#2362『如意ン棒 /ぜんぶ、流れ星のせい』
テクニック至上ではなく、いやテクニックを超えて吹ききる、咆哮する、纐纈之サックスは情念。
続きを読むJazz and Far Beyond
テクニック至上ではなく、いやテクニックを超えて吹ききる、咆哮する、纐纈之サックスは情念。
続きを読む試合と演劇の中間にある「オルタナティヴ・ロック」。
続きを読む彼ら偉大なるアマチュアの活躍こそ、地方都市でジャズというマイナー音楽を一般に知らしめ、世界的なミュージシャンに新天地を提供したのである。
続きを読む近年、来訪者と情報が増加しているミャンマーの文化的側面を、耳から知ることをおすすめしたい。
続きを読む貴方は四人の聖者による福音を、今ここに三人の師によって伝えられた。貴方はもう家族だ。
続きを読む彼は演奏家以上に、座長たらんとしたのではないか。それがボローニャのライブステージで上演された。50分のオペレッタ〜演劇になったと考える。
続きを読むジャズもブラスも分からなかった。
続きを読む水音とピアノと電子音のミクスチュア〜反応が未詳な実験であるのか、人新世の前衛達なのか。
続きを読む唯一無二のマルチ・アーティスト、金大煥をメインとした三十年前のパフォーマンスの未発表録音のCD化
続きを読む正直言って、どの頁にも引用したい文がある。それだけこの書には悠さんの、批評と、それ以上に思想が凝縮されている。
続きを読むテリー・ライリーの音楽は、完結しない世界なのか、永遠の安寧としての涅槃なのか。
続きを読む邦楽がその領域を形成する求心力と遠心力の均衡を崩し、また取り戻していくためには、齋藤(徹)のような横断的音楽家の存在が不可欠であろうと思うのである。
続きを読むホンジンガーはあくまでチェロ一本(時に弓は二本)にこだわった。その集中力は偏執狂的というべきものだった。
続きを読む和太鼓演奏は根本が保守的であり、それ以外である必要はない。
続きを読むその響きは、現代社会と同じく、いや人類の歴史と同じく、調性とノイズのせめぎ合いである。
続きを読むしかしここで天才が現れる。箏奏者、作曲家の宮城道雄(1894〜1956)である。宮城こそは箏曲のモリコーネとも言える存在だ。
続きを読むブレッツマンは、フリージャズをフリーミュージックと書き換えて世界に布教した
続きを読む1997年に日本で刊行された限定200部のディスコグラフィー。
続きを読む坂本龍一23歳の<環螺旋体>設営と「学習団」からのアピール
続きを読むここには決定的に欠けているものがある。それはまさに「ウタ」であった。
続きを読むジミヘンがいきなり世界中からロックスターとして注目されたのと対照的に、タジはひたすらブルースを追求し、その中で革新を試みた。
続きを読むアドリブを記憶するほど聴き、ぼろぼろになって買いなおしたのはこれくらいです。
続きを読む河崎の求めるのは仮構の共同体、幻想の部族であろう。それは上演であり作品ではないのだ。
続きを読むこの一書がそのままユーラシア文芸手引書なのだ。
続きを読む河崎の旅はユーラシア各地の巫を求め歩く旅であるともいえる。
続きを読む元々曲ごとの構造性を明確にするのがガリオの特徴だったが、その傾向はこのヴァーサタイルなトリオで顕著になった。
続きを読むなんだかライブの印象が壊れそうで、私は松本の尋常ならざる執念の作品『無常』を買わなかった。
続きを読むこのCDの演奏の印象をもし一言でというなら、まさに朝焼けの空にたびく雲の静けさかもしれない。
続きを読むサブ豊住。パワーもテクニックも若いときを凌駕している。つまりこの人はまだ発展途上なのだ。
続きを読むアイヘンベルガーとガリオは、ユニゾンに歩み寄りながら、着かず離れずの距離で、束縛された即興を楽しんでいる。
続きを読む『アルケウス』が齎(もたら)す、誰も見なかった、そして誰もが見る夢の残像は、しかしまた私の物語になりきれず、虚空に消えて行く。
続きを読む池田の音と画像は別物なのだ。我々はその関係を誤読する、誤解する。それが池田の手法である。
続きを読むもしかつて宗教芸術が、神を描いたり、宇宙の仕組みを解いたりしていたのだとすれば、池田の方法論”datamatics”はまさにそれを引き継いでいるのではないか。
続きを読むここにはCON TONたるスープ「フリージャズ」がある。フリーであり、ジャズであること。それが騒乱武士の矜持だ。
続きを読む河崎の夢「ユーラシアン・オペラ」とは、失われたグラン・レシ=大いなる物語の断章を拾い集める作業ではないのか。とすればそれに接するものは、自分でその物語を想像することが許されるだろう。河崎純は我が夢の導き手である。
続きを読むとにかくトリオの新しい試みは、スウィンギーな細密画のような印象だ。それは例えば「オルタナティヴ・ロック」を彷彿とさせる。
続きを読むMORGUEのUは2号ではユートピアではなく、アンダーグラウンドに変更されている。彼が垣間みたフリーミュージックの向こうには、地下の死体置き場があったのだろうか。
続きを読む縄文、弥生、旧石器時代への憧憬、いや回帰を宿命とする音楽家土取利行は、 その故郷讃岐でサヌカイトに出会う。
続きを読むフランソワはいつもリアルタイムのアタック、強度、速度を追求している。これが音楽を牽引している。
続きを読むアンサンブルで演奏するよりソロ多重録音のほうが、このミュージシャンの資質を良く映し出していると感じる。
続きを読むそして私は、英語というフィルターを通す事で、意味と文脈を回避し、海原純子の「声の肌理」だけを味わっていた。
続きを読む私は、本アルバムにおいて、ドラムのパワーとビート感の専制としての「魔」を有する<日本のジャズ>が頂点を極めたことを確認した。
続きを読むしかしリックは64にして無伴奏ソロを完成した。貴方はまだ登り続けるのか。
続きを読むしかし、それでもなおブラクストンの諸作品が歴史的に残る理由はと言えば、その非歴史性、ジャズの伝承を超克する故だろう。
続きを読むこれら全て「自宅の超狭い防音室で」録音した巣ごもり、手作りの、多重録音無しの即興演奏である。世界を股にかけて演奏して歩くトランぺッターが、世界の圧力によって軟禁されたとき、其の表現力は圧縮されてかくなる形をとった。
続きを読む流麗、枯淡ともいえる過不足ない音の美にしばし酔った。(中略)日本の無伴奏サックスは「仮名文字の音楽」であると。
続きを読むえ、なんだかんだと牽強付会したところで、つまりはフリージャズだろうって。そうだ、これこそ「真性のフリージャズ、ニュー・シング、新しきもの」だ。
続きを読むしばらくは、この三者の相互反応がいかに発生するかを観察するつもりで構えていた。 しかし時間が経過しても、何かそれ以上の変容が起きる気配はなかった。
続きを読むしかし、(高柳が)井野や菊地と過ごす時間は、もはや直接行動あるのみという覚悟を裡に秘め、陰腹を切ってステージに上がり、さあ丁々発止の即興妙技をお聞かせしようというほどの和やかささえ感じる。
続きを読むペレルマンも、マルツァンとのデュオでは、かなり微分音を意識して演奏している。が、ジョー・マネリの軟体動物、蠕動の如きフレージングではなく、やはり彼らしい勢いのある水流が迸る。
続きを読む自らの死を予期しながら、若き日の思いで、ユーモアも交え、そして「ジャズをレコードで聴く」という事を一つの道、戦い、創造的手段として選んだ人がいたという事実を強く感じ、老いた青年の僕はこの書を閉じた。
続きを読む若く、ナイーヴな近藤等則がここにいる。71歳の老水夫のなかに、即興演奏の大海に漕ぎだしたばかりの若者がいた。さようなら。いやボンヴォヤージュ。
続きを読む阿部のソロは、やはりジャズのスタンダードを、そして日本の歌謡曲や古い歌をモチーフにして展開した。その意味では全くテーマの無いフリー・インプロヴィゼーションであるより、フリージャズの伝統に根ざしていると言っても良い。
続きを読むしかしむしろこれはジャズ的な問題を一切排したところに成立した日本、アメリカ、マレーシアのハイブリッドな音楽であり、そのテーマは、まさに「変化して行く未来」に期待するべきだろう。
続きを読む高円寺百景のキーボード奏者としても活躍する矢吹卓が、自らのプロジェクトとして世界中から30名以上の手だれを集め、梁山泊さながらの世界を作った。実に華麗、壮麗、絢爛である。
続きを読むしかし、モリコーネの音楽だけは、映画という物語性を伴う視覚メディアのお陰もあって、真に大衆の中に息づいているのは疑いない。これまでも、そしてこれからも。モリコーネが再来する事はないだろう。
続きを読むそれだけならまだしもジェネシス・P-オーリッジは、性転換してしまったのだ。それを非難するつもりは無い。僕だって時々オンナだったらなと思う事がある。
続きを読むDEDICATED TO YOU, BUT YOU WEREN’T LISTENING…(1971) だって?とんでもない!僕はいつでも君を聴いていたんだ!
続きを読むこの音楽は、その地の精霊とフリージャズのホーリーゴースト(聖霊)が共に歌い上げる声なのだ。東南アジアだからこそ生まれた新生フリージャズに栄えあれ!
続きを読む我々はかくもウィルスの影響を被っている。そしてその負債をなんとかするために郵便的なるもの〜ポスタルな方法(デリバリーのロジスティクス)も考えている。
続きを読む私は、焼け野原となった地に芽吹くものを聴くだろう。それがどんな音楽なのか。育ててみないと、花が咲かないとわからない。
続きを読むもう一度心理的深淵の周縁、「終着の浜辺」に打ち寄せる、誰も知らない郷愁を誘うレクイエムに聴こえてくる。
続きを読むさて、そんな些末な事はさておき「圧倒的」という言葉を、いざ使うのはこんな音楽に接した時だろうか。
続きを読むエヴァンとリットンがロンドンで1969年に邂逅して半世紀、シカゴで2019年に録音されたのが今回リリースされたアルバムだ。
続きを読むだから定型リズムでソロアルバムを創るというのは相当にユニークだ。
続きを読むこの音の決して鈍らない強度、そして延々持続する意志の燃焼。これは他でもないサム・リヴァースという「妥協しなかった男」「最後の硬派」の、今我々が接し得る全てではないのか
続きを読むエヴァンのサウンドは30年前に比較すれば、油のよく乗った歯車がゆっくりと回転しているような、滑らかな時計のメカニズムを感じさせるのであった。
続きを読むサブ(豊住芳三郎)とカントリーマンは、フィリピンで「ジャズの十月革命」を起こすだろうか。
続きを読むECMは想像力のこのうえない触媒である。ECMの音楽は空と海の間、消失点から響いてくる。
「フリー・アット・ラスト」。我々は、聴く自由によって解放される。
耳から映像が入ってくる。目から音楽が入ってくる。それが私のECMだ。
続きを読む今回上梓された『増補改訂版ECMカタログ』を手にすることは、私が食べて育ってきた料理のメニューを懐かしく眺めるような気持ちである。
続きを読むデレク・ベイリーは、少なくとも自らの即興演奏のイディオムを、ブルーズ、ブルーノートから脱却させた。同時にクリシェとしてギターサウンドを変更した。
続きを読むこの快感、耽溺を肯定する事は危険だ。この音楽に拝跪してはならない。私はこの音楽の強度に立ち向かわなければならない。それが真にこの音楽を聴く事だ。
続きを読む片山広明を愛する立花秀輝が、生前彼に提供した曲「酒屋が閉まる前に」がアルバムタイトルにされている。片山へのレクイエムなのだろうか。
続きを読む「この旅に終わりは無い」というロマンに対して私は言おう、「演奏を終わらせる意志、それが音楽である」。
続きを読むただ、そのローカリティの底を突き抜けて、グローバルというべきか、ヒトという構造の、精神という機能の共有領域まで連れて行ってくれる「こえ」なのだ。
続きを読むもし比較してみるなら、ボーカルの代わりにサックスがいると言ってもいいだろう。私はプラスティック・ドッグズをメタルバンドとして認識してしまいそうだ。
続きを読むまずはこのディエゴとエディクソンを発見しただけでも、ある意味、生でホリガーを聴いた以上の甲斐があったというものだ。
続きを読むベイリーはヴェーベルンを研究し、自らの語法とサウンドを確立した頃、それを確認するかのように幾つかのソロを録音した。それらは決して冗長なものではなく、曲ごとの意識の違う短い演奏を編集したものだった。
続きを読む低音弦楽器のデュオだけでも十分なところに、敢えて早川の渋い歌声が、ブルーズのような、
続きを読む演奏は終わった。しばしの沈黙、そして会場は大喝采。こんなオルガンの響きを誰も聴いた事が無かった。
続きを読む作曲者の死後も存在し続ける楽曲と、演奏者の消滅とともに消え去る即興。しかし、その両者の目指すところは永遠性として合致していた。両者の合間にデレク・ベイリーはいた。
続きを読むしかしはやり「鎌鼬」(かまいたち)だ。あの写真集の迫力に<騒乱武士>はどこまで迫れたのか。
続きを読むデレク・ベイリーは、西欧音楽の理念的発展と、抑制しがたい即興性の葛藤の間に出現し、その「引き裂かれた音楽」を他の誰よりもそれを如実に示している。
続きを読む温故知新などと言う前に、今、この二枚を聴け。いや、そんじょそこらの「なんちゃってフリー」ではない。二十世紀後半の波濤をかいくぐり、さらに自らの船を繰り出す2人の船長の声を。
続きを読むエヴァンはこのアルバムを深夜に、小さく再生し、睡眠中に聴くよう促している。残念ながらこのライヴ録音時の聴衆は謹聴し続けていたようであるが。少なくとも鼾は聞こえない。
続きを読むいずれ、受精後40年、大抵の事は演奏自体で出来る自信があると自負するバンドに成長したヒカシューは、極めて正気の沙汰のまま変態を達成した。
続きを読む貴方は一本の古木とも共演できる人でした。
続きを読むベイリーは、「曲」がほんの数小節まで凝縮されてよいのなら、即興演奏もまたそうあっていい筈だと思ったのではないか。
続きを読む彼はどこにも帰属すべき場所やレーベルを残さないし作らないのである。作品においては凝縮し、存在においては拡散する、それが彼のスタイルであろうか。
続きを読む貴方が聴くのは、フレッド・フリスが十年かけて作曲し、自ら指揮した三楽章からなる3時間半の即興的狂詩曲
続きを読む力技ではない。あたかも棋士の対決を見るように、互いの意思を図るべくサックスとドラムは感応する。
続きを読むアイラーはつぶやいた。「いま、俺が...ゴーストだ」
続きを読むリューダスは己自身の中で管楽器の演奏の「進化」と「根源」を同時に見せてくれる。これは音で聴く50分弱の生命史か?
続きを読む小杉は、アノニマスな音が良いのだという。だから求心性を否定して、多面性のある音を選択する。
続きを読むコルトレーンは最高のサックス奏者だ。だから、アイラーがサックス奏者以上の何かであるのをわかった。彼は今猛烈にそれを嫉妬している。
続きを読む「ジョン・コルトレーンだ。よろしく」。相手は、それが誰だか分かると、さっと立ち上がり手を差し出した。「アルバート・アイラーです。お目にかかれて光栄です」。
続きを読むこれは小杉武久という流動体を凍結し、切片を切り出し、その断面を仔細に観察してみる試みである。
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