#2192 『ショーン・ロヴァート/Microcosms』
インプロヴァイザーの演じる領域を用意したコンポジションであり、あるいは逆にコンポジションにインプロヴァイザーが自身の表現のために介入したものでもある。結果としての折衷ではなく、両者せめぎ合いの過程が音の緊張感となって刻み込まれている。
続きを読むJazz and Far Beyond
インプロヴァイザーの演じる領域を用意したコンポジションであり、あるいは逆にコンポジションにインプロヴァイザーが自身の表現のために介入したものでもある。結果としての折衷ではなく、両者せめぎ合いの過程が音の緊張感となって刻み込まれている。
続きを読む時間の流れに沿った相互作用だけでなく時間軸を伸縮させる縦波を前提としたふるまい、三者ではなく自分自身の影をメンバーに呼び込んだ共演。それによる予期せぬ現象は三者の力量によって平衡を獲得するが、さらにそこから次の相と新たな現象・平衡へと移行する。驚くべきダイナミクスだ。
続きを読むこのトリオはテザード・ムーンよりも意志の力で抑制されており、それでいてテザード・ムーンに匹敵する音の強靭さを保っている。
続きを読むコロナ禍を経て久しぶりの酒井俊の帰国ツアー。すべてが一期一会だ。
続きを読むマルチリード奏者・松風鉱一(1948年、静岡市生まれ)。現在は自身のカルテット、渋谷毅オーケストラ、エッセンシャル・エリントン、サックス・ワークショップ、今村祐司グループなどで活動している。あまりにも独創的なサウンドの魅力は昔もいまもまったく色あせていない。
続きを読む中国語圏で中国語によるジャズを歌う試みはさほど多くはなかった。本盤はその新世界に向けた一里塚となるにちがいない。
続きを読むゾウ・アンバ(Zoh Amba)は2000年4月27日、アメリカ・テネシー州の生まれ。昨年(2021年)の9月にニューヨークに越してきて活動を開始し、大きな話題になっている。
続きを読むロンドンのサックス奏者マッシモ・マギー、ドイツ・カッセルの三味線奏者ヨシュア・ヴァイツェル、日本のエレクトロニクス奏者の池田謙は、打楽器奏者エディ・プレヴォ主宰のワークショップで知り合った仲である。プレヴォも、また最近帰国した池田も、長い間ロンドンが活動の拠点だった。したがって、このときヴァイツェルのみが海を渡り、ロンドンのCafe Otoに集まったことになる。
続きを読む歴史的な記憶と想像力によって豊かな世界を提示する「ユーラシアン・オペラ」。コロナ時代にまた素晴らしい作品を作り上げた。
続きを読むパーカッションの山㟁直人、笙の石川高、尺八のアンドレ・ヴァン・レンズバーグによるトリオ。40分強のサウンドのどの時点もプロセスとして大事なものであり、ときにぞくりとさせられる瞬間がある。
続きを読むニューヨークでもパンデミックの隙を見つけて演奏活動が続けられている。サックスの石当あゆみ、ピアノのエリック・プラクス、ベースのザック・スワンソン、ドラムスのジョン・パニカー、それにマルチ・インストルメンタリストのダニエル・カーターが加わった。自然体にして遠慮することのないおもしろさがゆっくりと伝わってくる演奏だからこそ、この続きもまた聴きたくなるというものだ。
続きを読むブライアン・アレンが雑誌、アート、音楽、映像を組み合わせた手作りの作品を出した。かれのことを旅する音楽家と呼ぶだけでは不十分だ。かれの視線や表現が旅そのものなのだ。
続きを読む心的な状況に応じて驚くほど変貌するバンドサウンドの幅広さ、これも「落穂の雨」のおもしろさにちがいない。
続きを読む2019年に鬼籍に入った齋藤徹に捧げられた、大いなる響きの音楽。
続きを読む緻密さとダイナミクスにひたすらに圧倒されるヘンリー・スレッギルのズォイド新作。ややサウンドの音繊維がほぐれ、スレッギルのアルトの魅力を堪能できるものとなっている。
続きを読む音楽魔人・三上寛、即興の巫・神田綾子、邂逅
続きを読むアルフレート・23・ハルトが韓国移住後に崔善培と吹き込んだデュオの希少な演奏が発掘された。ゲッベルス=ハルトの流れを受け継ぐハルト=崔のサウンドである。
続きを読む高木が小杉の音に野心的に近づいた。高木のソプラノサックスが管を共鳴させる息を感じさせる形勢もあるのだが、それ以上に、ヴァイオリンの擦音に憑依し、あるいはエレクトロニクスと化し、高木の並々ならぬ力量をもって小杉の音領域で重なってみせていることは驚きである。
続きを読むリズムやテンポの変化が複雑で目まぐるしく、絶えず体制変更をみごとに行うことを前提とした先鋭的な音空間であり、前作と比べ、先鋭からやや内省へとヴェクトルを転じた。背景には後述するようにコロナ禍があった。
続きを読む師のヘンリー・グライムスがときに恐竜の足踏みのような轟音をもつ剛の者だとすれば、マーク・ルワンドウスキは柔の者である。きめ細かな和音をもつアディソン・フライのピアノ、目が覚める繊細さと速度をもつクッシュ・アバディのドラムスとともに提示されるサウンドはシンプルでありながら複雑な変化やグラデーションがあり、少なからず陶然とさせられてしまう。
続きを読むヴォイスとふたりの電子音による予見できない三者三様の発展と新たな関係、これがすぐれた即興演奏の醍醐味である。
続きを読む台湾のギタリスト・陳穎達(チェン・インダー)、カルテットからトリオへ。サウンドは複層的なものに変貌した。
続きを読む強靭にして互いに異なる4人が共存した、貴重なドキュメントである。金剛督+竹内直『アワー・トライバル・ミュージック』と高木元輝トリオ『LIVE at Airegin』とをつなぐリンクでもある。
続きを読む間合いと響きの可能性をこっそりと拡げる悪巧みのようなサウンド。
続きを読むプログレッシヴ・ロック領域の吉田達也と、アコースティック音にこだわる即興領域の照内央晴との4回目となるデュオ。
続きを読むサックスの石当あゆみ、ギターのフェデリコ・バルドゥッチ、エレクトロニクスのトレイ・クリーガンのトリオにより、気が遠くなるほど大きな宇宙空間に漂い、その音風景が次第に変わっていくようなおもしろさを実現している。
続きを読む生きる伝説的ドラマー・豊住芳三郎へのインタビュー第2弾。おもに1970年代までの音楽活動を中心とした初回に続き、欧米やアジアのインプロヴァイザーたちとの共演などに焦点を当てた。
続きを読む橋本孝之さんの音からは独自でありたいという表現者の矜持が強く感じられた。
続きを読む北海道を拠点に活動する11人編成のビッグバンド「Total Knock Out Orchestra」のファーストアルバム。T.K.O.、すなわち立花泰彦、小山彰太、奥野義典というヴェテランの個性のみならず、中島弘惠、吉田野乃子ら精鋭たちの驚くほどの勢いを体感することができる。
続きを読むこの数年間で登場してきたギタリストの中でも耳目を集めるひとり、ジェシカ・アッカリーによるひさしぶりのソロ作品。それは内省と試行のプロセスを経て、これまでよりも自然な雰囲気をもつものとなった。
続きを読む1986年から2000年まで活動したグループ・フェダインの貴重な再発2枚。『ファースト』には活動初期の「とにかく演る」という臭気と力が漲っている。『ジョイント』は南正人らとのマッチングによる情マシマシの奇怪な雰囲気が聴きものだ。
続きを読む達人ふたりの共演は聴き手にとって饗宴であり、どの料理に注目しようとも、並行世界でまた別の料理が供されている。しかも、いたずらに贅沢でもストイックでもない手仕事のプロセスとして。
続きを読むクリス・ヴィーゼンダンガーのピアノ演奏は指先にも思索のフィルターがはりめぐらされており、凡庸からかけ離れていながら乱暴さのまったくない音に驚かされる。ヴァルネラブルであっても隠そうとせず、それによる豊かなグラデーション、共演者や周辺世界との相互浸透を、大きな個の力として確立しているかみむら泰一のサックスとの例外的なデュオ。
続きを読む2度目の共演で相互のコミュニケーション、強度、多様性を驚くほど増した即興演奏のデュオ。
続きを読むリトアニアのサックス奏者リューダス・モツクーナスが2018年末に来日し、Bitches Brew(横浜市)において4日間連続のライヴを行ったときの記録である。迎える音楽家たちは「日本の最強インプロヴァイザー軍団」との宣伝文句に恥じない面々だった。
続きを読むスウェーデンの教会における大きな響きを友としたピアノソロ演奏。即興演奏だからといって構えることはない。結果としての物語性があり、各章での語りがとても素敵な音楽だ。
続きを読むHTK Trioは福岡を中心に活動を行う武井庸郎、波多江崇行、コーチK(河内和彦)によるトリオである。本盤は、コロナ禍を奇貨として、閉塞感からエネルギーを生みだそうとした録音であるという。たしかにそのエネルギーは演奏中に漲っている。
続きを読む山本達久(ドラムス)と纐纈雅代(アルトサックス)、個性的な演奏者ふたりの初の手合わせ。
続きを読む豊住もグスタフソンも、そのプレイは独自の身体の方法論に基づくものであり、アスリート的なものでも、音楽の職人的なものでもない。本盤を聴くと、ふたりが互いの音に呼応しあうプロセスを追体験することができる。
続きを読む淡々と演奏していながらも底知れないユーモアと機微を含み持つ音楽である。3人とも自然体そのものだ。余計な力など何も感じられなかった。
続きを読む三者とも、そのサウンドを「このような」と一言で説明することができない。それがかれらの音楽性の深さと広さを物語っている。
続きを読む「息のかさなり」の繊細さが、大胆に、遊び心とともに伝わってくる。器楽的なアンサンブル感覚よりも、ここちよい社交空間で信頼する友人とやさしく話しているナチュラルな感覚。
続きを読む旅と開かれた共演とを前提とした即興演奏グループ。底知れない遊びの感覚もばら撒かれており、とても魅力的だ。
続きを読むヴォイスの神田綾子と箏のマクイーン時田深山。ふたりともシンプルなものをコアに置いて表現を拡張しており、デュオの即興演奏がその模索にふさわしい形のひとつだということを示すライヴとなった。
続きを読むまたピーター・エヴァンスが異色作を発表した。変わった編成のカルテットであり、特にトランペットとヴァイオリンとの共存のヴァリエーションは刮目にあたいする。
続きを読む佐々木久枝の墨と花、岡川怜央のエレクトロニクス、矢部優子のピアノが、喫茶茶会記という独特の場において、いちど限りのみごとな世界を創出した。
続きを読む加納美佐子が沈黙のときを経てステージに戻ってきた。
続きを読む時間の魔術師ラス・ロッシングが、良寛と道元の歌をもとに新しい音世界を作り上げた。異色作にして注目作。
続きを読む松丸契のアルトサックス独奏シリーズは場との共犯であり、はからずも観る者を語る者にしてしまう力がある。実に興味深い試みだ。
続きを読むブラジルやオリジナルを取り上げた珠玉のデュオ集。圧倒的な音楽が静かにそこにある。
続きを読む三者が「らしさ」からいったん離れて一音ごとの響きと他との重なりを試してみるプロセス。それは即興演奏の共有空間を手探りし、演奏前には予想できなかった音世界へと発展させるふるまいでもある。
続きを読むフルートという不思議な楽器を通じて、カエターノ・ヴェローゾ、エルメート・パスコアール、ジョアン・ドナート、そしてオリジナルと、ブラジル音楽への愛情が息遣いとともに愉しく伝わってくる。
続きを読む英国ロンドンのマッシモ・マギー(リード)、ドイツ・カッセルのヨシュア・ヴァイツェル(三味線、ギター)、豪州ブリズベンのティム・グリーン(ドラムス)が組んだライヴ録音。1990年前後に生まれた世代による即興シーンの厚みを示すサウンドだ。
続きを読むピアノの藤井郷子とヴァイブの齊藤易子との異色のデュオ。本盤を聴くことは、音や意識の境界領域に身を置く追体験をするということである。
続きを読むコーリー・スマイスがまた刮目すべき作品を発表した。緻密かつ自由な5人のヴォイス・アンサンブルと即興を展開するとともに、自身は鍵盤とエレクトロニクスで演奏に参加している。大きな広がりも有機的な重層性もあり、全体として意思を持つようなサウンドである。
続きを読むアルトサックスの柳川芳命が、かれと同様に東海地方を中心とした音楽活動を展開している5人のギタリストとのデュオ演奏を行った記録。それぞれの個性とともに、柳川のアルトがギターの違いを受けて呼応するありようにも注目すべきだ。
続きを読む既存のカテゴリーに当てはまらない<パーカッショニスト>の高音質ソロアルバム。聴いていると、音への意識のヴェクトルがいつの間にか逆になって、音のほうが自分を視ているような錯覚を抱く。
続きを読むユニークなヴォイス・パフォーマーの神田綾子とヴェテランのリード奏者森順治との即興演奏、デュオならではの相互の呼応。
続きを読むガトー・リブレはひとつひとつの楽器の音が尊重され際立つユニークなグループである。シンプルにして豊饒、淡々としながらも変貌を続ける音世界。
続きを読むハーブ・ロバートソン、デイヴ・バルーというふたりの対照的なトランぺッターは、トム・レイニーの叩き落とすがごときドラミングによるリズム、ドリュー・グレスのベースが創るプラトーの上で遊泳する。
続きを読むこのアルバムは、コンポジションの中に個性的なプレイヤーの出番を与えるという一方向のものだけではない。各プレイヤーの音色を前提とした曲作りを行い、多くの異なる声からなるざわめきに形を与えているという点で、きわめて独創的であるように思える。
続きを読む関東のジャズシーン最注目の3人、永武幹子(ピアノ)、マーティ・ホロベック(ベース)、松丸契(アルトサックス)の邂逅。
続きを読む「存在と生成」というタイトルの通り、多くの者に共有されるジャズ的な音要素を使ったサウンドから、よりシンプルで強靭な音要素をいちから使ったサウンドへの変貌。ジョエル・ロスら若い才能の突出にも注目すべき作品である。
続きを読む音色の連続的な変化をひたすらに追求するトランぺッターのジョー・モフェットがチューバのダン・ペック、パーカッションのカルロ・コスタとともに組んだトリオ。そのサウンドは楽器を演奏する個人の音の足し算にとどまらない。聴く者の内奥空間と現世とをつなぐ橋が現れ、音の断片がそのつど聴く者に個人的なものを幻視させる。
続きを読む箏、能楽の小鼓、ヴァイオリンと、それぞれ異なる音楽的背景をもった三者が即興演奏のギグを行った。しかしそれは奇抜なものではなく、これまでの積み重ねと縁による必然でもあった。
続きを読む追悼・齋藤徹さん。亡くなる直前に、詩人やダンサーとのコラボレーションを模索していた。世界に生きる誰もが<この身体で/身体だけで>旅を続けなければならない。それが世界に向けられた齋藤徹さんの最後のメッセージではなかったかと思っている。
続きを読むマタナ・ロバーツによる「Coin Coin」シリーズの第4作。これまでよりもさらに語りの力を強めた印象深い作品である。記憶は語りなおされ、言葉と音楽とがその都度新たな意味を持って浮上する。
続きを読む追悼・齋藤徹さん。亡くなる直前の鮮烈な演奏。
続きを読むデイヴィッド・マレイが、パワープレイとそれゆえの繊細な音色を身上とするノルウェーの実力者ふたりに突き上げられ、本来のあらあらしさを取り戻している。
続きを読む本公演のコンセプトは、今年他界した齋藤徹(コントラバス)が皆藤千香子に提示したものだ。それは、日本とドイツのアーティスト、ダウン症ダンサーの矢萩竜太郎とともに、「今、ここ、私」を考えながら即興をする、というものであった。
続きを読む台湾のギタリスト・陳穎達によるカルテット作品第三弾、コンセプトはロード・ミュージック。このような良作が架け橋となって、日本と台湾の実力あるミュージシャンの交流がさらに進むことを望む。
続きを読む「Sound of the Mountain」のサウンドをはじめて聴いたときから幻視していたのはマックス・エルンストのフロッタージュだが、それは故なきことではない。上下と前後左右の運動、それによる摩擦と突破、予想できない事件。極めて独自性の高いサウンドである。
続きを読むノイズ/アヴァン系のひときわユニークなミュージシャンたちと共演してきたトム・ブランカートとルイーズ・ダム・エッカート・ジェンセンが旅人のように来日した。いくつもの縁があって、この日、箏の今西紅雪、三味線の田中悠美子との共演が実現した。
続きを読む安らかな心地で聴くことができることは、その刻その刻の音空間を得て柔軟に次の音を繰り出してゆくジャズのスリリングさとは相反しない。一音一音に集中して聴き、音の流れ自体に憑依するならば、高田と安ヵ川のその場限りでの振る舞いを追体験できるだろう。
続きを読む国内外のインプロシーンにおけるヴォイス・パフォーマーは少なくはない。だが、これほどまでに多彩なヴォイスを提示できる者はそうはいないに違いない。それは自身の体躯との対話を突き詰めて得られた世界である。
続きを読む新世代ギタリストのジェシカ・アッカリーが満を持して出した新作は、これまでより躊躇なく独自のリズムを作り出しており、奇妙に構造的なものにもなった。サックスのサラ・マニングの変貌も含めて要注目。
続きを読む日本フリージャズの勃興時から活躍したドラマー/パーカッショニスト、豊住芳三郎(通称サブ)。その活動領域は日本にとどまらない。若き日から世界を旅し、シカゴではAACMと行動を共にし、またヨーロッパ即興シーンの猛者たちと国内外で共演を積み重ねてきている。2019年7月20日、埼玉県の山猫軒において照内央晴(ピアノ)、庄子勝治(アルトサックス)との演奏を行う前に、豊住にインタビューを行った。
続きを読む激して震える声、耐えしのんで絞り出す声、むせび泣き、嗚咽、絶望の吐露、裏返しの喜悦。ベタとも思える歌謡と民謡の通俗的音世界が、カバーを超えてこのようにまで昇華され、一周して再び情念の世界に戻ってきている。とても面白いことではないか。
続きを読むヴォイスの山崎阿弥、笙の石川高、サックスのフローリアン・ヴァルター。はじめての手合わせは、三者おのおのの力量とポテンシャルにより、インプロヴィゼーションというコミュニケーションが様々なかたちとなって表出するものとなった。それは大きな驚きをともなっていた。
続きを読む東京都町田市の和光大学で第9回の「特殊音樂祭」が行われた。すぐには評価が定まらない独自性を掘り下げる共同作業を、大学特有の場の力と化してゆくあり方は刮目にあたいする。
続きを読むシカゴ生まれで現在はニューヨークを拠点に活動する作曲家・サウンドアーティスト・アルトサックス奏者のマタナ・ロバーツ Matana Robertsは、『Coin Coin』と題した音楽作品のシリーズに取り組んでおり、これまでに、チャプター1『Gens De Couleur Libres』(2011年)、チャプター2『Mississippi Moonchile』(2013年)、チャプター3『River Run Thee』(2015年)が発表されてきた。このたび、最新作のチャプター4『Memphis』のリリース(2019年10月)を控えた彼女にインタビューを行った。
続きを読む台湾随一のサックス奏者・謝明諺が、手のパーカッションとしての松本ちはや、足のパーカッションとしてのレオナとのコード楽器抜きのトリオで演奏した。それは単なる音の衝突ではなく、三者の豊かな対話でもあった。
続きを読む齋藤徹は、再び、ことばを中心に据えたプロジェクトを形作った。それは音楽だけではない。同時代の詩人たちが詩を持ち寄り(齋藤の幼馴染であった渡辺洋は故人ゆえ、齋藤が渡辺の詩を選んだ)、松本泰子が歌い、庄﨑隆志が踊る。また詩人たちも朗読などによってテキストだけではないかかわりを持つ。
続きを読む極めて独自性の高い三者のセッションが実現した。即興シーンにおける縁や邂逅の断面のひとつである。
続きを読む普通のソロピアノではない。ピアノ全体が鳴り響いていることに、あらためて驚かされる。鍵盤を叩き、内部の弦をさまざまなやり方で鳴らし、それがピアノというひとつの楽器をしてオーケストラルなサウンド発生器たらしめている。
続きを読むエネルギーの放出、大暴れ、哄笑や皮肉、ダダイスティックな騒乱を美学とするタリバム!が、はじめて日本の伝統楽器との共演に臨んだ。相手は箏の今西紅雪である。そしてセカンドセットに至り、見事な化学反応が起きた。
続きを読む沢井一恵は「書かれていない音」「聴こえない音」を、齋藤徹は「出さなかった音」「効果を剥ぎ取った音」を、音楽にとって重要なものだと言及した。そしてトータル・ミュージックとしての即興が驚くべき強度をもって展開された。
続きを読む60-70年代の映画、市民権運動、幻視的な詩、SF、コミックなどからインスパイアされた即興ラージアンサンブル。コントラバスふたりによる擾乱と浮力、その上空を浮遊するようなヴァイブと4管のうねりが、限りなく拡がる夢を描き出している。
続きを読む鋭角の音と層の音、緊張と快楽。聴く者を幻惑するルォー・ユー・チェンのピアノトリオは、第4作になり、濃淡の人マーク・ターナーを迎え、さらなる化学変化を引き起こした。
続きを読む巨人アンソニー・ブラクストンの知られざる音楽の方法論が、勉強会と公開リハーサルの場において共有された。それは高い演奏技術を要求するとともに、あり余るほどの自由を提示もする、極めて魅力的なものだった。
続きを読む異形の波動ギターのアーロン・ネイムンワース、サウンドの構造を都度作り上げるピアノのエリック・プラクス、バスドラムによってボディブローを放ち続けるジョン・パニカー、泥の匂いを漂わせ精力的にサウンドを浮揚させるショーン・コンリー。この快楽物質分泌は、まるでブルックリンに瞬間移動するがごときものだ。
続きを読む突然変異のようでありながらも、薩摩琵琶とトランペットとが衝突し、溶け合い、実に独特な音世界を創出しているアルバムだ。一貫して、与之乃の強い念や気と、発酵にまでいたっている田村夏樹の技が強い印象を残す。
続きを読む伝統の継承と、驚くほどにパワフルな革新。本盤を聴くと、「テナー・タイタン」の称号はJBLことジェームス・ブランドン・ルイスにこそ与えられるべきではないかと思わせられてしまう。そしてジェイミー・ブランチ。間違いなくかれらの時代である。
続きを読む渋谷毅の、包み込むような、余裕をもってノンシャランとした呼吸のピアノ。それに対して、気持ちよく別の音色で並走する廣木光一のギターは、清冽な湧き水のようだ。何気なさを装いつつも、圧倒的に強靭な音を出すふたりのデュオである。
続きを読むバール・フィリップスが、「サイクルの最後」に位置付けるものとして、最後のソロベース・アルバムを吹き込んだ。バール・フィリップスという人の気配が、消しようもなく、本盤全体に充満している。
続きを読む即興とジャズ、創出と曲、それらの意味を問う一期一会。
続きを読む初来日のマタナ・ロバーツが、1回かぎりのステージで、圧巻のアルトソロを披露した。そのブロウには血や情や泥が溢れんばかりに詰まっていた。
続きを読む一噌幸弘がふたつのセシル・テイラー追悼作を出した。それらは、同じ時代と場所を共有した者として、一噌自身が現在のフリージャズを鮮烈に提示した作品となっている。
続きを読む東京で活動する即興音楽家6人が倉庫のようなギャラリーに集まり、ソロパフォーマンスと共演を行った。また、終了後にはトークセッションが開かれ、「即興」という極めて曖昧なテーマを巡り、多くの発言がなされた。現段階で腑に落ちるような明快な共有解はないだろう。方法論や意識のあり方への議論そのものが、各演奏者への新たなフィードバックとなれば、それはまた愉快なことだ。
続きを読むBitches Brewにおけるリューダス・モツクーナスのレジデンシー最終日。イソギンチャクのように多方面に触手を伸ばす梅津、重量を維持しながら連続と断絶とを繰り返すモツクーナス、幅広さと重層的な響きとをもって音のコミュニケーションの形を作る大友。あるいは、大友のポルタメント、梅津のフレージング、モツクーナスの大きな慣性。三者それぞれの個性が展開された。
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