伊藤 潔著『My Dear Artists~ジャズ・レジェンドたちとの邂逅』
キャリア50年を超す名ジャズ・プロデューサー伊藤潔の自伝的エッセイ集。
続きを読むJazz and Far Beyond
キャリア50年を超す名ジャズ・プロデューサー伊藤潔の自伝的エッセイ集。
続きを読むアートや音楽は抵抗の一種だと僕は信じています。
続きを読む左翼高校生のたまり場はジャズ喫茶(=不良の巣窟)と決まっていたので、さっそく面白半分に連行され、ジャズなるものを聴かされてみた。
続きを読む6/29のコンサート「Jazz Legend 瀬川昌久さん 生誕100年コンサート」の基本的には企画者の一人です。
続きを読む真冬の極寒のセッションだったが、この時もカーラの手製のサウンドイッチに救われたのだった。
続きを読むこのアルバムの凄さの一つは、一貫してシリアスな雰囲気があるのになぜかずっと心地良く聴いていられるということである。
続きを読む結局、そのアルバムを買ってから数年間で999回くらいは聴き直した。
続きを読むエルヴィンの死を信じられないけい子さんはエルヴィン亡き後も二人分の食事を作り続けていたという。
続きを読む2000年に行われたECMギタリスト、ジョン・アバークロンビ~のインタヴュー Part 1。
続きを読むリスナーのソウルとスピリットを感動させる音楽を制作したい。
続きを読むそもそも、(カーラ・ブレイに)妖気など初めからなかったのだ。
渋谷毅は教えてくれる。
わたしは、シャツ一枚を着てピアノを弾く姿、そしてそんな音楽を奏でる「渋谷さんが大好き」だ。
続きを読む海外ジャズ誌の年間投票で日本の女性ジャズ・ミュージシャンが大健闘
続きを読むジョージ・ウィーンは、あるとき、マスコミに向かって、妻君を紹介したのである。妻君は意外にも“エボニー・クイーン”であったのだ。
続きを読む2021年3月17日付けニューヨークタイムスにピアニスト/コンポーザー藤井郷子のインタヴューが掲載れた。
続きを読むこの全編1ミリも途絶えることない胸を締め付けるバラッドの瞬間たち、メロディとフレーズそのものじゃないか、天国のプーさんよ、すげえよ、これ、
続きを読むしかし、(高柳が)井野や菊地と過ごす時間は、もはや直接行動あるのみという覚悟を裡に秘め、陰腹を切ってステージに上がり、さあ丁々発止の即興妙技をお聞かせしようというほどの和やかささえ感じる。
続きを読む絶頂期にあった3者がテーマから予断を許さない展開を見せるスリルと傑出した内容に何度聴いても惹き込まれるのだ。
続きを読む(ライヴ盤)キレのいいピアノのサウンドと、ベースが音像を固める。パーカッションはやや音像を引いている。ここは私の判断で、かぶりを避けた。
続きを読む高柳が没する半年ほど前の井野信義、菊地雅章との演奏だが長年連れ添った井野がコントロール・タワー的役割を演じている。
続きを読む「フリーにしてフリーに非ず」ハイサンプリング高音質録音が捉えたGreat 3の白熱の演奏の全貌が26年ぶりに完全公開。
続きを読むリトアニアのNoBusinessレコードと防府のCjapChapレコードのジョイント・プロジェクト第2期がスタート、第1回リリースは3タイトル。
続きを読む僕の長いジャズとの関わりのなかでも知り得たジャズ・トリオの演奏としては5指に入るのではと自負している。
続きを読むここで取り上げた「Great 3」のHS-DAT2作は、パイオニアのHS-DATデッキD-05用に製造・販売されたソフト。
続きを読むこの『コンプリート・セッションズ1994』は文字通りジャズ史における「世界遺産」に認定をされて然るべきだとまで、私は考えている。
続きを読む2曲のベースのソロ、センターにドスの効いた効果で表現される。エンジニアとして、仕掛けたサウンドである。
続きを読む非常にお茶目な面もある、いくら毒舌を吐いても憎めない「カワイイ」と言ってもいいくらいの人で、僕はとてもラクに楽しくしゃべれた。
続きを読む私は、生涯の友であり、初めて聴いたときから憧憬の念を抱き続けてきた音楽家を失うことになった。(マンフレート・アイヒャー)
続きを読む「ベースだけど、音に囲まれたような空間に、出来ないか?」
続きを読む2017年秋のニューヨークに滞在中、ジャズクラブ「ジャズ・スタンダード」にゲイリー・ピーコック・トリオが出演していて、元気なゲイリーに会うことができた。
続きを読む「即興の基本は耳を使うこと」、「 “体験” しないとノイズが音楽へ変わるプロセス、サムシングは、理解し難い」、「(自分の)チョイスは、スタンダードであろうと、フリーであろうと、何でもプレイする事さ」
続きを読むプーは私と一緒に音楽を通じて、菊地雅章とは誰かということを証明したがっていた。一緒にやることによって、自分自身を証明し、同時にプーは“ゲイリー・ピーコックは誰か”をも音楽を通じて見抜こう、探り出そうとしていた。(ゲイリー・ピーコック)
続きを読むつまり、日本の伝統的な文化を学びたいからです。西洋と東洋の...精神は、相反するものです。私は、日本の精神の中からたくさん学ぶことがあると思っています。
続きを読むGaryは Be-Bop の影響があまり聴こえないベーシストですが、4/4 でスイングする時のグルーブは強力です。また、こんなにスペースを感じられるベーシストは稀だと思います。
続きを読むその頃ゲイリーさんは太極拳やマクロビオティックをやっていて 小さな玄米のおにぎり持ってきて食べていたのを覚えてます。
続きを読むゲイリー・ピーコックにつながる僕個人の最大の軌跡は、1994年の菊地雅章、ゲイリー・ピーコック、富樫雅彦のトリオによる「Great 3」である。
続きを読むマイルスのひと言で開眼し、独自の音楽宇宙を創造したゲイリー・ピーコックの功績は大きい。だがそれは彼が持って生まれた才能に依存する部分が大きい。筆者がお気に入りの、ゲイリーのアルバム『Guamba』を取り上げてみた。ゲイリーが描く宇宙をしっかりと理解して、共同体として存在するメンバーの一人一人の素晴らしさや、高度な技法で書かれたゲイリーのオリジナル、<Celina>を解説。
続きを読むこの日3人の中ではいちばん調子がいいゲイリーのプレイは相変わらずカッコ良かったし、モチアンも彼にしかできない独特の間合いでイマジネーションを広げていった。
続きを読む即興演奏家の個性というものは、例えるなら“聴く”という共通・共有な土壌の上に咲いた花だ。その花には色々な種類、色、香りなどあるけど育っている土壌は変わらない。
続きを読むキース・ジャレット、菊地雅章、富樫昌彦、村上寛、佐藤允彦、山本邦山らとの共演で知られるゲイリー・ピーコックが9月4日、自宅で穏やかに息を引き取った。
続きを読むジョージ大塚の内外にわたる多彩な活動を思い出の写真とともにたどる
続きを読むジャック(ディジョネット)のドラムはよく歌い、しなやかさが特徴だがジョージさんもまったく同じ。スケールが大きいところも共通している。
続きを読む共に東京生まれのふたりの異能のジャズ・ミュージシャン、高柳昌行(g)と富樫雅彦(ds) の共演の記録はいくつか残されている。
続きを読むビル・フリゼールが、新アルバム『Epistrophy』(ECM)のリリースに合わせ、デュオでの録音を共にしたトーマス・モーガンに、ルディ・ロイストンを加えたトリオで来日する。クリニックも予定している。
続きを読む左右空間に勢いをもたらす演奏の躍動が力強く反応した録音である。
続きを読む菊地雅章のスタジオで化けたミュージシャン、トーマス・モーガン、トッド・ニューフェルド、タイション・ソーリー、たちが、放つ光、
続きを読むペダルの音色変化に敏感な音が収録されている。
続きを読むジャズ・プロデューサーにとって自分のレーベルを持つことは夢である。
続きを読む『For 2 Akis』は、ECMと日本を巡るさまざまなストーリーの広がりと収束を秘めた特別なアルバム
続きを読むニューヨークの変容するジャズの世界を生き抜くピアニスト蓮見令麻の歌を中心にしたトリオ演奏は、高潔な美意識の内側に漲る母性と慈しみに触れる心温まる一夜だった。
続きを読む「ベース奏者によっていかにレベルが上がるものか」と形容できるベーシストはジャズ史において、スコット・ラファロ、ゲイリー・ピーコック、トーマス・モーガンだけです、
続きを読むジャンルやスタイルに回収できないニューフェルドの音楽は、決して聴き易いものでもなければ、わかり易いものでもない。しかし、そこに定着された、潜勢や気配から発すべき音を掴み取り、無から有へ跳躍するその瞬間の生々しさには抗し難い重力、強度が宿っているのだ。
続きを読む菊地雅章が身を挺してこじ開けたインプロジャズは、胚胎しその種子となった核がいたるところに内在していることが聴きとることができる、しかしながらそれは、卓抜した演奏者、ここの5にん、トロンボーンを繰るタイションも含む、によってでしか到達できない結果として、だ、もとよりジャズは奏者の力量がものを言う、
続きを読む彼は実に真面目なのである。音楽に限らず全てのことに対してひたすら真面目な人間なのだ。ぼくが毎晩新宿で飲んだくれたり、「都はるみを囲む会」にのこのこ出かけていってズタブロの伴奏をやって大恥をかいたり、といった馬鹿なことをしている間にも彼は一心に自分の音楽のことを考え続けているのである。
続きを読むピアノを叩きながら無意蔵に唸るなんて、私にはとても素敵なことだと思う。耳ざわりだと感じる耳は、それだけ教育されてしまったことの証しとなる。バド・パウエルの唸り声を今さら引き合いに出してみても仕方がない。
続きを読む今となっては、当時のリサイタルそのままに、カルテット、ソロ、オケのすべてを聴いて見たい気がする。
続きを読む2007年8月22日、富樫雅彦が逝って早くも10回目の夏を迎えようとしている..。
続きを読む2作目のアルバム、ピアノ・トリオ作品『Billows of Blue』のリリースに至るまでに出会うべくして出会った数々の名盤と、ニューヨークの音楽家達。「ジャズ」とは何かという問いの追求について、自身が語る。
続きを読むすでにいくつかのレビューで触れられているとおり、後期の菊地雅章の到達を、この蓮見令麻のピアノは備えている、が、
続きを読む今の僕のバンド LEVEL 8 のミュージシャン は全員 30 代。僕がエストニアに来た 17 年前には彼らはティーンエイジャーでまだまだミュー ジシャンとしては存在していなかったことになる。
続きを読む1978年5月、NYサウンド・アイディア・スタジオでのジョージ大塚「マラカイボ・コーンポーン」をプロデュースする菊地雅章。多くの “ECMアーチスト” が参加した。
続きを読むある日の菊地 Poo 雅章(1987年3月22日@NY ブルックリン グリーンポイント クラッカー・ジャップ・スタジオ)
続きを読むマイルスとプリンスが交錯した時期、同じマイルスDNAの継承者である菊地雅章もプリンスを強く意識していたことは非常に興味深い。プーさんもその意味で、私にとっては to be continued….な存在だ。マイルスを軸としたプリンスと菊地雅章のトライアングル。未知の音への興味は尽きない。
続きを読むLive Report で「僕の胸を締め付けたのは<オルフェ>と<リトル・アビ>であった」と特筆した2曲が収録されているのは殊の外嬉しい。さらに嬉しいのは、<リトル・アビ>こと愛娘・菊地あびさん撮影のスナップが9点もブックレットに使用されていること。これはこれで立派な菊地さんのフォト・ストーリーになっており、父娘共演の珍しい1作となった。
続きを読む東京文化会館小ホールでのライブ録音。大きな波動を感じさせるマイキングで捉え臨場感が見事。奏者の特徴的な高音部における連打が、肉厚に感じられ、これは従来の菊地雅章録音にはなかった収録の技。
続きを読む帰り際、さすがに申し訳ないと思ったのか僕に靴とフランネルのパンツをくれた。新品ではなく菊地さんのお古。当時、菊地さんは最新流行のReebokのスニーカーを愛用していた。靴は茄子紺といったら良いのか本革のセミブーツ。お洒落好きの菊地さんらしい逸品である。
続きを読む無理に一般概念にあるようなジャズにはしない、邦山の素晴らしさを充分に引き出せる構成に魅せられた。自分のピアノの誇示をするのではなく、まるでひとつの宇宙を完成させるような、そんなPooさんの演奏にも魅せられた。
続きを読む彼(菊地雅章)は崇高ともいえるほど美しいテクスチュアを紡ぎながら、それを一瞬の内にぶち壊すことも厭わない。
続きを読む菊地 雅章(きくち・まさぶみ、1939年
続きを読むたとえば、キース・ジャレットが好きなファンは誰も菊地の歌に滅入ることはないさ。
続きを読む俺もそうだけど、ゲイリー(ピーコック)もポール(モウシャン)もチャレンジが好きだからね。新しいテーマを決めてそれの達成のためにチャレンジしていく。
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