむこうにいるグレイトなミュージシャン達の言っている言葉が理解できる気がする。それはそのままオマさんの作り出していた場がジャズそのものだったという事でしょう、そんな場に当事者として参加する事を許された事は自分にとって今でも恩恵でしかありません。
続きを読むとにかく色んなことがあったし、沢山のことを学ばせていただいた7年半でした。僕にとってかけがえのない宝物です。
続きを読むいつだってOmaさんの音を聴くと背筋が伸びる。真剣な眼差しをいつでも思い出させてくれる。ほんとに全てに欲張りな人だったけど音楽がいちばんな人で最後までリアルジャズメンだった。
続きを読むその音楽には、コスモポリタン的な感性が生み出す自由さ、そして音楽的ルーツが希薄な都市に生活する人ゆえの彷徨う感覚を嗅ぎ取ることができる
続きを読む創造は水に似ている。入れる容器によって形が変わってくる。
続きを読む沖縄電子少女彩というアーティストにとってこのアルバムは一つの達成だ。のみならず、沖縄音楽というジャンルにとってもまた一つの達成だろう。
続きを読むAbsolute-MIXの公演は、矢沢朋子が、演奏家としてだけでなく作り手、コーディネーターとして姿を現す場という側面が大きい。聞き手は好みが分かれるかもしれないが、毎年でなくともときどきやりたいことを存分にやって暴れてもらいたいと思う。
続きを読む「非連続の連続」という厳しいまでの「無常なる時空間の原動化」、これが神社で演奏されたとは驚きと言う他はない。
続きを読むそんな彼の音は、柔らかい音質の中にも輪郭がはっきりしており、特にアルコは素晴らしく、さすがにクラシックを身に付けたベーシストです。
続きを読む互恵と共感、そして孤独な -coexistence- 共在によって生まれた音楽を、ジャズは待っていた。
続きを読む「チューニングは人類の歴史です」とノエルは言った。音を出すための営み、その時間は一瞬の中にある、という事実。
続きを読むジャズの故郷ニューオリンズで長年開催されてきている『ニューオリンズ・ジャズ&ヘリテイジ・フェスティバル』もジョージ・ウィーンの発案で、1973年には出演の機会も頂いた。
続きを読むでっぷりとしたお腹周りに鷲鼻の禿頭はいかにもニューヨークのジャズ界を仕切るドンという印象だった。
続きを読むオランダの文化助成制度に翻弄されながらも何とか新しいことをやろうとしていた私をいつも肯定し、一番のアライでいてくれたのもジョエルだった。もちろんエヴァン・パーカーにも紹介してくれ、その結果パーカーのレーベルpsiからリリースした私のCDはまるで通行手形のように伝統あるヨーロッパ・フリーインプロのツアーサーキットやフェスティバルへの参加の機会をくれた。
続きを読む“Eberhard” は、Lyle Mays の音世界への新たな一つの窓である。この繊細で奥深い窓を通して、また一つ彼の音楽に触れられること、そして音楽への希望、ひいては音楽と非音楽全てへの希望を感じられることに、心から感謝したい。
続きを読むライルのピアノとシンセサイザーの豊潤な響きが部屋いっぱいに広がる。これで充分だった。ライルの最後の筆をこうして聴くことができて感謝の気持ちに溢れている。
続きを読むバディ・リッチ、デューク・エリントン、サド・ジョーンズ、ウディ・ハーマンからチック・コリアまで非常に幅広い曲を様々なリズム・スタイルで演奏し楽しませてくれた。かつてのEMバンドやBNTASJOとも違う、ジャズをよく知らない人にも音楽の持つ力と素晴らしさをビッグバンド・スタイルで届けたいと構成されたのが「エリック・ミヤシロ・ビッグ・バンド」だと感じた。
続きを読む撮影している人の優しい、柔和な性格がサッチモの心を開き、こんな表情を引き出したに違いない。
続きを読むここには、ルイ・アームストロングのジャズの担い手として不可欠な自由さ、動的感覚が鮮やかに見て取れる。
続きを読むクリエイティヴなアイディアと暖かいサウンドが好きだった。
続きを読む帰国後日本で活動を開始したぼくは、お世話になった師匠ネイサン・デイヴィスに恩返しをと思ってツアーとレコーディングを組みました。その際に一緒に来日してくれたのが、ファンキージャズの巨匠カーティス・フラーでした。
続きを読むファンキーで、アーシーで、情熱的で、ロマンチックで、私を暖かい音で包んでくれるあなたが、いつまでもヒーローです。
続きを読む改めて橋本さんは真っ直ぐに芯のあるプレイをしていたんだなと実感する演奏家でした。
続きを読むみんなが彼から受けた輝きを、それぞれが身近な人に繋いでいけば世界は少し変わるように思います。そして私も、タカちゃんが繋いでくれたご縁を、大切にしていけたらいいなと思っています。タカは、みんなのタカだからー彼が愛した人たち、まだ会ったことがない人も含めて、私も愛して繋いでいきたいと思います。
続きを読む橋本さんが亡くなったことを知った時は、混乱し、泣き、色々なことを悔やんだ。ご家族や関係者の方々のお気持ちを思い、悲嘆にくれた。だがしかし、いつまでも無念だ、残念だ、悔やまれるとばかり繰り返していても仕方がない。涙をぬぐい、頭を上げて、前に進んでいく、それが生き延びている者の責務だろう。結局のところ、言いたいことはそれだけだった。
続きを読む僕にとっては一緒に音を作ってきた、家族同然の様な人だ。
続きを読む背骨に向かって、音を出す人でした。
続きを読むアートの世界は人間の形に扮した巨人を失いましたが、彼の魂は確実に生き続けるでしょう。
続きを読む橋本孝之のアルトは独自性の強い、唯一無二のものだったと思います。私は阿部薫のアルトより、橋本孝之のアルトが好きです。阿部薫を超越していたところもあると感じていました。
続きを読む情動と覚醒の切り替えが速い。感性と理性の均衡がずば抜けていいのだろう。そしていつも全力だから、彼には.esもソロもkitoもUHも同じくらい大事だということがわかる。聴けばわかる。
続きを読むピアノを弾く手技はいついかなる時も微動だにさせず、無心に なって、美しく叙情的に流れるメロディの次の『音』だけを追い続ける。それを無意識のところにまで高めるために、キーボードという 異なる機構の楽器から遠ざかったのは、あの音色を聞けば頷けるところだ。
続きを読む同地が持つ美点やひっかかりに着目した彼は“秩父前衛派”と名乗り、音楽、映画、写真集、研究文献など、同地を引き金とする様々なアイテムを精力的に世に問うようになる。
続きを読むソニー・シモンズは大胆不敵な広大な空間の探求者であり、その空間に内在するリズムの可能性を熟知していた。
続きを読むバート・ウィルソンは、ソニー・シモンズこそコルトレーン亡き後、彼の衣鉢を継ぐべき人であった、と固く信じていた。
続きを読む宮本貴奈のアルバム『Wonderful World』を聴いて感じたことは、構成力も豊かな物語が60分にわたって実に巧妙に編まれていることだ。
続きを読むコロナ禍でライブにも思うように接しられない今日この頃、家でボリュームを上げて楽しむには、最適なアルバムだろう。
続きを読むジャズを始めたきっかけは?
と訊かれれば、僕は必ず「Chick Coreaとの出逢い」と答える。
「Now He Sings. Now He Sobs」は最大級のインパクトでした。先ず、アルバムタイトルからして自分が描いていたJAZZのイメージをはるかに超えた意思、「向かい合わざるを得ない」なにものかを感じたものです。
続きを読む小学校4年生でエレクトーンのコンクールに向けて曲を探していた時、楽器店の方が「これを聴いてみて!」と一枚のCDを渡してくれました。それが『Friends』。聴いた瞬間に衝撃を受け、何度も聴いてメロディーを口ずさんでいました。
続きを読むアブストラクトなメロディーでも、リズムがハッキリある事からその楽しさを拾う事も出来る。例えば初期のバンド、サークルでもどれだけフリーキーな演奏になってもメンバーによるメロディーというオモチャ箱を使った音遊びという感じにも取れると感じる。
続きを読むユニークな即興演奏家であり、創造性に富んだ彼の演奏は、多くのECMのアルバムや映画のサウンドトラックで聴くことができる。
続きを読む楽器に触れたい、作曲したい、演奏したいと思っている人たちは、そうしなさい。自分自身のためでなければ、皆んなのために。世の中が不要だと言えば、自分が楽しむためにやればいい
続きを読むチック・コリアが念願する「より多くの聴衆とのコミュニケーション」は単に音楽上の希求ではなかった。彼を駆りたてるもの、それは彼が信奉する応用哲学(アプライド・フィロソフィー)、サイエントロジーなのである。
続きを読むゴンサロ・ルバルカバに彼の特殊奏法について実演付きで教えを乞うていたのを目撃した。チックほどのピアニストが、と思いながら見ていた。
続きを読む私の音楽人生の節々にチック・コリア氏はひょっこり顔を出し、その都度進むべき道を示してくれました。彼の音楽を通じて、何事にも真摯に向き合うことの大切さをミュージシャンたちにずっと教え続けてくれることでしょう。
続きを読むチック・コリアさんが急遽ベーシストの代役を探していると、小曽根真さんから連絡がありました。2016年9月のチック・コリア・トリロジーがアジアをツアーしていた時のことです。。。
続きを読む「周りに遠慮せず、自分が良いと思う音だけを弾こう。おかしいと思った音があったらそこに立ち戻って良いと思う音が見つかるまで探ろう」と音楽の根本に立ち返る大切なことを教えてくれました。
続きを読む誰にでもすぐに分かるイノベーションから深い内面的なものまでが一直線に繋がった稀有な音楽家。好きになったのは僕がそう感じたから。
続きを読む音楽、音楽を愛する人々へのあふれる愛情と、唯一無比なバックグラウンド、精巧な作編曲や演奏の技術、桁違いのイノヴェーターでした。
続きを読む人生の恩人と言えるほど彼から学ばせていただいたことがたくさんありますが、なんどもおっしゃっていたのは、”Keep creating!!” ということでした。常に創造することを続けるんだと。最後までそれを体現された方でした。
続きを読むいち早くフルートという楽器の可能性を見出し、圧倒的な存在感と説得力を持って自らの音楽へ昇華させたのがチック・コリアだった。フルート奏者以外の立場から、生涯を通じて自らの音楽表現にフルートを多用し、その可能性を広げた唯一のジャズミュージシャンではないか。
続きを読むチック・コリアには、ジャズというジャンルとフルートという楽器をしっかりと繋げてくれたという大きな功績がありました。
続きを読むチックはジャズピアニストとしての境界線を遥かに超えていました。なぜならチックの人生は、この世界と繰り広げた高貴で歓喜に溢れたインプロヴィゼーションとなったからです。
続きを読む1999年に留学していたトロントでのコンサートで、チックがマリンバを演奏したことに興奮して「マリンバ演奏してくれて有難う!」と伝えると「僕はマリンバ大好きなんだよ!」。それから私の夢はチックにマリンバ作品を書き下ろしてもらうことになったのです。
続きを読むチックはいつも親切で、謙虚で、寛大で、美しい魂の持ち主です。人生を通して、私たちにたくさんの贈り物をくれたチックに感謝しています。
続きを読むチックの遺産は時代を超えて引き継がれ、その素晴らしい音楽とともに、チックの笑顔がこの厳しい時代を明るく照らし続けることでしょう。
続きを読む彼の個人的な哲学には、決して受け入れられない部分や好きになれない部分もあ蔦のは事実だが、僕はそれを無視して、ただ彼の素晴らしい音楽と演奏の栄光を楽しむことを学んだのだ
続きを読む自分が彼を知ったのは、間章氏の本を読んだからである、と伝えると、彼のテンションは高まり、間章氏の批判をはじめた。
続きを読む1977年、ミルフォード・グレイヴス初来日時のレコーディング・セッション(『Meditations Among Us』 (Kitty)より。
続きを読む彼女のファースト・アルバムを聴いて感じたのは、ジャズ・シンガーの特権である開放性を存分に享受しているということだ。
続きを読むマックス・ローチのバンドで出会ったスタンリーと僕の絆は永遠に不滅である。
続きを読むわれわれはカウエルの作品を徹底的に検証する必要があるということです。そこには今後何十年間にもわたって世界中のミュージシャンに資する高度に先進的な宝の山があるということです。
続きを読むそれでも、最高のレコードが残っているので、これからの世代は、ひとりのピアニストがいかにして宇宙全体の可能性を指揮することができるかを見る機会には事欠かないと言えよう。
続きを読むそのメロディはどこまでも美しく、どこか “内奥の源泉” から紡ぎ出されたものに違いなかった。
続きを読む<エクイポイズ(equipoise)>とは“完璧にバランスのとれた状態”のこと。それこそがカウエルさんの信条だったのだと思います。
続きを読むE.E.U.は、こうして、今、グループとしての活動を終える時期に来た、と僕は思う。
続きを読む僕のような旧世代人にはせっかく生楽器の良い音を持っている人のエレクトリック化は、勝手な一ファンに立ち還ってみればマイルスをはじめどうも受け入れがたいこともあるものなのだ。
続きを読むその後、エレクトリック・トランペットを演奏しTVで特番が放送されたりと、常に変化をし続ける姿は、歳を重ねる毎に益々輝いて見えた。
続きを読む高木元輝 吉沢元治 近藤等則
続きを読むじつはこの9月にデュオ・ツアーとレコーディングを計画していたのだが、パンデミックのためすべての可能性がつぶされてしまった。最後の会話は、再演を2021年に延期しようということだったのだが..。
続きを読むAs a member of the Globe Unity Orchestra, we have been works together for many years and I remember him as a great player.
続きを読むコンちゃん!まさかの信じられないニュースやなあ。お釈迦さまのところへ、か。チベタンの青空と太陽のニューラルネットワークからいつでもどこでも交信できる。
続きを読むTHANK YOU!! OHAYOH-MAN!!
続きを読むありがとね、サイコーだったヨ、コンちゃん!!
続きを読むドラマー山木秀夫さんのFacbookからシェアさせていただきました。
続きを読む日本では珍しいボヘミアン的な感覚を持ったミュージシャンだった。日本が誇る貴重なアーチストがまた一人亡くなってしまった。
続きを読むドラマー山木秀夫さんのFacebookからシェアさせていただきました。
続きを読む一時代の天才を失った痛みを痛感します。
続きを読むご霊前に弔意を捧げます。
続きを読むあまりに急報だったからではなく、死ぬはずがない男だと 思わせる生き様も特異だったので、音楽上はおろか、多方面での付き合いも多々あった。中でも故人と筆 者しか誰も知らない出来事が脳裏に浮かんだので供養に変える。
続きを読む彼は強烈な個性を持っており、彼の人間性と作品は我々の記憶から消えることはないでしょう。
続きを読む近藤等則のエネルギー体は、常日頃のライブ・パフォーマンスに於いても、惜しげなく放たれ、人々を魅了し続けてきた。最晩年、コロナ下でのライブの「レスポンスの無さ」を嘆く近藤等則がいた。
続きを読む非常にお茶目な面もある、いくら毒舌を吐いても憎めない「カワイイ」と言ってもいいくらいの人で、僕はとてもラクに楽しくしゃべれた。
続きを読む世の中なんかクソ食らえ!魂の自由が音楽だ!とシャウトしてるのに、あまりに鈍く酷いコロナ禍の人間達。俺に文句があるんならいくらでも言ってくれ!!!
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