Jazz and Far Beyond
ギタリストを中心に据えながら、卓越した知識と洞察力で、これまでになかった視点からジャズ全体を考察していく「現代ジャズ進化論」。
彼ら偉大なるアマチュアの活躍こそ、地方都市でジャズというマイナー音楽を一般に知らしめ、世界的なミュージシャンに新天地を提供したのである。
近年、来訪者と情報が増加しているミャンマーの文化的側面を、耳から知ることをおすすめしたい。
「SENSES COMPLEX-五感を超えて、感覚が交差・拡散する地点」というギャラリーノマルのコンセプトの具現化に違いない。
ジャズ・アルバムを肴に聴いた当時を振り返る半自伝的な切り貼りスナップショット集で、主題と変奏と混乱と逆転と結末をうまくつけて一冊の作品としている。
多くの著作の中にあって、これは著者にとって初めての「ジャズ本」
ルイ・アームストロングの名曲『この素晴らしき世界』。写真家 岩合光昭が約50年間に撮影した、世界中の風景と動物たちの写真に、岩合自らが選曲した音楽を添えた集大成となる写真集にこの名前をつけた。
かつての「ハードバップの伝導師」が「ECMの伝導師」に?
数年前からぼくが俳句の日めくりに凝っているのを知った友人が、『日めくりジャズ366』を贈ってくれた。元旦から毎朝起きると、その日に録音されたレコードのジャケット写真を見て、編者のひとことを読むのが楽しみとなった。
「Jazz is Pop!!」の2024年版。この1年にジャズに何が起こったかを可視化し、ジャズ内外のミュージシャンに語らせながら、いま聴くべきジャズを巧みな構成とヴィジュアルでわかりやすく総合的に描き出すことに成功している。4/5-8には南青山BAROOMで「BRUTUS JAZZ WEEKEND 2024」を開催。
ベルリンを拠点に音楽の旅を続ける25歳のピアニスト藤田真央が旅先での想いを綴った連載が待望の単行本化。世界を駆け抜ける藤田の2年間の記録が、情報に富み正確な文章ととっておきの映像とともに記され、楽しく引き込まれる名著が生まれた。
ジャズピアノについての本は世界中にゴマンとある。だが、本書はそのどれとも違う。アメリカでの調査、膨大な文献、資料をあたり、様々な音源を聴いて書き上げられた労作だ。
正直言って、どの頁にも引用したい文がある。それだけこの書には悠さんの、批評と、それ以上に思想が凝縮されている。
マシュー・シップは広く知られたピアニストでありながら、日本では過小評価されているように感じられる。スタイルが単純に極端なものでないことがその理由かもしれない。だが、かれの多くの作品に向き合ってみれば、繰り出される音が極めて知的に制御されており、誰にも似ていないことが実感できるだろう。
ジャズ喫茶文化を体現し続ける四谷「いーぐる」のオヤジ後藤雅洋による21世紀以降のジャズに焦点を当てた有効なガイドブック。
著者のシスコ・ブラッドリーは、無数のインタビューや資料収集、さらにはライヴ会場に足を運び、この労作をものした。本書は歴史としてだけではなく、現在につながるものとして読まれるべきだ。振り返りはつねに現在進行形である。
スタンダード=アメリカン・ソングブックを金科玉条とする彼のジャズ鑑賞美学をエッセイとして実例をあげて敷衍したのが本書である。見事という他ない。
来日したジャズ・ミュージシャンが残《日本録音作品》を通して見る日本ジャズ発展史。
ECMのファンには『真実』、『カタログ』を座右の書としつつ、ECM Records: HomeとJazzTokyo を定点観測的に目配りするスタイルが成立する。
その書物の表紙はどんどんと漆黒に近づいていき、やがて異端教徒の為の聖書となることだろう。
河崎の求めるのは仮構の共同体、幻想の部族であろう。それは上演であり作品ではないのだ。
この一書がそのままユーラシア文芸手引書なのだ。
英国の極めてユニークな打楽器奏者ロジャー・ターナーがパートナーのマリ・カマダとともに書き上げた本であり、ターナーが演奏に使う道具がひとつひとつ紹介されている。だからといって本書が「謎解きロジャー・ターナー」になるわけではない。なぜならば、ターナーは「パーカッショニスト」だからだ。
巷に溢れる万人向けのガイドブックには飽きたらない中級以上のリスナー向けか?
音楽としての純粋性を損なうことなく、大衆が理解可能な音楽はいかにして可能か
話の内容は日本のジャズの歴史そのものであり、その記憶力の良さには文字通り圧倒される。
この本の価値のひとつは、齋藤徹という類い稀な音楽家を、音以外の面から歴史化する最初の一歩となりうる点にあると感じた。
ロン・カーターというまれに見る真摯なミュージシャンの充実した人生(人種差別という終生避け得ない苦悩を含めて)と実績。
歴史学者として著名なエリック・ホブズボームはジャズ愛好家でもあった。1959年に初版が出た『The Jazz Scene』を改訂した1993年版の邦訳が出版された。
30年以上にわたるコンテンポラリー・ミュージシャン、マイルス・デイヴィスとコンテンポラリー映像作家・内藤忠行の魂の触れ合いの記録。
この著書は、サッチモに関するバイブルであると同時に音楽人としてどう生きるべきかを気付かせてくれる人生のバイブルでもある。
20世紀最後の20年間に芒洋と広がる音楽の大海に自分なりの航路を見出すための羅針盤となるのがこのディスクガイドの役割ではないだろうか。
編集・批評家・オ−ガナイザー、細田成嗣の顕現、さらなる色違い重版を祈念する、
本人の口から語られる様々なエピソードを歌手で著作家でもあるベン・シドランが書き綴ったオーラル・バイオグラフィーである。
被写体のキースが2度にわたる脳卒中でリハビリ中であることは周知のとおりだが、撮影者のロベルトも病床で白血病と闘っている。
『近代日本の音楽百年』は音楽史としても側面も持つが、文化受容を多角的に捉えることで日本の近代を音楽面から捉えた本といえる。
この3ヶ月ぐらいに出版された音楽本のなかで、幾つか目ついたものを取り上げてみたい。ここで取り上げる3冊『スティーヴ・レイシーとの対話』『阿部薫2020』『AA 50年後のアルバート・アイラー』は単著ではなく、複数の著者による編集本で、編集者の意向が強く反映された書籍だ。
自らの死を予期しながら、若き日の思いで、ユーモアも交え、そして「ジャズをレコードで聴く」という事を一つの道、戦い、創造的手段として選んだ人がいたという事実を強く感じ、老いた青年の僕はこの書を閉じた。
「私は生還者の義務として、思い出してもゾッとするあの過ぎしころの悪夢のような出来事と、現地の実相を、たとえ筆は拙くとも、ただ有りのままに世に広く発表したいと……」
これら多くの事実とこの二人との交誼を通して、一人の愛に満ち溢れた人間としてのバーンスタインが浮き彫りになっている。
そのためパーカーのニックネームの由来をはじめとする多くの点において通説を否定する新たな事実が示されている点などを含めてすこぶる興味深い。
ECMは想像力のこのうえない触媒である。ECMの音楽は空と海の間、消失点から響いてくる。
「フリー・アット・ラスト」。我々は、聴く自由によって解放される。
ふたたび音楽に光明を見出し自立するまで、時に痛ましく、時に愛おしいひとりの女性の生きざまがむしろ淡々と語り継がれていく。
LPアルバムの復活があちこちで聞かれる昨今だが、藤岡にとっては作品発表の場としてまたとないチャンス到来といえるだろう。
折角の労作である。再度、最後の詰めを期待したい。
即興音楽を聴く/聴いてみようと思う人のためのガイド本。ターゲットにしているのは、コアなファンだけではなく、むしろ即興音楽の周辺で入口を見つけられずにいるリスナーや、即興音楽に接したことはあるがどう聴いてよいかわからないでいる人たちだ。著者は聴取行為をバード・ウォッチングに喩えながら、軽快な筆致で即興音楽に馴染みのないリスナーにも聴取のポイントを解き明かし、即興音楽の深い森に入っていく。
5月から始まる令和の時代が断じて戦(いくさ)と無縁の平和な御代であることを祈りつつペンを置く。座右に置いて、挿入された反戦歌の歌詞にぜひ繰り返し触れていただきたい。
児山さんのキャリアの成功の源は「スイングジャーナル」という専門誌の権威付けにあったと思う。
サブタイトルに「音楽で生きていくために」とあるが、決して「音楽家」を目指す者だけに限られた内容ではない。
「体感する現在進行形ジャズ」が写真とエッセイで綴られ、NYのジャズシーンの熱気に手が汗ばむほど。
豊住さんはたしか東京芸大を卒業しているはずだが、それも確かではない。彼にとっては(多分)どうでもよいことだから直接聞いたことはない。
G-Modern 25号を開いてみると、灰野敬二、JOJO広重、非常階段などの固有名詞があちこちに踊っている。表4の広告は灰野敬二のドラム・ソロのアルバムだ。そう、G-Modernは言ってみれば彼らの牙城だったのだ。
編集に注力する末富とITを駆使する河合、この名コンビが実現した電子ブック/オンデマンドによる「フリー・ミュージック」の刊行はスタートを切ったばかり。今後どのような企画が飛び出すかまったくもって目が離せない。
音楽だけがもたらすことのできる本質的な生の手応え(リアリティ)—それは核であると同時に捉えがたい神秘でもあるのだが—へ至る過程を、史実や人間の身体のメカニズムを丹念に解きほぐし、あらゆる照応関係を証左して積み上げた記念碑的な大著。ただの惰性となりかねない、音楽を発する行為や聴く行為を掘り下げるとき、寄す処(よすが)となる新境地がここに拓けたことをまず喜びたい。
この本はインタビュー&アーカイブではない、博物館なディスクアーカイブとも無縁だ、70年代後半から80年代にあったとされる音楽は今もリアリティを持って生きていることに愕然とさせられる、付録CD 18トラックがそれを補完している、
ジャズ喫茶で名盤に耳を傾け、新譜を追いかけたファンにはあの肉迫するスリリングでダイナミックなヴァン・ゲルダー・サウンドがまざまざと蘇ってくるだろうが、ヘッドフォンやイアフォン主体のデジタル世代の若者にはゲルダー・サウンドはどのように響いているのだろうか。
ここに登場するのは、そのスマッグラーの中でもなんら組織を背景としない一匹狼。ノルマや規律にしばられないフリーランスの運び屋だ。草兵、41歳。国際前科4犯。身長180センチ。彼はみずからのことを、プライベート・マフィアと呼ぶ。
日本のトップ・ジャズ・ベーシストのひとり、鈴木良雄が語り下ろしたジャズ名盤55選
ウラジーミル・タラーソフのLPレコードと本の話題
ロシア屈指のドラマー、ウラジーミル・タラーソフの自伝『トリオ』(鈴木正美訳、法政大学出版局)が出た。タイトルが示すようにヴャチェスラフ・ガネーリン(p)、ウラジーミル・チェカーシン(sax)と出会い、ガネーリン・トリオ(GTChトリオ)の結成から解散に至るまでを回顧している。随分と音楽家の自伝や伝記を読んだが、この本はそれまで読んだものとは全く違う。音楽家や彼らを取り巻く人々だけではなく、KGBや国外に行ったときに同行する「外套」と呼ばれる監視要員も登場、まるでロシアを舞台としたサスペンス小説のような世界だった。
ジャズに深く関わってきた瀬川昌久氏と柴田浩一が史実や文物(とくにレコード類)を丁寧に繙(ひもと)いて、戦前から戦後の日本のジャズの歴史を改めて見極めようとする
ジャズの世界では、黒人を中心とするイースト・コースト・ジャズを得意とするルディ・ヴァン・ゲルダーと白人を中心とするウエスト・コースト・ジャズのロイ・デュナンが東西を二分する名エンジニアとしてながらく名を馳せていたが、じつは日本にはある意味では彼らを凌ぐ録音制作家菅野沖彦が存在していたのである。
とくに、パーカーはモダン・ジャズの源流であるビ・バップの創始者的存在であるだけに、音楽的な解析は避け得ず、菊地成孔、大谷能生、矢野沙織、濱瀬元彦らミュージシャンの対談やインタヴューを通した発言に傾聴すべき内容が多い。
“あの時代の [黒ジャズ] にもっとも相応しい言葉――自主、独立、自立、独自をキーワードに、地域性/民族性/音楽性を限定した結果 ”生まれたのが“ インディペンデント・ブラック・ジャズ・オブ・アメリカ”というわけだ。
半世紀にわたってバックステージで日本のジャズを支えてきた功労者、「ジャズ批評」発行人松坂妃呂子の目を通した日本のジャズとジャズシーン。
現代ジャズの扉は開かれた。ジャズ評論の21世紀はようやく始まった。
高田馬場のBigBoxでアルト、ピアノ、ハーモニカを録音した。この時の写真が何枚か収録されている。初めて父親になる期待と不安がないまぜになったような表情が見てとれないだろうか。
カンザス・シティ・ネイティヴ、しかも、膨大な資料を収集、管理、分析するアーカイヴィストの手になるチャック・ヘディックスの著書。この新著で明かされた新事実、既刊書の誤謬の訂正もある
竹田と山崎の著作が既出記事のアーカイブであるのに対し、関西アンダーグラウンドを代表するノイズ・バンド、非常階段のリーダーJOJO広重の『非常階段ファイル』は全編書き下ろしのドキュメンタリーである。
「ジャズの過去を振り返る歴史書はあっても現在のジャズ・シーン、とくにフリージャズ・シーンを切り取ったガイドブックがなかったんです」
ジャズ評論家副島輝人が1970年代後半から『ジャズ批評』、『パイパース』などに寄稿した文章が集成され、一冊の本になった。現代ジャズの広がり、その発展と変容に迫った内容でリアルタイムの現場を伝える貴重な著作集。
この第2作でも神野の朗読と小曽根の音楽がひとびとの創造力を強く刺激することだろう。その源泉は共に稲吉紘実のメルヘンである。
一流のアーティストが誠意を込めて制作したものだけに大人にも充分鑑賞に耐え得る作品に仕上がっている。
(提示された「シンプルさ」はそれ自体閉じてしまうものではなく、むしろ解釈の自由を促すものだ。とりわけ、インプロヴィゼーションの才能に恵まれた者にとっては。
1枚の写真がじつに多くのことを語り、多くのことを暗喩しているが、本書に掲載された多くの写真に共通するその事実は筆者がフォト・ジャーナリストであることに由来する。
もしも、無人島に1冊だけ持ち込むとすれば、コレっきゃありません。
ところで、氏の音楽観が一挙に大きく拡がったのはひと夏のNYでのアウトドア・コンサートの体験だったという。
ヨーロッパ・ジャズに対する誤解や偏見を正そうとする著者の強い義務感に思わず襟を正したくなるファンも多いのではないだろうか。
本作は単なる研究書、あるいはオーラル・ヒストリーに基づく歴史本を超えた著作となった。膨大なインタビュー、資料に基づき、時代的文化的背景、60年代の実験音楽の動向等をも含め多角的に検証し、歴史的パースペクティヴのなかでAACMを位置づけている。
中上の青春はジャズと共にあった。しかもアイラーの<フリー・ジャズ>と共に。
スタジオ内におけるミュージシャンとの攻防などCDの裏に隠された制作現場の緊張など、リスナーにとっても鑑賞の新たな楽しみになるだろう。
プロとしてデビュー15年目になる彼が人生とジャズについて語り尽くしたこの著書からも彼の誠実さが溢れ出ている。
これは、1988年8月、癌を宣告された著者が再発を経て余命を意識した頃、勧められて音楽鑑賞教育委員会に入会、機関誌『音楽鑑賞教育』に92年3月から足掛け6年にわたって連載した「ジャズの歴史」である。
「ハーレム・ルネッサンスの中心人物、詩人ラングストン・ヒューズの自伝(3部作)の第1巻。
本物のブルース、その真の意味を極めたい向きは「ハーレムの詩人」による本書にあたるべし。
80年代のジャズがどう展開してきたか?