Jazz and Far Beyond
実姉の橋本一子、義兄の藤本敦夫の全面的協力を得た新作『風のささやき』
琵琶の硬軟さまざまな音やパーカッションの濃淡(韓国伝統音楽ふうにいえば長短が成り立っている)による複層的な音空間。そこには安寧の強さも対話の愉しさもある。
アートや音楽は抵抗の一種だと僕は信じています。
6/29のコンサート「Jazz Legend 瀬川昌久さん 生誕100年コンサート」の基本的には企画者の一人です。
1992年福岡県出身。2015年バークリー音楽大学卒業。現在はニューヨークを拠点にして演奏活動を展開するほか、現地のミュージシャンを日本に招聘してツアーを開催するなど、日本とアメリカを股に掛けて活躍する若手ドラマーの森智大。3rdアルバム『Prana』を発表したばかりの彼にインタヴューを試みた。
私の役割は、楽器の演奏者というよりも作曲家だと思っています。ECMのレコーディングに必要とされる重要な資質は、エゴが全く無いという事です。
フランコ・ダンドレア、ブルーノ・トマゾ、アンジェロ・マストロナルディ・インタヴュー
奇跡のリイシュー『Modern Art Trio』について語る
武本和大・インタヴュー:ピアノ・トリオ+ストリング・クァルテット+パーカッションによる新プロジェクト”Departure”に懸ける情熱
音楽は、感受性の高い人には人生を変えるほどの力がある。
大阪市の音楽教室’Ten-On’での「パーキンソン病応援ライブ」には、闘病中だったサックス奏者、赤松二郎氏が参加していた…今回は仲田夫妻インタビュー(後半)の前に、石井彰氏からの応援メッセージを掲載。
大阪音楽大学でクラシック、ジャズ教育に深く携わった赤松二郎氏がTen-On(大阪市旭区)の主催する「パーキンソン応援ライブ」に出演するようになった経緯を、Ten-Onのオーナー、仲田哲也、仲田奈緒子の二人に訊く~(インタビュー前半)
2015年に、カンザス・シティ出身のトランペット・プレイヤーのハーモン・メハリが日本に初来日し、このコラムで初めて日本のジャズファンに紹介した。メハリはその後、パリを拠点にしてヨーロッパで演奏活動をし、彼自身のスタイルを確立しつつある。今年、2023年11月に8年ぶりに日本に訪れたメハリへのインタビュー。
音楽はテクニックでもないし、複雑なことでもない。人生のようなものなんだ。人生を語るものだ。どのように感じたか。何が出来るか。演奏する時に悲しい気持ちならば、そう伝わる。
あと2、3年経って、自分たちの音楽が世の中にパッケージングされる時に「オルタナティヴ・ロックです」「ニュー・ジャズです」という風に評価されたら、それでいいかな。
ジャズ・ピアニストRINAが語るフラワーアーティスト曽我部翔とのコラボレーション
限られた財源の中で、私たちは真に心に響くセッションだけにこだわっています。
「行き過ぎることを恐れない」という地下音楽の精神を現在これほどまで体現している人間は佐伯武昇の他にはいないだろう。なぜ彼はそんな表現行為をするに至ったのか、そしてこれからどこへ行こうとしているのか?その秘密を探るべく本邦初のインタビューを敢行した。
第一次世界大戦を経て19世紀的な価値観への懐疑から来る転換期に、ジャズという革新的な音楽が彼ら(フランスの知識階級)にもたらしたものは測りがたいものでした
レジェンドといわれる存在でありながら、その物腰はどこまでもやわらかく自然体。これからの時代における「いい音楽」とは?その探求は止むことを知らない。
ケネス・ダール・クヌーセン 新プロジェクトKemaka Kineticsと最新作『Zunkuft』について語る
ダブリン在住のピアニスト木村泉が、7月にジェリー・ヘミングウェイとの新作『Kairos』 (Fundacja Słuchaj) をリリースした。木村に即興演奏との出会いや現在の活動などについて話を聞いた。
「Hot House」は、平岡正明が「地下鉄東西線の南行徳と行徳のちょうど中間、埋立地の道路横に一軒だけ、ルート66沿いのモーテルでもはめこんだようなネオンが出ているところが、郷間和緒・松井節子のホームグラウンドだ」と評した、千葉県のジャズ磁場だ。松井節子は、開店以来ここでピアノを弾き続けてきた。
『Utsunomia MIX』の制作を進める中「これはアートの革命である」と熱いものがこみ上げてきて、今もその火は燃え続けています。
僕はロンドンの秘密で非合法の文化大使なんだ。これまでに多くのことを成し遂げ、今もなお多くのことを行い、保管庫/桶/棺桶/カタコンベから引っ張り出している。まだまだ続けるよ。
ポーランド・ジャズを世界に紹介するとともに、各国のジャズ・ミュージシャンをポーランドに招き、ジャズの世界的な展開を目指すレーベル JAZZ PO POLSKU の理念を語るヤクブ・クシェショフスキ
グラディス・ナイトのツアーバンドを18年務める鍵盤奏者、Yuko Tamura (田村裕子)さんはアレサ・フランクリンやグーグーシュのツアーバンドでも活躍していた。スティービー・ワンダーやエルトン・ジョンとも共演したり、あちらこちらで引っ張り凧だ。彼女の演奏をひと言で表現するなら、「クラッシック音楽で鍛えたタッチとゴリゴリのグルーヴを掛け合わせた貴重な存在」といったところだと思う。本番前に会場近くの公園で色々話を聞かせて頂いた。
タツ青木は、シカゴ在住のベーシストであり三味線奏者でもある。フリーマン・ファミリー、フレッド・アンダーソン、AACMのミュージシャンたちとの出会いと共演、NYや東京とは異なるシカゴ・シーンの特徴、さらには新世代ミュージシャンたちについて語った。
他者との関係の中にしか自分はない、そしてそれは交流=交換でもある。
ポーランドのピアニスト、マテウシュ・ガヴェンダが、2017年にポーランド最高権威の音楽賞FREDERYKI賞にノミネートされた自己のトリオを率いて日本にやって来る。初来日直前のガヴェンダにインタヴューを試みた。
ジャズにはクラブの雰囲気があっているような気がする。
これから先、世界に誇れる日本独自の「ジャズ文化」をどうやって保護・継承するのか、行政をどうやって巻き込むことができるかも課題です。
瞬間に生きる即興演奏家の気迫が生々しく伝わり、“行き過ぎることを恐れない”地下音楽の本質を実感できる、まさに体験する即興ライブ・サウンド・ドキュメンタリー。テレビやパソコン画面ではなく、映画のスクリーンで観てこそリアルな体験ができるはずだ。
2003年3月、崔善培(チェ・ソンベ)が再来日した。韓国フリージャズの創始者のひとりである。
ハフナーが語るアルバム『Silent World』に込められたポジティヴな感情
日本人は、世界共通で使える製品を作っているような気がするね。修理もできるし、それほど難解でもない。
2000年に行われたECMギタリスト、ジョン・アバークロンビ~のインタヴュー Part 1。
私自身の中ではっきりとした作品のイメージがあり、これだけのラインアップで面白くないわけはないという確信はありました。
リスナーのソウルとスピリットを感動させる音楽を制作したい。
このトリオの最大の魅力はみんながありのままの自分を出せる点。私のフレイズをきっかけに演奏が発展することもありますし、音を出す前にそれを察知されて先に突っ込まれることもあり、楽器で会話をしている感じ。ライヴをするたびにどんどん高いゾーンに昇っていくような手応えを感じています。
MMBトリオ:モツクーナス=ミカルケナス=ベレ・トリオとして9/30から10/07まで東京と近郊を巡演。
今までお世話になったこの音楽コミュニティーの特に女性のアーティストたちを少しでもサポートできたらとは願ってます。
ニルス・ヴォグラム「MUSE」が昨年発表したアルバム『Nils Wogram MUSE』(Nwog Records)がドイツジャズ賞 Deutscher Jazzpreisesインストゥルメンタル・アルバム部門で受賞した。ちょうどいい機会なので「MUSE」を含む彼の最近の活動について尋ねてみることにした。
僕はレコーディングを写真と同じように考えている。写真のように、その日その時のスタジオのムードとかを、鮮やかに切り取りたいんだ。
どうしてそうなったかわからないけれど、結果面白ければ、いい音楽であれば、いいんじゃないかな。
マルチリード奏者・松風鉱一(1948年、静岡市生まれ)。現在は自身のカルテット、渋谷毅オーケストラ、エッセンシャル・エリントン、サックス・ワークショップ、今村祐司グループなどで活動している。あまりにも独創的なサウンドの魅力は昔もいまもまったく色あせていない。
ゾウ・アンバ(Zoh Amba)は2000年4月27日、アメリカ・テネシー州の生まれ。昨年(2021年)の9月にニューヨークに越してきて活動を開始し、大きな話題になっている。
自分のバンドはチェットの音楽を「追求する」というよりむしろ「楽しみながら発見して自分も進化する…」という表現があっているかもしれません。
私は彼の遺産を支援することに興味があり、そのために本を書き、ビルの膨大な作品群から直接インスピレーションを受けて新鮮な新しい作品を創作している人たちをネットワークし、支援し続けているのです。
ジャズの発祥はアメリカですが、これからは日本のジャズの音空間を作り続け、日本から世界に発信したいと思います。
生きることでも、音楽においてでも、根源とは何かということを常に探し求めることです。探究心がなくなれば全てが停止してしまいます。そのためにはやはり旅が必要になってきます。
最大の贈り物は、彼の死に立ち会えたこと、そしてそれを若くして見ることができたことです。精神的な面で、私にとってポジティブな経験でした。
ザ・ドーフを設立し運営しているのは私ですが、このバンドは私自身ではありません。村、家族、コミュニティ、シーンを作ろうとする試みであり、バンドですらなく、現在進行形のプロセスなのです。
僕らにとってコルトレーンの音楽、とくにアルバム『クレッセント』は慰めと癒しの効果があったんだ。おそらくこの効果は音楽が持つ人間にとってのいちばん大切な効果だと思う
ビルがどれほど普通の男だったかを知る人は少ないですね。彼は競馬場に出かけて、馬に賭けるのが好きだったんです。
「みつばちマーヤの大冒険」での成功から、ジャズと文楽のコラボレーションが閃いた。
左上下肢麻痺のリハビリを兼ねた「ハコ」通いの本誌レポートが2年強で200回を超えた。呑んで、聴いて、交わってさあ、これからもLive after Live。
彼の芸術の美しさと、依存症や身体的な状態の醜(みにく)さを切り離すことはできませんでした。それらは同じものであり、互いに影響し合っているのです。
様々な土地やシチュエーションで演奏することで、それぞれの息を感知し、それ自体がわたくし自身の息(呼吸)になる=命である.。
今、自分に出来ることは人々を勇気づける、あるいは疲弊した心を癒せる音楽を作りだすことだと思いました。
好きな歌がたくさんあって、誰かが歌い継いでいかないと、という気持ね。
彼はひどく病んでいたのです。音楽が彼を支えていました。私が何かを足しても、彼が音楽から受けるエネルギーにはかなわなかったのです。
師のヘンリー・グライムスがときに恐竜の足踏みのような轟音をもつ剛の者だとすれば、マーク・ルワンドウスキは柔の者である。きめ細かな和音をもつアディソン・フライのピアノ、目が覚める繊細さと速度をもつクッシュ・アバディのドラムスとともに提示されるサウンドはシンプルでありながら複雑な変化やグラデーションがあり、少なからず陶然とさせられてしまう。
彼は、私に対する気持ちをとても率直に伝えてくれて、彼が私と一緒になることが重要だと感じている、というものでした
「チューニングは人類の歴史です」とノエルは言った。音を出すための営み、その時間は一瞬の中にある、という事実。
大好きなTheo Crokerの新譜が発表された。期待通りのご機嫌なグルーヴと惚れ惚れする彼の音色に加え、新しいアイデア満載だ。また彼のアイデアを実行できるバンドメンバーにも感嘆。通常の楽曲解説とは趣向を変え、インタビューも交えて全曲解説を試みた。
私は歌手というより音楽を通してメッセンジャーとして活動していると思っているので、医療から得たり感じたりしたことを医療の中だけで伝えることが出来ないから、寓話的に音楽とコラボする活動をしています
生きる伝説的ドラマー・豊住芳三郎へのインタビュー第2弾。おもに1970年代までの音楽活動を中心とした初回に続き、欧米やアジアのインプロヴァイザーたちとの共演などに焦点を当てた。
私達はミュージシャンですが、同時にサッチモとジャズの黄金時代に憧れジャズの故郷を体験した、ある意味生き証人、だと思います。
今から思えば、結果的にあのテーマ曲「Merry Christmas Mr. Lawrence」を含むサントラ全てが作曲される現場に、僕24歳のフリーランス録音エンジニアとして参加していました。
機が熟すのを待って制作した12年ぶりのソロ・アルバム。ichiko ワールドが全開。
アンサンブルが難しい2本のフルートでありながら、こんなに二人のスタイルが違うのに、なんの苦労もなく合ってしまうという相性に何か見えない力で引き合わされているという感が強いです。
ステイ・ホーム中のファンにナマの臨場感を味わっていただこうとクラブ・ライヴを編集無しでCD化しました。
ぼくのバンド The Marvel (ザ・マーヴェル)が誕生したこと自体が Marvel(奇跡)なんだ。
楽曲ありきで音楽をしているので、ギターのサウンドが必要であれば入れるし、とくに要らなければ無理には入れないようにしてます。
多くの人々の前で演奏するのではなく、限りなくインティメイトな関係性の中で、音を放つことができれば。
自分にとって自然に表現できる完全即興のソロで演奏したいという気持が強くなったので、ソロで演奏を再開し、アルバムも作りました。
関根みちこMichiko Sekine
<リターン・トゥ・フォーエヴァー>は、グループという一つの集合体で音楽を創るというのが、一つの根本的な概念なんだ。
ジャズ・ファンに考えてもらいたいことは、ジャズを、黒いとか白いとか黄色いとか、黒人とか白人とか黄色人種とかによって、なぜ分類されなけれぱならないのかということです。
サックス奏者、ヴィジュアルアーティストのサラ・ヒューズ。彼女は、2019年の終わりに2枚目のリーダー作『The Drag』をリリースしたあと、サウンドの新領域を実験し、探求し続けている。
大きな社会環境の変化が、次々と起こる時代だからこそ、アートの力が、ますます重要になってくると確信しています。既成の価値観や意識を変革することで人を救うことが、アートや文化の大きな役割だと考えるからです。ですので、ドットエスの表現活動を通じて、少しでも世の中に良い影響を与えてゆければと思います。(橋本孝之)
日本のミュージシャンと共演して世界に通用するミュージシャンが多いことを知りました。
マリア・シュナイダー・オーケストラの5年ぶりのニュー・アルバムとなった『Data Lords』は、”The Digital World”と”Our Natural World”で、陰陽を描く2枚組の大作となった。来年度のグラミー賞ラージ・ジャズ・アンサンブル部門の最有力候補である本作を、マリア・シュナイダー自らが熱く語る。レコーディング直前の、NY大でのリハーサルの写真を公開。
アルバム『アニヴァーサリー』のバンドメンバーで日本をはじめヨーロッパや北米、南 米など世界中をツアーで回ることが夢です。
即興演奏家の個性というものは、例えるなら“聴く”という共通・共有な土壌の上に咲いた花だ。その花には色々な種類、色、香りなどあるけど育っている土壌は変わらない。
南アフリカ共和国・ケープタウン市を拠点とするアナーキスト・ヒップホップの集団サウンズ・オブ・ザ・サウス(Soundz of the South、SoS)へのインタビュー。SoSは国際的に活動しているが、アフリカ大陸内での組織化にあたっては、アフリカン・ヒップホップ・キャラバンの原動力としても特に関与してきた。
最新チャーリー・パーカー評伝、チャック・へディックス著『バード:チャーリー・パーカーの人生と音楽』の邦訳に携わった翻訳者、川嶋文丸氏へのインタビュー。
Modern World Symphonyでは、ジャズであったり、プログレッシブロック、フュージョンといったジャンルの枠には囚われない形で自分の音楽を表現したいと思っています
フリーランスのミュージシャンという職業があるということを知らない役所の方がいっぱいいるらしいです。フリーランスとフリーターの区別がつかないらしくて、まずは就職活動してくださいと。
この状況で4月半ばにはフェスを決行する決断をし、そしてそれを実現したディレクター、フェスチームに脱帽です。なかなかできることではないし、ミュージシャンとして彼らから勇気をもらえました。
ミュージシャン、スタジオ、リスナーの絆が強まっていけばいいなあ。そうすれば、ジャズがすたれることもないだろう。
「私のアプローチは純粋な即興と楽曲の中間にあります。楽曲は必要だと思っていますが、それを完成に近づければ近付けるほど瑞々しい魅力が失われると思っているので、その境界線を探しています。」
だからといって、ジャズをブラック・ビープル以外の人間がやってはいけないという理由にはなりません。この音楽はインターナショナルなものですよ。
音楽活動を続けることに残りの人生を費やしたい。
路上生活者によるダンスカンパニー「新人Hソケリッサ!」のドキュメンタリー映画がこの3月に公開される。主宰でありダンサー/振付家のアオキ裕キに、ソケリッサ!立ち上げまでの道のりについて聞いた。
スケジュールを組んで練習に取り組んだことは一度もないよ。教則本やメソッド類に取り組んだこともない。
ロサンゼルスを拠点とするアルトサックス奏者パトリック・シロイシ。彼は独特極まりないサウンドを創出するとともに、日系アメリカ人の収容所に抑留された祖父母の歴史を音楽を通じて辿ってもいる。
僕の夢は今まで以上により意義ある音楽を創り続けて、世界にポジティブな貢献をしていくことだ。
パーカッショニストのフリン・ヴァン・ヘメンへのインタビュー。彼はニューヨークに2007年に来て以来たくさんのことに関わってきた。リーダー作としては、2016年に『Drums of Days』、そしてこの9月に『Casting Spells & the Coves』をNeither/Nor Recordsからリリースしている。
いくらバッシングされようとまた音楽をスタートさせようとしたのが(復活の)きっかけといえばきっかけです。
ここ15年は本当に人生のすべてを絵と音楽に捧げてきたと言っても過言ではないと思う
初めて自分の音に触れたっていうか。日本では分からなかった感覚を感じられたということがこの旅の最大の収穫でしたね。
声が弱くなるかもしれませんが、しかし、歌心はなくならないでしょうからそれを持ってありのままの私を表現し続けて行きたいものです。
楽曲解説の読者はもうご存知と思うが、Theo Crokerは筆者が現在もっとも注目しているアーティストだ。新譜『Star People Nation』のリリースツアーでボストンに来ると言うので早速インタビューを申し込んで、彼のスピリチュアル、哲学的な視点、繊細さなどを探り出してみた。
開催から今年で50周年迎え、改めてその遺産に注目が集まっているウッドストック・フェスティバル。当時現場で歴史を目の当たりにした日本生まれのアーティスト、キオ・グリフィス氏がその衝撃と実像を語る。
カウント・ベイシーのようなまん丸な音が出せたらなぁ〜と日々思っています。
究極の夢は、ヨーロッパやアジア、もちろん自分の国、日本でも定期的に演奏できるもっと国際的なアーティストになることです。
日本フリージャズの勃興時から活躍したドラマー/パーカッショニスト、豊住芳三郎(通称サブ)。その活動領域は日本にとどまらない。若き日から世界を旅し、シカゴではAACMと行動を共にし、またヨーロッパ即興シーンの猛者たちと国内外で共演を積み重ねてきている。2019年7月20日、埼玉県の山猫軒において照内央晴(ピアノ)、庄子勝治(アルトサックス)との演奏を行う前に、豊住にインタビューを行った。
7月に逝去したジョアン・ジルベルト。彼の周辺にいた人々への取材を元に、その人となりと芸術の核心に迫った映画「ジョアン・ジルベルトを探して」が先月から公開されている。本作の監督ジョルジュ・ガショ氏に制作エピソードを聞いた。
シカゴ生まれで現在はニューヨークを拠点に活動する作曲家・サウンドアーティスト・アルトサックス奏者のマタナ・ロバーツ Matana Robertsは、『Coin Coin』と題した音楽作品のシリーズに取り組んでおり、これまでに、チャプター1『Gens De Couleur Libres』(2011年)、チャプター2『Mississippi Moonchile』(2013年)、チャプター3『River Run Thee』(2015年)が発表されてきた。このたび、最新作のチャプター4『Memphis』のリリース(2019年10月)を控えた彼女にインタビューを行った。
すべて僕のオリジナル作品。僕はバンドリーダーが適宜買い揃えた編曲を演奏するのではなく、特定の作曲家の作品を演奏するバンドが好きなのだ。
今歌っている原動力は、「JAZZは人生を語る歌」なので、人として100%命がけ!何をやっても、いつもいつも100%命がけ!です。
作曲家・多楽器奏者のアンナ・ウェバーへのインタビュー。彼女は2008年にニューヨークに出てくるや主役として躍り出た。その後、トリオでの『Simple』(2014年)や『Binary』(2016年)をリリースするなど、一連の革新的な作品群をものしている。そして最近作はセプテットでの『Clockwise』であり、2019年2月にリリースしたばかりだ。
先日クリス・ポッターのベースレス・トリオのボストン公演で驚愕的なベースラインをもって筆者を魅了した鍵盤奏者ジェイムズ・フランシーズ。Blue Noteが大型新人として売り出している彼のクリエイティビティに焦点を当ててインタビュー。これはジャズだとかそうじゃないとかいうカテゴリー分けを否定する興味深い意見が聞けた。
でも信じてやれば叶うこともあるんだと、自分は間違ってなかった、と胸を張って言えますね。
政治がいくら危機を煽り立てても、好きな人は軽く海を越える。情報交流が盛んになった今、日韓は、違いを楽しみ、共通を分かち合える関係になれると思います。
作曲家・ピアニスト・オルガン奏者・歌手のアミナ・クローディン・マイヤーズへのインタビュー。これからのいくつかのプロジェクト、もっとも記憶に残っている共演、そしてAACM(創造的音楽家たちの進歩のための協会)での仕事について。
「JAZZ ARTせんがわ」に新しい動きが胎動しつつある。今月17日には、プロデューサー3名が発起人となり、イベントの存続を訴えるライヴ&トークイベントが、11年間の舞台となった調布市のせんがわ劇場で開催。当日はプロデューサー陣に豪華ゲストを加えたスペシャルライヴも行われる。
90分以上に及ぶ2枚組大作『シンケ』(チンクェ)は、数奇な運命を辿った奴隷シンケを中心にカリブ海の奴隷問題と、彼らが持ち込んだ宗教と音楽のネイティヴのそれらとの混淆により生まれた独自の音楽が焦点。
P.S.F Records 2015年のソロ・アルバム『HOMO SACER(ホモ・サケル)』がアメリカのレーベルからアナログ盤で再発され注目を集めるアルトサックス奏者・川島誠が、自らの即興演奏の背景にある経験と思想を語るロング・インタビュー。
日本のリスナーは、リトアニアでもそうですが、われわれの演奏しているインプロ系の音楽はリスナーがいてこそ成り立つということを理解しているのですね。
Colorfulは豊かな色彩ではなく、いろいろな肌の色の人種の共生を意味している。」
2008年の調布市せんがわ劇場開館とともにスタートし、今年で11回を迎えた「JAZZ ARTせんがわ」。日本を代表する先鋭的なジャズフェスティヴァルとして、最近では海外からも注目を集めるこのイヴェントは、どのように発展してきたのか。節目を迎えた今年、巻上公一らプロデューサー陣と主要メンバーがその歴史を振り返った座談会のダイジェストをお届けする。
ジャズって新しい曲、新しいスタイル、新しいサウンドを聴く音楽なのかな? 僕には、「What to Play 」よりも「How to Play」の方が大切に思える。
2018年9月に2週間に渡り日本のリスナーを狂喜乱舞させたピーター・エヴァンス。彼が東京でのギグを終えた翌朝、カフェで、東京の精鋭ジャズミュージシャン3人(辰巳小五郎、後藤篤、纐纈雅代)との座談を行った。
ジェシカ・アッカリーは、現代ブルックリンにおける同世代のインプロヴァイザー・エキスぺリメンタリストの中でも傑出したギタリストである。注目すべきインタビューはメアリー・ハルヴァーソンから#MeTooにまで及ぶ。
クラーベを理解することが世界の音楽との共通言語を習得する早道なのです。
ジャズは鮮度が一番です。ジャズの伝統を尊びながらいつ、何回聴いてもあきることなく、古さを感じさせないアルバムを揃えることができたと思っています。
21世紀のスキッツォイド・ウーマン、ピアニスト&ドラマーの武田理沙が満を持してのデビュー作を8月8日にリリースする。第1作にしていきなりミュージシャンとしての総決算を果たしたかのような濃厚な内容だ。
2018年9月の初来日を前にしたインタビュー。幼少時のこと、ソロ演奏のこと、新録の予定、日本のシーンへの期待を語る。
kokotobの凄いところはそこだよね。誰かが曲を持ってきて、自分の考えを固持しようとするのではなく、意見を出し合い、それをみんなで試していくみたいな。
日本のツアーでは仕掛けやグルーヴの指定のある書き譜を基にした演奏と即興の両面を披露します。
70年代のセシルの音楽には、都節(みやこぶし)音階という日本の音階がふんだんにでてきます。(中略)あれだけ強烈に自在に弾き倒しておいて、最後が能楽の「音取り」のようになって終わる。おおっ!と思いましたね。
ジーン・リーとの共演でよく知られるピアニスト、ラン・ブレイクの独創的な演奏とその軌跡を追う。バイロン・コーリーによるインタビュー後編。
多分3歳の時だったと思うけど、両親に連れられてNYCに行き、スイート・ベイジルで父(ポール・ブレイ)がジミー・ジュフリーと演奏するのを聴いた時ね。
ジーン・リーとの共演でよく知られるピアニスト、ラン・ブレイクの独創的な演奏とその軌跡を追う。バイロン・コーリーによるインタビュー。
1970年代初頭、伝説の新宿ピットイン・ニュージャズ・ホールで若き日を過ごした阿部辰也。2018年、吉田野乃子らとともに「札幌 Free Jazz 最前線」と題したイベントに出演した彼の現在の演奏と、フリージャズへの思いをきいた。
優れたサックス奏者であるだけでなく、プロデューサー/キュレイターとしてウェストコースト即興シーンのキーパーソンでもある鬼才レント・ロムスがユニークな音楽思想を語る。
AACMのメンバーとして現在も精力的に活動するアミナ・クローディン・マイヤーズ。ブルース、ゴスペル、フリー、歌、どれもが彼女にとっては自然な表現方法だ。唯一無二の個性を持ったマイヤーズに、これまでの音楽の軌跡について話してもらった。
エッセンを拠点にジャズ、実験音楽、即興、現代音楽、劇音楽といった幅広い分野で活動する若手サックス奏者フローリアン・ヴァルターの初来日ツアー。日本の個性派ミュージシャンとコラボした2回のライヴ・レポートとインタビューでドイツ即興シーンの現在を探る。
クラリネット奏者、インプロヴァイザー、サウンド・アーティストのジェレマイア・サイマーマン。この10年でニューヨークの即興音楽シーンにおけるキーマンとして登場してきた。インプロヴィゼーション、エレクトロニクス、ソロやアンサンブルでのさまざまな作曲的アプローチ。
ビリー・ミンツほどに細やかで美しいスイングをシンバルで鳴らせるドラマーはそうそういない。知る人ぞ知る、ニューヨーク・ドラマーのライブレビューとインタビュー。
初来日したニューヨーク即興シーンの新鋭クリス・ピッツィオコスと日本の個性派サックス奏者・橋本孝之と川島誠、そしてノイズ・シーンのオリジネーター美川俊治。“今ここにある音楽表現”を続けるための姿勢と思想を語り合う対談のドキュメント。
ペテルスブルグではジャズ・フェスは2つある。ペトロジャズ (Petrojazz) からは僕らの音楽はサイケ過ぎるという理由で出演を拒否されたんだ。
JT: 新作をジャズと呼んでほしいですか?
平林: いろいろな要素が入っていると思います。ジャンルにはこだわっていません。
ニューヨークで今最も勢いのあるピアニストの一人、マット・ミッチェルの新しいアルバム、『A Pouting Grimace』。木管楽器、パーカッション、リズムセクションとエレクトロニクスという総勢12人の変則的アンサンブルに、指揮者としてタイショーン・ソーリーが加わったプロジェクト。El Intrusoマガジンによるマット・ミッチェルへのインタビューも。
我々のウリである、まず今まで聞いたことがないようなグルーヴ感と、変幻自在なジャズのインプロを楽しんでいただきたいですね。
テン年代に大阪の現代画廊から登場したコンテンポラリー・ミュージック・ユニット.es(ドットエス)のサックス奏者・橋本孝之。ソロ活動やジャンルを超えたコラボも精力的に行い、日本の前衛音楽シーンの最先端を更新する橋本の、穏やかなマスクの下に隠された秘密を炙り出すロング・インタビュー。生れてから最新サックスソロ作『ASIA』に至る異端の表現者の素顔が今初めて明かされる。
2012年ニューヨーク即興音楽シーンに彗星のように登場したクリス・ピッツィオコスの待望の来日ツアーが9/17からスタート。ヒカシューの新作に参加するなど注目を集める若手サックス奏者が現在の心境と音楽シーンについて語るちょっと辛口の最新インタビュー。
ヒカシューのリーダー、ヴォイス・パフォーマー、インプロヴァイザー、プロデューサーなど様々な顔を持つ巻上公一が、ジョン・ゾーンとニューヨーク・シーンからJazz Artせんがわ、クリス・ピッツィオコスが参加した新作から即興音楽の将来まで語り尽くすロング・インタビュー。
9月にグループ「Time is a Blind Guide」での来日との情報に接しましたが、すでにマンフレート・アイヒャーのプロデュースで2作目のアルバムも完成しているという。
フルート奏者、作曲家、教育者のニコール・ミッチェルは、一連の革新的で先見性ある録音を通じて、最先端に身を置いてきた。最新作『Mandorla Awakening II』が2017年5月5日にリリースされたばかりである。シカゴ・シーンへの登場、オクテイヴィア・バトラーのインスピレーション、新作などについて語る。
僕はこの1枚を通して「これも、ジャズだぜ!!」といってしまうことで、そこに染みついたイメージを少しでも柔らかく、ライトなモノに変えて行けたらと思っているんです。
全コラム# 51, マット・ケインとカンザス・シティ・ジェネレーション・カルテットのメンバーの一人、ハーモン・メハリが新アルバム『ブルー:Bleu 』をリリースした。
カンザス・シティ期待の星、ハーモン・メハリにその後の活動の様子や新アルバム『ブルー:Bleu 』について聞いてみた。
灰野敬二のデビュー・アルバム「わたしだけ?」が、当時本人が意図したゴールド&シルヴァーのスペシャル・エディションで、1981年のリリース以来初めてアナログ・レコード盤で再発される。謎に包まれたこの記念碑的アルバムの制作当時の意識と逸話を語ったインタビュー。
マイクロトーンを使った即興演奏でまったく新しい世界を作り出したジョー・マネリと長年に渡り共演したドラマー、ランディ・ピーターソンへのインタビュー。独自の演奏スタイルを持つ彼が、ジョーとの演奏経験について、マイクロトーナル理論のリズム的観点からの分析などについて話をする。
その人の音楽上のアイデンティティは、多少の差はあってもあれこれのミュージシャンの無数の影響が集積されたものではないでしょうか。
基本的に、僕はジャズを学ぶのは学校ではなくて全部独学でできるはずだと思っている。音楽学校は音楽理論や演奏技術に長けていれば良い音楽家になれるという錯覚を作り出してしまう恐れがある。なぜかと言うと僕の観点では真の音楽家とは独自の音楽手法を編み出せる技量がないと存在し得ないと思われるから...。
35年ぶりにデビュー・アルバムがCD化されたノイズ・ミュージックのオリジネーターNORD(ノール)のオリジナル・メンバーが語る地下音楽創世記の意志。
「一番最初のライヴは滅茶苦茶でしたが、マイナーで滅茶苦茶やっている他のバンドよりは、楽器は弾けないにしてもましなことはできるかな、と思いました。昔は楽器も弾けないのに音楽やるとは何様だ、と思っていましたが。自分の感覚だけでやったら、それなりのものが出来た。」
今の僕のバンド LEVEL 8 のミュージシャン は全員 30 代。僕がエストニアに来た 17 年前には彼らはティーンエイジャーでまだまだミュー ジシャンとしては存在していなかったことになる。
インタビュー後編。AACMの形成と活動の記録。シカゴからニューヨークへ。ロフトシーンから現代の音楽鑑賞様式への変遷。リスナーにとって理想的な音楽の聞き方とは?作曲家として、即興演奏と記譜された楽曲をどの様に扱い、奏者達に提供するか。
一定の形や枠のあるコンポジションまたは能動的インプロヴィゼーション、団体または個人、古い音楽または新しい音楽、こういう風にラベルを貼っていく行為は人工的であり、物事の可能性を狭めてしまう。彼の目から見れば、すべての二元性は互いの極に包括されている。すべてのインプロヴィゼーションはコンポジションであり、すべてのコンポジションはインプロヴィゼーションとして始まる。
最も豊かな音響に恵まれたタケミツメモリアルにて、現代音楽やジャズが出会うクリスマスの一夜にご立会いいただければ、これに勝る幸せはありません。
この本の主人公は音楽でも人でもなく「場」なんです。「地下音楽」のことをまったく知らなくても、自分たちの場を作ろうと動き出した人たちが、何かに導かれるように繋がり合い、それぞれの目的に向かって散って行った栄枯盛衰の物語として楽しんでいただきたいですね。
インパルス・イヤーは、とても重要だ。それは、コルトレーンのレコーディングが出来たことに尽きる。コルトレーンと共にモダン・ジャズ史に輝く作品を創りあげることが出来たのは、大きな自信となり、とても感謝している。コルトレーンが私を選んでくれ、共に過ごした時間は何にも代えがたい。私のキャリアにおいて、比類のない経験だった。
”クール派ジャズ” の本質とは、「コントロール。自分が欲する音を演奏する能力を持つこと」、「エモーションは必要だがコントロールされていなければならない」「コンテンポラリー・ミュージックの作曲された要素とブルースのラジカルなエネルギーとがブレンドされたものだ」。
「創造とはスピリット(精霊、魂)の技であり、何かを創造することは、一つのところから別のところへ行って、違う人や違うアイデアをミックスすることなんだ」
キム・パーカー はジャズシンガー。サックス奏者チャーリー・パーカーの義娘。
今回のインタビューは、昨年2015年8月27日にミズーリ州カンザス・シティの郊外、カンザス州オレイサで行った。
ウィリアム・パーカー、ケン・フィリアノらとともに、現在のニューヨークのダウンタウン・ジャズ・シーンを代表するベーシストのひとり。
去る2008年10月25日、フィラデルフィアでポール・ブレイとドラマーのリチャード・プール(www.richardpoole.com) のデュオ・コンサートが催されると聞き思い切ってインタヴューを申しこんだ。
「成功できる」人は “天才”だよ。成功の秘訣は、失敗の熟知にある。最初から成功を目指すのではなく、失敗を目指した方が手っ取り早い。これが、私の提案だよ
ニューヨークで大活躍中のトランぺッター、ジョシュ・エヴァンス。ジャッキー・マクリーンとジャズの伝統とは。
この歳と身体になると、「猫達よりは長生きして、全員看取ってやらないと。」とかが夢になります。これ、冗談ではなく...。音楽では、ちゃぷちゃぷレコードを出来るだけ長く維持し、たくさんの世に眠る文化遺産としての音源を一枚でも多くリリースし、できるだけ多くの人の耳に届けたい。
若き前衛アルト・サックス奏者クリス・ピッツィオコスがニューヨークに新たな波を起こしている。弱冠24歳のピッツィオコスは既に、サックス演奏と作曲能力に於いて自分自身の語彙を発展させ身に着けている。2015年前半、彼はとてもアクティブに活動し、3作もの新作をリリースした。
この先の音楽メディアの変化への不安についてはいろいろ論議されていますが、どちらかというとそれはビジネス路線でのことのように思います。モノ離れが進んで、世の中が変わろうと、どんな状況でもミュージシャンがこの世の中からいなくなることはないでしょう。私たちは音楽を続けていくだけですから。
でも、僕は実際にコンペティションはあまり好きではないです。どうしてかって、現実的な音楽の世界の中で、とっても不自然なものでしょ?!
常に新しいことをやり続けるのは簡単ではありませんが、それが音楽を生かし続けることになるのだと思います。
日米の有力ジャズ人名辞典はいずれもあなたのトリオがエリック・ドルフィーと公開の場で共演した最後のバンドであった事実に触れていません。
僕のソロを “作曲” として見て一作選べと問われれば、僕は『ラディエンス』を推す。
だから「インプロヴィゼーションを最優先して、これからの人生を過ごそう」と誓ったんだ。年を取りすぎて演奏できなくなるまでね(too old to play)。
今現在、すでに夢を生きています。
チャック・へディックによるバード(チャーリー・パーカー:1920年8月29日~1955年3月12日)の生き様と音楽を綴った新刊が2013年8月30日に刊行された。パーカーに関する従来の著作が主としてパーカーの音楽とレコーディングに焦点を当てていたのに対し、ヘディックスの新刊では、16才で溺れたドラッグがどのように彼の人生や音楽に影響を与えたかについて、新たに発見した資料や見過ごされて来た資料を丹念に読み直す事によって解き明かしている。
2011年、内橋和久はポーランド人ミュージシャンを招聘し「今 ポーランドが面白い」というイベントを行った。今年(2013年)10月、その第二回目が東京、大阪、その番外編が京都で行われる。
彼(菊地雅章)は崇高ともいえるほど美しいテクスチュアを紡ぎながら、それを一瞬の内にぶち壊すことも厭わない。
今では、音楽が私の存在を証明するものではないが、他の方法では表現し得ないことを表現するための素晴らしい手段であることに違いないと思っている。
菊地 雅章(きくち・まさぶみ、1939年
普段ジャズ若しくは音楽を聴かない方から専門家やミュージシャンなどすべての人に楽しんでもらいたい、というのが全体のコンセプトとしてあります。
僕は、自分自身の音楽的成果に対し、すごく満足しているし、ロスに留まっていたからこその成果だと思っている。ロス在住のミュージシャンが、東海岸中心のジャズ・メディアに軽んじられているのは事実だと思う。
僕の音楽は絵にたとえるとクイック・スケッチのようなものだ。アウトラインははっきりしているけど、細かい部分までしっかり塗り込むタイプじゃない。
東京生まれ。桐朋学園大学演奏学科ピアノ科卒業。エコール・ノルマル・ミュージック・ド・パリ卒業。1990年タングルウッド・ミュージック・センター奨学生。3年のパリでの留学後、東京で全曲20世紀のピアノ作品によるデビュー・リサイタルを行った。1997年、京都賞でクセナキスの「ミスツ」を演奏、1998年には現代音楽の分野への優れた業績に授与される「第16回中島健蔵音楽賞」を受賞。
(モチアンの音楽で惹かれるのは)エモーションとスペースだ。エモーションは彼の楽曲に共通した魅力で、しかもうまくバランスが取れている。
自身の魂の底から出てくるもの、それはやわな音楽構造や複雑なものでは表現し難い様に思えます。故にブルースという単純な音楽がより複雑な人間の感情と表現を伝える事が出来るのではないでしょうか。
最近僕はミュージシャンをアメリカ人、ヨーロッパ人、アジア人などと区別しなくなりました。国籍ではなく、個々のミュージシャン同士が演奏し、コミュニケーションを図っていると考えています。
マンフレートはあの時点では普通のプロデューサー以上のことはしていない。僕らのやりたい音楽をやりたいように演奏した。
場所はどこであれ、どのように生きるかが音楽に反映すると思っています。
3本指を使うベーシストを初めて目の当たりにしたのはセシル・マクビーだった。1967年だったかな、チャールズ・ロイドのカルテットで北欧に来たときのことだ。とにかく驚いた。
あなた自身の責任で「沈黙」を創り出すんだ。待っていても「沈黙」はやってこない。望んだだけでは「沈黙」は訪れてはこないんだ。
たとえば、キース・ジャレットが好きなファンは誰も菊地の歌に滅入ることはないさ。
2008年にアンドレア・チェンタッツォ Andrea Centazzo が観光で来日した際にインタビューし、JazzTokyoのコラムに書いた記事を再掲載。
ルルーシュは、今夜、このクラブに居るよ。さっき、一緒に食事をしばかりだよ。
SJ: 思うに実入りはかなり良かったのでは?
DB: そうだね。帰国してから自分の車を買ったからね。そう、たしかに実入りは良かった。だけど、あの国が本来負担すべき内容からいうとそれほどでもなかったと思う。
「音楽は演奏するもので、語るものではない」というのがセシルの口癖でした。
卒業を控えて将来を考えた時に、僕は性格的にどうしても組織の中では生きられない人間である。自分の意に染まないことは指示されてもやりたくない。そうするとジャズしか残らないんです。
2005年9月、東京芸術見本市(TPAM) の招きで、メールスジャズ祭の元音楽監督ブーカルト・ヘネン Burkhard Hennen が来日した。メールスジャズ祭の音楽監督を34年間務め、2005年で退任した彼が、ジャズ祭にまつわる諸事情と本音を語ってくれた。
富樫さんの音楽は、書いたものとして確定している部分はすごく少ないんですよ。しかもそれだけじゃわからない。だから、こうなんだよみたいな原型を残したかった。これから先はどうぞご自由に、ということで。これは富樫さんに信頼されていないと出来ない。その意味では、ひとつの仕事ができたと思っている。
僕もいろいろなプロジェクトを手掛けてきたけど、本命はGG-CJBなんだ。世界中から優れたプレーヤーを集めてオリジナルを演奏してもらう。これ以上のぜいたくがあるかい?
俺もそうだけど、ゲイリー(ピーコック)もポール(モウシャン)もチャレンジが好きだからね。新しいテーマを決めてそれの達成のためにチャレンジしていく。